2012-10

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雑記



   
 おおざっぱに言えば歯が悪いという、つまりは、硬めのものや、プリプリしたりなど弾力がありすぎるものを噛むのに難儀や手間や不興を覚えるという筆者の老親に肉類をしっかり食べさせるには・・・。   
 大袈裟に考えなくてもハンバーグでも何でもありえるわけだが、やはり「ひき肉」などの利用はアイデアとして筆頭格であろう。ただ、筆者自身が洋食嫌いで、たとえ「大根おろし」などをを添えた和風ハンバーグ仕立てもイマイチ面白くないと思えば、鶏つくね・ひき肉団子を煮て食べさせることなどを「良し」と感じてしまうかな・・・牛肉と鶏肉とでは、食肉加工処理などの関係で鉄分などの含有度合いにも差が生じてしまうのだけど。しかし、ポン酢、もみじおろしなども利用することで、「あれ、よく食うよなあ」と感心するような食べっぷりを目にすることもあったりで、すると「栄養面での理想を追ったり細かいことを考えたりしなくてもいっか」みたいな気持ちに・・・それで良いのか否か、どうもよく分からない。   
   
   
 注目が続いている「塩麹」もまた、調味料としての面だけでなく、肉などを柔らかくしてくれるという点では歯の悪い人のための食事メニューのヴァリエーションを広げるうえで便利なのだな。(下の画像の、薄切り肉に乗っかっているマヨネーズっぽい感じのものが塩麹・・・なお、これを撮ったのち、思い直してもう少し多めに付けてラップに包んで保存し、そして利用したが・・・きちんとした活用法・ノウハウについてはレシピ・サイトその他で研究していただきたいが・・・肉を、「しゃぶしゃぶ(風)」にしたり蒸したりする場合の事前処理に活用可能。)   
   
   
 塩麹はいろいろなものを柔らかくする効果があることから、次のような遊び・利用のされ方も広がりつつある:   
   
   
 例その1: スプーンを塩麹の中に1週間ほど浸しておく・・・スプーンが柔らかくなり、特に超能力が無くても容易に「スプーン曲げ」をして遊べるという。   
   
 例その2: ゴルフクラブのシャフトに塩麹を塗り、食品用ラップで覆う。1週間ほどして塩麹をきれいに拭き取る。シャフトの「しなり」の具合は変化し、ゴルフボールの飛び・コントロールに格段の違いが生まれるという。   
   
 ・・・と、これらはもちろん嘘・デタラメである。サビ・腐食、また、それらに伴う事故・損害などあっても、筆者は何も責任を負わない。   
   


雑記



   
 第10巻が発売された。   
   
 まだ目を通せていないので、感想(めいたもの)については今度・・・。   
   

雑記



   
 (↑)それぞれに美味いビール。筆者が気に入ったのはエビスのもので、1リットルでもたぶん飽かずに飲み続けられるだろうなあ。   
   
 ところで・・・。   
 この夏から秋にかけて、居酒屋その他では例年とは比べものにならないほど「サンマの刺身」のメニューを目にした。どうしたことだろう・・・物流の手法・クオリティなど革命的に進化・発展を遂げたのだろうか。従来、北海道などならともかく、本州の、それも関東甲信地方などでは、筆者の限られた経験からすると客にサンマを刺身で出すことに躊躇するお店は少なくなかった。それは、鮮度と風味・食感との関係から来る問題もあったろうし、他の理由も考慮してのことだったかも知れない・・・断定的なことは言えない、分からない。   
   
 筆者は、サンマの脂は加熱されたときにこそ香りと舌への乗り具合がベストと思うので、サンマの刺身への執念はそれほどには無い。今年は、刺身を口にしたのは2回・・・いずれも日本酒を5合ほど飲んだあとに食したので、魚好きである筆者にも「生サンマの脂は変にしつこい」と感じてしまった・・・頭では「美味」と理解しても、舌はまた別。   
   
   
 人それぞれ、様々に思うところや経験などあって、広い世間では刺身で食べることもポピュラーであるのに「でも俺にはそれは出来ない」みたいな、そんな魚介類があったりする・・・と、ここで何やかやと魚などの名前を列挙することは控えておくのがよいのかな。   
   
 親たちの食事を用意しつつ、筆者だけが酒とともにつまむこととなったブリ・・・「ひと切れだけでも食べてみる?」と声を掛けたが、答えは「ノー」であった・・・これもキッチン・ドリンカーか。   
   


セルフタップネジ、木ネジ・・・そして、「大根ネジ」?



   
 (↑)大根。「辛味大根」と呼ばれるものの一品種。姿格好から「ねずみ大根」とも呼ばれたりするようではあるが。サイズを分かってもらえるよう右横にカードを並べたが、白い本体部分の長さは15センチほどである。   
   
 これを「大根おろし」にしたものやその搾り汁は、蕎麦とともに薬味その他の形で楽しむのに好適である。ただ、心の準備なしにそれらを口にすると、刺激で咳き込むことすらあるだろう。   
   
 大根が地中で成長していくときには、ネジのようにというかドリルタップ(ドリル)みたく回転する/身をよじるようにして土壌を下へ下へと進んでいくらしい。が、柔らかい土壌であるならばそのように回転する/よじることを要せず成長できてしまう・・・というわけで、ヒゲ根/毛穴が縦方向にわりと一直線に揃っている大根は安楽に/素直に育ったものと推測され、また、そのようにぬくぬくと育った大根は辛味成分が少ないと聞く。   
   
 一般的な大根は辛くないものが喜ばれよう。しかし、辛い大根も魅力的だ。また、冒頭の写真のような大根の品種では、人々は「辛さ」に価値を見出し、それを目当てにして求める。写真では分かりにくいが、この品では毛穴がわりと一直線に並んでいる・・・しかし、写真に写っていない向こう側の毛穴は斜めに並んでいて・・・ちと想像しがたいような複雑な成長過程を経ているのか? 昼下がり、これをおろしたものを蕎麦とともに楽しんだところ、しっかりとした辛味があったが。   
   

「手抜き」でなく、「悟り」でもなく・・・「初心」かな



   
 (↑)ふと思うところがあって(調理プロセス説明用とはまた違う目的だったが)撮っておきながらも、結局は放っておくことになったであろう写真から・・・。   
   
 日経新聞の「学びの ふるさと」欄に、作曲家・ピアニストの西村由紀江 女史へのインタビューが載っていた。給食にまつわる話を含め、小学校時代の担任の先生についての話が紹介されていた。   
   
 さて・・・。   
 子供の頃の給食(給食自体)を通じて筆者が悟ったこと・・・いくら種類豊富な具を用いようが、あるいはそれなりに調理・調味というプロセスを経ていようと、「不味く料理されてしまったもの」というものが世にはしっかり存在するということ。冷めてしまっていると不味かったり油切りの悪さが目立ったりとか、そういうことを越えて、「絶対的に不味い」という出来具合。昔を振り返ると、給食で出た焼きソバの食感および調味、ワンタンスープや酢豚、すき焼き風煮物の調味などなど、不味かったなあ・・・それでも、しかし、ほかに「ゆで玉子」やバナナなどあったことで筆者の心は救われた。   
 最近の給食はとても美味しいし、洒落たメニューもあったりするのだよと、子を持つ親から聞いたこともあるが、だとすれば喜ばしいことである。地産池消、また、郷土食の伝承などへの意識も高く用意される給食であるならば、さらに素晴らしいことだろう。   
   
   
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 冒頭の画像に関して。   
 或る日、スーパーの魚コーナーにいたら、店員さんから「鯛ごはんなど、どうですか?」と、鯛の切り身を勧められた。しかし、あれはどう調理/炊飯すればよいか知らないし、何かで調べる時間もありそうもなかった。「鯛ならむしろ刺身でよいじゃないか・・・包丁でスライスするだけで済むし」と考え、親たちのために用意するおかずのメインはそれにした。さきほど述べたように、調理・調味というプロセスを経たとしても、上手に出来なければさして意味が無いというか、自分も食べる人もガッカリするわけだし・・・筆者にとっての、一種の「初心忘(れ)るべからず」か。   
   
   
 マツタケの季節ではあるが、あれを買う習慣というものがうちには無い。昨年は、国産のものを或る方から頂戴するという幸運があったが。天下のNHKも提言(?)しているではないか・・・放送受信料が安くなったからといって、そのぶんをマツタケに回してはいけないよ、と(NHKは八百屋さんや食品スーパーを敵に回したいのか・笑)。   
 というわけで、キノコ類としてはシイタケ、エノキ、エリンギ、ブナシメジ、マイタケなど食すことが多いわけだが、上のはナメコで、これは味噌汁を作ろうとしたときの写真だったか。   
   
 下のは鶏レバーを醤油ベースで煮たときのもの。レバーを嫌う人もいて、それはそれで仕方ないが、砂肝と違って歯の悪い高齢者などにも食べてもらいやすい。レバーを煮汁に投入する前に下準備として日本酒をからめて臭みを取る儀式とするが(鮮度が良ければ実は「それほど」までに必要なプロセスであるとは思えぬのだが)、煮汁に「おろしショウガ」、一味唐辛子、辛子(和辛子・洋辛子)、コショウなど、思いつくままテキトーに、しかし、しっかりと加えると、恐らくはさらなる臭み消しの効果を発揮するばかりか、隠し味のレベルをちょっと越えたアクセントが生まれ、それを筆者は面白いと感じる。鶏のものに限らずレバーは、栄養面を見ても、もっともっと評価されるべきものではないのかなあ。   
   


雑記



   
 前回のブログ記事で書きそびれた・・・。   
 子供の頃のこと、どこかから頂戴したカボチャの表皮がやたらと硬いことがあり、母親は包丁で切るのに難儀していた。ならば筆者がやってみようということになったが、ダメだった・・・「ケガでもしたら大変だから」ということで断念し、結局、あのカボチャは食べずに終わったかと思う。   
   
 ずっとずっと後になって人から聞いた知恵・・・硬いカボチャについては、庭石などに当てて割るべく放り上げる・庭石をめがけて家の2階から落とすなどすれば簡単なのだと。この場合、割れたカボチャが散らかったり泥で汚れたりなどせぬよう、出来れば厚手のビニール袋、そうでなければ二重くらいにしたレジ袋・ポリ袋などに包むのだそうだ。本当に硬いカボチャだと、庭石でなくコンクリート土間や、またコンクリート・ブロックやレンガなどに当てた場合、カボチャでなく相手のほうがヒビ割れたりすることもあるらしいが。このような方法は今に至るも試したことないけど・・・。   
   
 カボチャで思い浮かぶことの幾つかのうちのひとつが「会津カボチャ」という言葉。名産品ということになるのだろうか。冒頭の写真は自治体の観光課が発行したと思われる観光案内パンフレット・・・興味をもって眺めていたら、会津のパンフレットではカボチャのことにも触れられているな。   
   
   
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 8月だったか。知人に「牛丼を食べる習慣が無いものだから、どうも牛丼店には入りづらい」と話した。「では、いずれ一緒に」との約束が出来た。   
 某チェーン店にノボリが立っていた「花かつオクラ牛丼」なる品が気になっていた。昨今の牛丼の、牛肉の「脂身」率が如何ほどかまったく承知していないが、たとえその点に気に食わないところがあっても、オクラと鰹節も添えられているならそちらで食事も進む・我慢することも出来よう、つまりは「リスク分散」になる(大袈裟だが)。   
   
 季節は移り・・・まだ牛丼店には行けていない。秋は次第に深まっていく。   
   
 この夏、外食産業その他では、オクラが大注目であったようで・・・。   
   
 中でも出色のオリジナル・メニューが見受けられたのはホテル・オークラであり・・・という冗談はさておき・・・。   
   
 或る外食チェーン店では、「オクラ入り ひつまぶし」がメニューに登場した。   
 メニューに掲載された写真によると、オクラは細かく刻まれているのでなく「2つカット」されたものが随分の量、ワサッと混じっている感じ・・・。   
   
 「これは美味いのか? ウナギともマッチするのか?」と首をひねりつつ、恐る恐るオーダーしてみた。   
 しかし、30分ほどしても食事は一向に運ばれて来ない。しびれを切らし、せわしく歩き回るスタッフをつかまえて「どうなっているのか」と問うた。返事はこうだった:   
   
 「あのメニューは評判が悪くて・・・お蔵入りです」   
   
 ・・・以上、これも冗談・嘘である。   
   
   
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 上のオクラがらみの稿は、実は8月から9月の期間に用意しかけたブログ原稿ファイルから引っぱって来たもの・・・ちょい修正を施してはいるが。原稿のファイルを保存するときのデフォルトのフォルダが何かの理由で変わってしまい、つい最近まで行方不明になっていた(というか、行方不明になったこともいつしか忘れていたが)。   
   
 これまた8月あたりにブログ記事アップされるはずのものであったが:   
   
 現時点で、某 有 名 動 画 投 稿 サイトにはこんな音声がアップされている・・・それは・・・20世紀に活躍した指揮者で筆者が最も好きな或る人物が、唯一度の来日時、その手兵のオーケストラとのリハーサルで演奏した「君 が 代」と「アメリカ国歌」。(きょう現在ではもう、熱心なファンはすでにお気づきであろうけど。)   
   
 「君 が 代」の出だしで聞こえる唸り声のようなものは指揮者のものかな。また、歌詞の「巌(いわお)」のところで一瞬「い」という声が聞こえるような気もするのだが、これは歌詞を口ずさみかけたのか・・・まさか(笑)。   
   
   
 なお・・・今日までに著作権法の改正が進んでしまっていることには注意が必要かと思う。ストリーミング視聴による場合、必然的に、あるいは結果的に映像・音声などのキャッシュが生じてもこれは問題ないのだとの説明を聞いたことがあるが、筆者はそのへん、本当かどうか分からない。また、FLVファイルをはじめ、何かのファイルを得てHDDその他に記録することは許されないと聞くが、これも筆者が「そうなんですよ」等、何かしらの見解を示せるものではない。さらにまた、そもそも上の音声が「アップされていることに問題ありの音源なのか否か」や、また、そう断じる根拠は何なのか等、筆者が何かコメントする立場には無い。いずれにせよ、留意願いたく思う。   
   
 それにしても思うのだ・・・。   
   
 クラシック音楽にはちっとも興味が無いけれども「“君 が 代”大好き少年」だったりする人物が、「君 が 代」の各種演奏・歌唱の映像・音声をコレクションし続けていると仮定しよう。そして、その彼は、クラシック音楽の指揮者・演奏家の名前も活躍時期もほとんど知らないとする。映像・音声のファイルをダウンロードしようとするにあたって、彼に、その音源がどのように著作権保護されているものなのか、あるいはパブリック・ドメインのものとなるのか、しっかりとチェックし尽くせと求めることは妥当か? あるいは、それを怠った場合は責められるのか? 筆者には分からないが、しかし、気持ち的には、彼に怠りがあったとしてもやむをえないような気がしてならない。(しかし、得た音声ファイルなどを広く再配布するとか、ファイル交換ソフトに乗せるとか、そういう段階の行為に進む場合はまた別。)   
 上の「君 が 代」の音声の件では、クラシック音楽ファンはかなり注意深くあらねばならぬのか。   
 他方、そうでない人の場合、そのような注意はさして要求されないのか・・・いずれにせよ、彼はこんな感激を覚えるやも知れない:   
   
 「うあー、“君 が 代”は陸 上 自 衛 隊 東 部 方 面 音 楽 隊 が20××年の大相撲夏場所千秋楽で演奏したものこそがベストと思っていたが、これはそれに次ぐ名演かも知れない。うむぅ、オーケストレーションとか言うんだっけか、それのせいなのか演奏のせいなのか分からないけど、この演奏を耳にすると目の前に屏風絵が立ち現れるような気すらする・・・渋いような、格調高いような・・・うーん、いいかも! おーっ、同じ演奏コンビでアメリカ国歌もあるじゃんか、この音声もゲットだ、日米同盟バンザイ!」   
   
 ・・・と喜ぶ姿など想像するにつけ、クラシック音楽ファンの場合に求められるやも知れない注意義務とのアンバランスを感じ、釈然としないものがあるような・・・。   
   
   
   
 レコード会社は(著作権協会あたりもそうだろうが)、ネット社会の現状を無法地帯であるがごとく見ていたりもすることであろう。だが、ネット社会を彼らが理想とするものへと改めていくことは現実的には難しいのではないか。いっそ「所与の条件・環境」であるみたく達観したうえ、音楽やそれに関連するレコーディング・記録で「過去の遺産」とでも呼ぶべきもののうち或る範囲のものについては、そろそろ「文化遺産の無償公開・解放」みたいな感覚で自社サイトにて公開(無償)、あるいは動画サイトでアカウント登録したうえでの公開など、検討していただくことがあってもよいのではないかと、筆者は思ったりする。レコード会社がそれをするに至った場合、わきまえた音楽ファンは心から真摯な喝采を送ることであろう。   
 昔、ブルーノ・ワルター/コロンビア響のリハーサルを収めたアナログLP盤をレコード店で貰ったことがあるが、ああいう音声は、いまのワルター・ファンは入手可能なのだろうか?   
 グレン・グールドのCDでは、R.シュトラウス/「ブルレスケ」の自宅での練習風景その他を収録した盤がリリースされていたりする。セル/クリーヴランド管によるモーツァルト/交響曲第38番は第1楽章のみレコーディングがされているようではあるが、これなど、権利関係で必要な手続きを経たうえでCD化してくれぬものか・・・それ単独では商品としにくかろうが、カップリングに諸々のリハーサル音声をセットするなど、如何ようにもやり方はあると思うのだけどなあ・・・もちろん、出来るだけ多くの人に買ってもらえるよう、普通にベートーヴェンとかドヴォルザークとかの曲も加えて2枚組商品にするとか・・・。  
   
   
 タワレコのお店には、ソニー・クラシカル音源からCD化されるスペシャル・セレクションについてのパンフレットが置かれている。それによると、11月21日リリース予定商品の中にセル/クリーヴランド管によるブルックナー第3番・第8番がある。アナログLP盤の時代はともかく、これらの曲をCDで得ていないファンも少なくないと聞くが、だとすれば朗報だろう。   
 また、間もなくの10月24日には、オーマンディ/フィラデルフィア管のものが7タイトル登場することになっている。   
   

雑記



   
 献立・メニューを考えるとき、あるいは、目の前に出された食事の栄養バランスを考えるとき、普通の人はきっと「6大栄養素プラス食物繊維」を意識しつつ、「この献立は合格だね」みたいな判定をするのかな、どうなのだろう。   
 筆者はそういうことに細かく配慮することがさほど得意でないから、「カロリー、蛋白質、食物繊維、そしてカルシウムなどのミネラル」という4つの観点だけで見ることが殆どだ。油っこいものは自分で食べたがらないし調理したくもないから、カロリーについては炭水化物/糖質を意味するに等しい。食物繊維はおおむね「野菜・根菜・海草」というものでとらえる・・・「酒飲みは便秘しない」とする言い伝えは少なくとも自分には当てはまるが親も含めて自分以外に同様のことが言えるのか何とも分からないので、親たちのためには出来るだけ意識・目配りするようにしている(食物繊維との関連で語られることの多い塩分摂取については、親たちよりも筆者のほうが多目かも知れぬ)・・・しかし・・・「食卓に野菜が登場しないのはそもそも変だろ・妙だろ」という感覚がいつも働いている(さらに、しかし、野菜に代えて/野菜を少なくして、海草やキノコを楽しむ日があってもいいよな」という感覚もあるけど)。   
   
 どうでもよい寄り道になるが、「もずく」をもっと頻繁に食べたく思う。お手軽なパック詰めの「酢もずく」を口にしたことは幾度もあるが、酢の種類によるせいか酸っぱさのトゲのあんばいがいつも気に入らない。   
   
 主に野菜などから摂るのが普通と考えられている種類のビタミンについては、「フツーに野菜を食べていればOK」と割り切ることとし、特に「ビタミン、ビタミン!」と意識しないでいる。果物は、食後のデザートとして食べるという習慣が子供の頃も現在も無いので、「ああいうものは各人の欲求にしたがって、昼間のうちにでも食べればよいではないか」と考えている。   
   
   
 さて、冒頭の写真は、おかずのひとつに用いたカボチャ。新聞紙の上で「下処理」を始めたが・・・広告にダジャレあり・・・これ、目にするのは3度目くらいかな。ここで筆者が「このくらいのダジャレ、俺でも思いつくぞ」と言った場合、ほぼ100パーセントの人がそれを信じてくれることであろう。   
 しかし、是非とも、「おお、ドバイがらみでこういうダジャレがありえたか。誰をも不快にさせないばかりか、気持ちのよいダジャレではないか。さすがだ!」というものを目にしたいな。  
   
 カボチャを煮るのはちっとも難しくなく、狙いどおりの味にも出来るのだが、普通ヴァージョンのほかに、「歯が悪いからという理由以前に、(ホクホクでなく)しっとり柔らかな仕上がりのものを食べたい」とするリクエストに応じる必要があるのが面倒と言える・・・そのぶんについては長めの時間、鍋に放置しておけば済む(余熱利用)だけの話だが、調理器具などの洗い物は「手が空いたタイミングに随時処理してしまいたい」と考える自分にはほんのちょっとだけ「心ムズムズ」の原因になりうる。   
   
 カボチャの煮物については、いずれは色合い重視で臨んでみたくも思う。しかし、薄口醤油の使いこなしというのが、自分にとっては苦手なものとなりそうな予感がする(カボチャの、この程度の煮物の場合には大した問題にならぬかな)。   
 使いこなしが苦手と言えば、ミツカンの「追い鰹」の「つゆ」・・・煮物に用いるにしても、麺つゆに利用するにしても、甘さの具合や、「だし」の種類・表情などが、どうも自分の求めるものと違うのだ(決して「不味い」わけでなく「おいしい」と感じるが、しかし・・・うーん、異国料理の目新しいソースとかと違って、醤油その他の、親しんでいる筈の材料のミックス・バランスの問題であるだけに、味覚・脳がかえって「納得」「許容」しようとしないのか・・・だとすれば厄介なことだ)。   
 他社製品を使っても、特に煮物の場合には自分で味の微調整をすることにはなってしまうのだが、ミツカンのあの製品の場合、そういう微調整がなかなか終えられない。原材料を見るとシイタケからの「だし」も含まれているようだが、それが理由なのかなあ。ミツカンが愛知県で始まった企業であるがゆえに、製品の味わいもまた関東育ちのこちらの好みと食い違うところがあるということだろうか、分からない。(なお、当然ながら、筆者個人の好みの問題、個人的感想に過ぎない。)   
   


「頑張りすぎない人生」という言葉もあったり・・・でも、「頑張る料理」について


   
 或る居酒屋にて、常連さん2人との会話・・・。   
   
 Aさん:「日本オラクルという会社のオラクルって、どういう意味? アンタ知ってる?」  
   
 オラクルとは「神のお告げ」などを意味する語であるが、ずっと昔の学生時代に某英単語集で初めてお目にかかったときの訳語は「神託(しんたく)」であったし、だから筆者も今なお真っ先に思い浮かぶ訳語は「神託」である。   
 しかし、会話で「シンタク」と聞かされても普通はすぐにピンと来ないだろうから、やはり「神のお告げ」と説明しようと一旦は思った。でも、次のように嘘の説明をしてみようかとも思った・・・どうせ一同、酒が入ってるんだし。   
   
 「“我思う、ゆえに我あり”だね・・・いや、違った、えっとね、あれだ、その、“私は来る”という意味・・・“俺(おら)、来る”」   
   
 しかし、オヤジ・ダジャレにもほどがあるからこの案はとりやめて、やはり筆者は「シンタクということだよね。でも信託銀行の信託ではないですよ」と言った。   
   
 思ったとおり、AさんもBさんも「?」という顔をした。   
   
 Bさん(かなり若い):「シンタクって?」   
   
 筆者:「あまり使われなくなった言葉だから・・・。爺ちゃん・婆ちゃんがこんなセリフ言ったりしない?・・・“去年の法事以来、新宅の純ちゃんを見かけないが、元気にしてるかねえ”とか」   
   
 Bさん:「あ、あ、そういうことですか、分家・・・本家じゃなくて分家」   
   
   
 ・・・この会話をここで締めくくってしまうと、説明が間違っているばかりか、オラクル社や関連企業に対しての、何と言うべきか“格”的な、あるいは資本関係その他における“位置づけ”などの面で誤ったイメージを植えつけてしまうことになるから、“オラクル”の意味はちゃんと説明しなおしたが・・・。   
   
 同音異義語が多い日本語は厄介だと言うべきか、でも、上のケースは「神託」という、大抵の日本人は口にすることのない言葉に関わるものであるしなあ・・・しかし、会話の材料を与えてはくれた。   
   
   
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 大手スーパーはもちろんのこと中堅以上の各社もまた「料理レシピ」のチラシやカード(それも写真入り)を作成し、客に喜んでもらおう/販売促進につなげようなどと工夫・努力していることは筆者などでも承知している。   
   
 老親のために、ペース的には週2回くらい(昼食を含めて都合3食か4食ほど)を用意するに過ぎない筆者は自分自身で「今度はあれを作ってみよう」と思い立つアイデアを捨てきれない・消化しきれないから、上のようなチラシ類を参考にして調理することはない・・・でも、「おっ、この料理、いいな」などと感じることもあるにはある。   
   
 しかし、全国規模で、あるいは広域に出店していたりチェーン展開していたりするような大きな店でなく、個人経営的なお店でも、地味ながらレシピをプリントしてお客などに配布しているお店もあったりするようで・・・。   
   
 或る日のこと、そういう小さなお店が発行しているものを手にすることがあった。   
 「○○ と じゃこ(ちりめんじゃこ)の ××」というタイトルの料理が紹介されていた。   
 レシピの「材料」欄を見ると、そこには「じゃこ」が見当たらないではないか(書き忘れている)・・・でも、ま、ご愛嬌だね。   
 調理方法の表現にユニークなものがあった・・・下の画像の如し・・・笑えるのだけど、でも、或る意味、そこには気持ち的リアリティや、調理上のスタンスについての的確な表現みたいなものが窺えるような気がした・・・この料理を作ってみようとは思わなかったのであるが、「よろしいではないか」と感じられた。   
   


飲んでミスティオ、乗ってミラージュ・・・スズキのマリネ・・・いやいや・・・



   
 淡白な味わいの魚を、天ぷら、フライ、ソテー、マリネ、ムニエル等々にするのでなく、やはり醤油ベースで煮付けようと片意地を張る場合において・・・。   
   
 たとえばカレイならカレイのその種類によって、スズキであるとかタラとかの仲間ならそれなりに、濃い目の醤油味、砂糖多めの醤油味、淡い醤油味、味噌プラス醤油などなど「どういう味に仕上げればベストか、味が染み込むよう多少とも放置すべきか否か」と出来上がりを夢想したうえで挑むべきものと思う。仮に失敗したとて、どうということはない、「 マ ク ド の フ ィ レ オ フ ィ ッ シ ュ にはかなわん、あっちはプロだもん」と思えばよいこと・・・。   
   
 そのように調理した魚に、とろみを楽しむ「あん」をかければ、それを「油っ気」の代わりとして喜ぶ人も少なくなかったりもしようけど、上のような煮付けに相応しい「あん」は果たしてどのようなものであるのか自分には分からない。しかし、添え物としてナメコなどのキノコを用いることは悪くないと思った・・・魚よりも遅れて鍋に投入(面倒なので煮汁は共通にしてしまったが)。   
   
   
 ・・・ちっとも音楽系ブログでない話題が続いてしまっているが、ご容赦を。   
   

Despite that it is one month ahead of 立冬



   
 ビール系飲料で「冬○○」と名付けられたものが幾つか発売されるような、そんな季節になった・・・暦のうえでは、そして体感的にも、冬はまだまだ先なのだけど。   
   
 上の写真の一番左のはそういう商品のひとつ。味わいがかなり薄いと感じるものの、しかし、「爽やかなうえ、よく言えば上品でもある」と評したいところがある・・・風味や喉越しなどについてのトータルなまとまり・仕上がりに上手さを感じるからだろうか、味わいが淡くとも「うむ、いいよね」と言いたくなる。   
   
 お遊び感覚でいろいろなビール系飲料を飲み続けるようになってしまった自分であるが、写真の真ん中のようなものも特に「ありふれたものは飽きた」などと思わずにしっかり飲むさ(このところ最も飲んでいないメジャー商品は「スパドラ」と「一番搾り」であるような気がする)。   
   
 一番右端のは輸入ビールで、以前にも紹介したことあるような気がするが、この苦味の加減と表情が好きだなあ・・・日本での値段もかなり安く、「価格面の理由から発泡酒、第三のビールなどにしか目が向かない・手を出さない」という人にも是非とも試していただきたい品・・・ただ、「俺にとっては、これ、苦えよ」という感想も十分にありうる。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 先日、はるさめ(春雨=食材)、鶏がらスープの素をたずさえ、そして途中で生ワカメや鶏モモ肉などを買って親のところへ出向いた。  
   
 親のところで夕食を作ろうとしたその日、冷蔵庫その他にどんな食材があるのかをあらかじめ電話確認したら「土産物でいただいた甘エビが、一昨日に食べきれずにまだ結構残っている」と聞かされた。鮮度的に、まだ刺身の状態で食べさせて大丈夫なものか微妙なところかなあと思った・・・それが可能ならば一品ぶん楽チンになるけれども、しかし、胃腸の具合でも悪くされたらイヤだし、かと言って処分するのはもったいなかろう。そこで、加熱調理しようと考えた。甘エビからの出汁(だし)を活かした味噌汁の風味が思い浮かんだのではあるが、なぜか、それを作ろうという気にはならなかった。   
   
 「はるさめ」を湯戻し。甘エビは頭、脚、殻、尾を取り去ってそれにて「出汁とり」の真似事・・・その汁と鶏がらスープの素、しょうゆ、塩にてスープを作った・・・「美味い」とも「何かおかしな味バランス」とも、どっちつかずのスープになったが、ミックスしてしまったものは一種、「覆水盆に返らず」だな・・・自分で勝手に「時間切れ」宣言。甘エビの身の部分、ワカメ、余りもののレタスを具とした「はるさめスープ」を作った(なお、言うまでもないが、甘エビ、レタスは加熱調理で食感・風味は変化する)。   
   
   
 途中で買って行った鶏肉は別の料理に使ったのであるが・・・。   
 鶏肉を適当なサイズに刻んだものを、まな板から皿に移すのでなくアルミホイルに載せた。筆者、包丁・まな板の衛生も気になるし、生肉が触れたものをきちんと洗うことも厭わない。でも、生肉を載せた皿を洗うくらいなら、皿を使うのでなくラップに載せてそのラップをあとで捨てるのが簡便で、(水道水も使わないので)環境にやさしい・経済的でもあると考えている。で、ラップを使おうと思ったのであるが、それの残りが少なくなっていた・・・ラップとアルミホイルとで代替利用可能なシーンでは、余り・在庫に余裕のある方を使うのが良かろうと思ったまでのこと。   
   
 現在高齢の世代にある人たちには珍しくないことと聞くが、父は、今日に於けるラップ、アルミホイル、菓子その他の個装紙などの使われ方・使い捨てにわりと抵抗感を持っている(ムダ、勿体無い、という感覚がある・・・これに対して筆者などはアメリカのような大量生産・大量消費を「使い捨て文化」と解釈・曲解しつつ「使い捨てが文化的・先進的」と考えて育ってしまっている)。手持ち無沙汰で台所にやって来た父は、筆者が鶏肉をアルミホイルに載せているものだからその様子をまじまじと見ていた。    
 鶏肉は、野菜その他と一緒に煮た。煮汁は日本酒、味噌、しょうゆ、砂糖・・・もちろん水もだが。落し蓋する必要も無かろうが、ここでアルミホイルで「即席落し蓋」をこしらえてかぶせた。その様子も父は見ていた。しばらくして、その落し蓋については箸でつまみつつクシャッと潰してゴミ入れへ無造作に捨てた。父は何か言うかと思ったが、何も言わなかったな。   
   
 いつの間にか、父は冷蔵庫の片づけをしていた。紙パック(1リットル)に残った牛乳を捨てて、その紙パックの中を水道水で洗おうとした。   
 「それはこれまで“燃えるゴミ”として捨てて来たんじゃない? どうせ燃やして処分されるのだから洗うだけ手間と水のムダになるよ。臭い予防のために“一度洗い”するくらいならともかく・・・。紙パックの横面をひとさし指の表側のこの関節で押さえて滑らせてこうやれば数秒でペチャンコに折りたためるからそれをゴミ箱に捨てれば、水洗いするよりも速くに事が済む」と説明した。   
 父は「これは、良い紙資源になるらしい」と言った・・・テレビか何かで再認識させられたのであろう。  
 筆者は、「たとえそうでも、それだけを分けて自分でゴミ置き場に持っていく気は無いんでしょ? 牛乳なんて1か月に1本か2本しか飲んでないんじゃないの? 牛乳の紙パックのゴミなど大して出るわけでないし、わざわざ水洗いしてもあまり意味があるようには思えないけど」と言った。   
 かくて、無事に(?)紙パックは可燃ゴミのゴミ箱へ・・・。   
   
 年寄りの「仕事」を失くしたり奪ってはいけないと聞くから、上のようなことを言ってはイケナイな・・・。   
    
 ただ、筆者自身のところでも、牛乳の紙パックはまったくリサイクル・ゴミとしていない・・・可燃ゴミに紛れ込ませる。   
 基本的にダンボール、新聞紙、雑誌、広告チラシといった資源ゴミは筆者が束ねることをしているが、「同様に紙系ゴミだから」ということで牛乳紙パックまで何かするのは御免だと思っている・・・「そんなもの、可燃ゴミに含めてしまえ」ということになっている。   
 昔、友人のお父さんだかお爺さんは「牛乳というものは、あれは牛の赤ちゃんが育つのに都合よく出来ているものなのだ。人間にとって都合良いものかどうか、また、都合悪いものが一切含まれていないのか、分かりはしない。だから俺は飲まない」と言っていたそうで、その当時、花粉症(当時はアレルギー性鼻炎と呼ばれた)に悩まされていた筆者は、花粉症の原因は牛乳摂取に有りとの俗説を耳にしていたこともあって、上の“俺は牛乳を飲まないポリシー”に感銘を受けた・・・そして筆者も牛乳を断つことにした・・・様々な偶然が重なったであろうが、何年かして花粉症は軽くなり、そのうち治ってしまった。その後、やがて牛乳を再び口にするようにはなったが、でも、「習慣的に飲む」という状況にはなっていない。だから牛乳の紙パックの分別には関心が無い。   
   
 ティッシュペーパーの紙箱も可燃ゴミの中。一度、「紙箱の内側から貼られているビニールは剥がしたうえで資源ゴミに出すべきなのか、それとも剥がさなくてもよいのか・・・電話で訊いてみようかしら」と言われたことがあるが、ああいうものもまた「同様に紙系ゴミだから」と、こちらが整理することになったりすれば困る(笑)。・・・ゆえに「いちいち電話で確認せずとも、ああいうものも可燃ゴミの中でよかろうに」ということになっているのだ。   
   

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クラシカルな某

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