2012-09

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人の感覚いろいろ(その4)



   
 (↑)今や、ついに市民権を得たばかりか超有名にもなったイカスミと魚介類を具にしたワンタン。外側が緑色したものはワンタンの皮にニラとターサイが練り込まれている。   
   
   
 ・・・というのはやっぱり嘘で、「生八ッ橋」。   
 八ッ橋の類についてはずっと前のこと、「本家西尾八ッ橋のを食べてみよ」と言われたことあるのだが、いまだに食べる機会を得られずにいる。   
 尤も筆者は甘党でないから、真剣にその機会を見つけようとは思っていないのだけど。   
   
 夜遅くにビールを飲んでいて、つまみに生八ッ橋に手を伸ばしたらミスマッチであった。この場合、組み合わせた自分がいけないのであって、ビールにも菓子にも責任は無い。  
   
 口にしたビールはアサヒの「ザ・エクストラ」350ミリリットル缶。特別限定醸造との表記がされている。   
 麦芽100パーセントのタイプのビールで、缶に印刷された説明には「最高級濃度のコク」、「アルコール度数 6.5 パーセント」、「良質なアロマホップ」等の言葉が見られる。甘い菓子と一緒に飲んでいたのでビールをきちんと味わえたか自分でも心許ないのであるが、このビールの味わいは、ちょっと不思議なものに思えた。   
 こちらとしては、麦芽100パーセントのタイプということで当然のように生じてしまう或る種・或るラインの期待がある・・・しかし、アサヒが提案する風味は大体の場合に於いて筆者の求めるものと違うのだということを失念していたから飲んでみて戸惑った。ホップのせいなのか、アルコール度数のせいなのか、表現しにくい独特のキレ感と清涼感を伴っているように感じたのだが、このキレ感や清涼感が、悪く言えば「ビール全体が水っぽい」ような印象すら与える瞬間が確かにあった・・・筆者個人の感想に過ぎないが。ゆえに不満も感じたわけであるが、しかし、麦芽感はそれなりにあって「悪くないかな」とも。トータルで「何とも不思議なビール」と映った。美味いかどうかと問われれば「美味い」。でも、何か余計な、ケチをつける言葉を発したくなるような、自分を落ち着かない気分にさせるビールである。無条件に「お、美味い!」と言ってしまいたくない気分にさせる何かがある・・・ビールを口にふくむたび、何か心地悪いキャッチボールを繰り返しているような感じがしたのであった。(以上、もちろん個人的な感想である。)   
   
 ビールを飲み終えたあと、今度はお湯割りした麦焼酎に替えたら、うむ、この菓子とわりと合うように感じられた。甘いものをそれほど続けては食べられないので、すぐあとには漬物などをつまんで飲んだが・・・。   
   
   
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 このところ夜はしばしば親世帯に出向き、介護の関係で徹夜または半睡状態で過ごす時間が多い。   
 音楽を聴こうと思えばそれが可能な時間があるにはある・・・でも、気分は音楽鑑賞になかなか向かわない。また、ヘッドホン、インナーホンなどで聴くのを長年にわたって嫌ってきた自分にとっては、それらで音楽鑑賞することは実に心地悪くもあるのだ。しばらく前のこと、夜中にヘッドホンで聴いていたら、親がこちらに声を掛けていることにすぐには気づかなかった・・・気をつけたい(持ち帰り仕事を処理したり、ブログ記事などをしたためているのがどうも向いていそうだ)。   
 パイネマン/セル/クリーヴランド管によるブラームスのコンチェルトのライヴ音源があって、それはエア・チェック音源であるため音質的に残念なものがあるのだが、以前スピーカーで聴いていて「あれ? ひょっとして左右チャンネル音が逆かなあ」と思ったことがある・・・それをヘッドホンで確認しておきたいと思ったのだが、そんなことすら果たせずにいる。   
 グレン・グールドが残したレコーディングを、或る理由から意識的に聴かなくなってしまったのであるが、このほどソニー・レーベルからリリースされた新商品ラインナップを目にしたら我慢できなくなってブラームス、ギボンズ、バッハのものなどを再度(というか3度目かそれ以上かな)買い求めることになった・・・まだ聴き直していない。グールドの、人気も高いモーツァルトについては、昔から好んだり遠ざけてみたりを幾度も繰り返した末に、今現在、あの演奏にはやはり寄り添えないだろうなあ。   
   
   
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 「埼玉」、「名古屋」、「卓球」。   

 ・・・相互に無関係であるかに見えて、しかし、共通点がある。タレントのタモリ氏によってマイナス・イメージが与えられてしまったであろう過去。これは、過日のロンドン・オリンピックでの卓球の試合を見ていて思ったこと。   
   
   
 昔、筆者は愛知とか名古屋とかについては「両口屋是清」の和菓子から勝手に膨らめてしまった独特のイメージを持っていた・・・それは「憧れ」などとはちっとも違うのだけれども、しかし、かなり良いイメージ。   
   
 それが、タモリ氏の言葉によってイメージは変化し、自分のなかの「名古屋」像は歪み、きしんでしまった。   
 今だって、拠点責任者会議の場などに名古屋の、わりと素敵な女性が参加して来ると、「この人も自宅などでは“海老フリャア”などと喋っているのかなあ」と、どうでもいいようなことをついつい考えてしまうのである・・・もちろん、そんなことなど当人の人間性とは関係も無いのだけど・・・こういう雑念をどうすればいいのかな。   
   
 「尾張小牧」ナンバーのクルマを目にすると「何かいいよな」と思う。「尾張」に風格がある一方、「小牧」という地名が帯びる「音」的な軽み・・・そのコンビネーションがよいと、筆者は感じるのだ。これは勿論、関東育ちの自分が感じることであり、でも、しかし、小牧については仕事上そのほかで全く縁が無いわけでもない。筆者とはまったく異なる意見があるかも知れないが、でも、「尾張小牧」というのは、何か、よいのだよなあ。   
   


人の感覚いろいろ(その3)

   
 子供の頃も、そして今だって、買い物を頼まれれば時間が許す限り、あるいは「出歩くついでに」の感覚で気安く応じる。   
   
 売り場をめぐるスピードは自分にとっては大切なこと。ゆえに、買い物すべきものの内容から「こういう買い物なら、やはりあのスーパーが良かろう」と決まってしまう場合において(買い物する品に鮮魚が含まれるならばあの店が良かろう、雑貨類はあの店は概して割高な記憶があるよなあ等、それぞれの店には特徴があるものだ)、買い物すべき品のメモが、行こうとする店の「売り場スペースの順」と一致していない場合はほんのちょっとだけ憂鬱になる。   
 たとえば、売り場コーナーの並び順が「魚類-肉類-食肉加工品・・・」となっている店で買い物しようとする場合、買い物メモに「ハム、ブリかサワラか何かの切り身の魚、豚肩ロース肉」と並んでいればメモを添削する・・・普通に文章添削する場合の「語順入れ替え」と同様の記号を書き加えるわけだ。   
   
 また、パッパッパッと売り場をめぐるためには、魚でも肉でも「どのトレー/パッケージを選ぶか」の決定を素早くしたい。それでも、しかし、たとえば豚ロース肉薄切りを買い求める場合であるならこんなことをサッと考えて買い物する:   
   
 「このへん一帯が300グラム前後のトレーなんだな。ん、手前のこのあたり、賞味期限が向こうより1日早いな・・・昨日の売れ残りか・・・ならば、あのへんは・・・よしよし、あのへんから選ぶか。俺は脂身部分が少ないものを好むからこれなんかがよいと思うのだけど、ほかの人にとってはこれは少ないと感じるだろうからな・・・ならば、よし、これにしておこうか、それが世の標準感覚なんだろうな」みたく・・・。   
   
 野菜・果物は価格変動が大きく、したがって「このくらいの値段なら、ま、適切な値段だな」との判断も加えつつ品物の点検・選択を素早く進める:   
   
 レタス: しっかり持ち重りがして、ついつい「お値打ち」という言葉が思い浮かぶ品   
 グレープフルーツ: 手のひら上でポンポンと弾ませたくなるような軽さを感じる品   
 ニラ: 下端の切り口に段差が見受けられる品   
 ナス: ヘタの切り口が茶色・黒色をしている品   
   
 ・・・などなどはなるべく、あるいは絶対に避けるようにしている(でも、ひょっとすると誤解もあるかも知れないが)。   
   
 で、プラスチック製の網に載ったナスの全体を観察しつつも切り口の色合いなどチェックしていると、すぐ脇でやはりナスを買おうとしているどこかの奥さんがこちらの様子を不思議そうに見ていることがあるのだよな・・・そして首をひねりながら同じように切り口をチェックしようとナスを転がす。こちらが神経質に過ぎる、割り切った買い物が出来ない、そんな少数派なのだろうかと、ときどき思うこともある。   
   
   
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 しかし、最近は、そんなにせわしなく買い物しなくなっているかな。自分以外にも中年オヤジの姿を発見することはちっとも珍しくないので、何というか「家庭の、所帯じみた買い物するのは気恥ずかしい」的な感覚が薄れてしまったとも言える。   
 で、どこかの棚の前でちょいノンビリしたりすると、70歳くらいのオバサマに声を掛けられたりもする:   
   
 「ソースはどの製品を使っていますか? おいしいのが無くて」   
   
 うーん・・・棚をパッと見渡すと、自分のうちで使っているのと同じ銘柄のものが見当たらない。「うちでは○○のを使っていますが、ここには無いようですね・・・近所だと確か××には置いていたような気が・・・。お口に合うかどうかは分かりませんが、わたしは好みが今風でないものだからあれなら許せるという感じで嫌いではないです」などと会話することになる。   
   
 「自分は背が低くて届かないから・・・」ということで、棚の高い位置にあるナントカいう香辛料を取ってくれと、上品このうえないお婆さまから声を掛けられたこともある。手前のと奥のと2本を取り、「ああ、やっぱり奥のものが品が新しいですね」と言いながら渡してあげたことがある(商品の先入先出が徹底していないと手前側が新しいこともある)。しかし、あの人は、きっと筆者が口にしたことないような料理をこしらえるのだろうなあ。  
   
   
 買い物している奥様方には面白い人がいたりする。   
   
 かなり前のこと、イワシがとても安いことがあった。全体サイズも体の膨らみ具合も、そして頭部・眼の透明感や体の色合い、尻の部分からちょっとだけ覗ける内臓の色合い・しっかり感といい、ラップの上から腹を指で押さえてみる必要もない、ちゃんとしたイワシが3尾で200円くらいだったかな。(イワシは、鮮度がよくてそれなりのサイズなら塩焼きが、また、鮮度がイマイチだったり、あるいは鮮度に拘わらずサイズ的に寂しいものは煮付け(煮汁に梅干を落とすも良し)が好ましいと思っている・・・イワシの刺身も美味いけれども家庭でそれを手際よく実践できているケースは実際のところ少ないのではないかと想像する。)   
 ま、ともかく、身も大きくて美味そうなイワシが安かったわけである。どこかのリッチそうな夫婦がそれを前にして、その奥様らしき人は一言、「あら、イワシ・・・高いわね」と言った。   
 驚いた。この人たちは一体・・・姿格好に似つかわしくない不思議な金銭感覚を持っているなと思えた。   
   
 では、あの人たちは何を幾らくらいの値段なら買うというのだろう・・・。   
   
 その答えはすぐ明らかになった。   
   
 イワシが置かれたコーナーのすぐ向こうへと移動した彼らは、買い物カゴにカニを入れた。   
   
 思うに・・・彼らが育った時代ななどの感覚で「イワシなんぞにこの値段は高すぎる」という意味で「高いわね」と言い放ったのではあるまいか。   
 いずれにせよ、筆者はイワシの塩焼きが好きだ。    
   
   
 スーパーで買い物していて、70歳前くらいの女性に声を掛けられた。手にしている商品にはシールが貼られていて「レジにて(表示価格より)30パーセント引き」と書かれている。女性は「これは、この値段から30パーセント値引きしてくれるという意味ですか?」と筆者に尋ねた。   
 筆者は、「そういう意味だと思いますよ。今日の日付が○○日でしょ、この品は加工日が昨日で賞味期限が明日に迫っているのでそういうサービスなんですね、きっと」と答えた。   
 女性は、「あら、いやだ!」と言って、商品を棚に放り投げた(文字通り、放り投げるようにして元の位置に戻したのであった)。値段のことはおいておくとして、出来るだけ新鮮なものを求めたいという感覚はよく理解できるし同感である・・・しかし、この女性のこの反応・所作には驚いた。   
   
   
 「あら、いやだ!」と言えば・・・。   
 やはりスーパーにて・・・。   
 「さつまあげ」がバラ売りされているコーナーがあった。客は、トング(パンその他を挟むのに使う金属製の道具)で買いたいだけポリ袋に入れる。   
 或るオバチャンが、さつまあげを袋に入れようとしたところで誤って一つを床に落としてしまった。   
 オバチャンは「あら、いやだ!」と声をあげ、落ちた品を手でつまんでそれを商品ケースに戻した・・・事情を知らぬ他の客が買っていくことになるわけだなあ。ずっと昔に読んだ向田邦子女史(故人)のエッセイにあった「見ぬもの、清し」だったかの言葉が頭をよぎった。   
   

人の感覚いろいろ(その2)


   
 主として外で食事する場合に関して「ラーメンに比べると蕎麦は高い」という意見がある。提供される料理(商品)が感じさせるヴォリューム感なり栄養万点感なりと金額とのバランスに着目すればこの意見に頷けそうに感じられるが、しかし、上の言葉には「蕎麦は割高なのだ、蕎麦店は高すぎる価格を設定している」との含みがあるように感じられる。確かに「この店は、ざる1枚がこの量でこの値段かよ、高いよな」みたいな店もありはするけど、そのような店にあたる確率はそれほどまでには高くないように思っている。   
   
 製麺業者が納入するラーメンの麺の価格、蕎麦店が手打ちなり機械打ちなりするときの蕎麦粉の価格や「蕎麦きり」状態までもっていく労働コスト、また、ラーメンや蕎麦のスープ・汁をこしらえるまでのコストなど考えたとき、上の意見が正しいのかどうかはよく分からない。   
   
 ・・・などと思っていたら、上の意見に続いて「でも、ラーメン店の値段も実は高いと思う」との言葉を聞かされることがあった。なぜそういう見解に至るのかというと、「焼豚の豚肉の原価なんてこんなもんだろう」、「卵なんて1個いくらくらいだし」、「メンマを大袋で買うと実はこんなに安い」というわけなのだな・・・。   
 ラーメン店ならラーメン店が店を構える費用(家賃、建築費/固定資産税)や、設備投資回収/減価償却費、スタッフ人件費、経営者の取り分(儲け)、光熱費などなどはどうなる? 経営者もスタッフもみんな無報酬・タダ働きで「おいしいラーメンを味わっていただく喜び」のみを生きる糧としてラーメンを提供してくれるなら、そして、「或る味」が探求・実現・維持されるまでの研究・工夫・努力とそれがもたらす付加価値が完全無視されたときには、きっと彼の「お望みの価格」に近い水準でラーメンを食することが出来るかも知れないなあ。   
   
 だが、上のような「困った感覚」を笑い話として片付けてよいものか・・・デフレ圧力はどこから発生しているか・・・発生源は複数あると思うのだが(店側が「安くしなくては生き残れない」的な危機感を抱いて自発的に価格を下げるケースを含む)、しかし、消費者/購入者/利用者などなどの側が、単に「より安い店」を見つけよう/選ぼうとするばかりでなく、店側に対して「儲けることを許すまじ」みたいな感覚すらも心の奥底に持っていそうなところも忘れてはいけない間接的デフレ圧力になっているのではないか。   
   
   
   
 割高感を感じるといえば、宅配ピザにそれを感じる・・・これは筆者の個人的な感覚に過ぎないが。   
 仮にもし「あなたが想像するよりもチーズの値段は高いのだよ」、「多様なトッピングに備えて、用意する食材もいろいろになり、生じるロスも案外と大きいのだよ」などと説明されれば、うーん、或る程度までは理解しようという気になるが、でもなあ。   
 「宅配するという、その点でのコストが大きい」と言われたほうが納得しやすいかな・・・ただ、ずいぶん前の事になるが、「おい、何だよ、宅配ピザのバイク/スクーターは歩行者・自転車よりも優先するのかよ、道路交通法のどこにそんな規定があるんだよ」と不快な思いをしたことが複数回あったので、気分的には「宅配コスト」を顧慮したくないものがあったりする。   
   
 職場でときどきピザを注文する。筆者はピザが好きでない。先日のこと、某コンビニのチラシを目にしたらそこに「おでん」の予約注文票が用意されていた・・・「たまにはピザをやめ、おでんもいいじゃないか・・・職場メンバーをそう誘導してみようかな」と思った。   
 あの「3.11」で人員供出などあって「ひとり当たりの仕事量」は増加し、読書会/輪読会(もちろんビジネス書)のプランは棚上げせざるをえなくなった。この秋からは実現できるだろう・・・でも、「おでんをつまみながら」というのでは緊張感に欠けるかなあ・・・しかし、こういうことにおいてまで緊張を求めたくなどないのだ。   
   
   
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 ただいまの 日 中 関 係 についてはいろいろ書き連ねたいことがあるのだが、やめておく。  
 歴 史 認 識 、日本から中国に対して為された政府開発援助について一般の 中 国 の人たちはどう承知・理解しているか・どう評価されるべきか、外交力とはどのような要素の集積であるのか、などなども含め、思うことは山とあるのだが、さて筆者自身の認識や感覚が正しいかどうかも心もとなかったりするので・・・やたらなことは書くまい。   
   
 今日の事態を、ピ カ チ ュ ウ もきっと悲しんでいる・・・と思う。   
 下のは、某コンビニで貰った、コマ(独楽)と、それを回してくれるいわばエンジン的なものがセットになったオモチャ・・・子供のための品であり、コマを回してみてもさして面白く感じないわけではあるが、このキャラクターを目にするたび心がなごむ。   
   


雑記



   
 アサリの酒蒸しの話をしていたときのことだが・・・。   
   
「アサリの味噌汁を作ろうとして砂抜き処理しようとすると、いつまで経っても貝が閉じたまま。そういうアサリを調理するとちゃんと貝が開いてくるが、味噌汁の中のアサリを食べたときにときどき砂を感じる」と言われた。   
   
 ふーん。砂抜きは・・・要は、水道水にテキトーに食塩を溶かしておき、そこにアサリを浸せばよいだけだよね。   
 溶かす食塩はしっかりした量・・・ものの本によると水1カップにつき塩は小サジ1だそうだが、うむ、確かにそのくらいになるだろうなあ。きっちりこの濃さに従おうとするなら、貝を並べようとするボウルやバットに、カップを使いつつ「このくらいの水量でいいかな」と思える量の水を注ぎ、それがたとえばカップ2杯だったなら小サジ2杯の食塩を入れてかき混ぜて溶かすということになる。そこにアサリを入れる。塩水は多すぎぬよう、アサリの体というか貝殻の一部が水面上に顔を出すくらい・・・多すぎる塩水はカップ、おたま、スプーンなどですくい出して捨てる。   
 アサリを入れたボウルなどは比較的静かな場所に置き、新聞紙をかぶせて薄暗い環境に置く(子供の頃、その新聞紙をめくって中を覗こうとして母親から叱られたことがある)。アサリが酸欠死などせぬようボウルなどの一部には新聞紙がかからないように、などと考慮したことは無いなあ・・・変にそのようにしておくと、アサリが吐いた水が周囲を汚すこともあろうし・・・。   
   
 冒頭の写真は、砂抜き処理を始めてしばらくして、新聞紙を取り除いたときのアサリの様子を撮った際のもの・・・画像真ん中あたりのアサリが、今まさに水を吐き出している。   
   
   
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 下の写真の左のは黒ビール、右のは「ビール」ではないビール系飲料。   
   
 右の品は、以前に飲んだときは微妙に「気になってしまうような、好きになれない風味要素」があったように記憶するが、今回、左の黒ビールに続けて飲んでみたところでは、スイスイと飲め、そして好感を持てた。1杯目に飲んだ場合にどう感じるか分からないが。   
   


人の感覚いろいろ(その1)



   
 或る店で・・・背後の席の二人連れ客の片方は黒ビールを飲んでいた。その相方は「黒ビールの、この黒い色がダメなんです。目にしただけで飲めない、この黒い色を見つめていると気持ちが悪くなってしまう」と言った。   
   
 そうかなあ。その黒さが墨汁の如きのトーンであったなら、ひょっとすると自分も同じ気分に陥るやも知れぬが、あれと黒ビールとでは色合い・濃さ加減をはじめ大きく違うものがある。黒ビールを自分でグラスに注ぐ時も、あるいはオーダーしてそれが注がれるのを目にしているときも「美味そうだ、はやく口に運びたい」と心はワクワクしてしまう。   
   
 食べ物・飲み物の色合いは大切だ。筆者個人的に「この色合いは苦手」と感じたことあるのは、アメリカのアイスやゼリービーンズなどの一部に見られる原色、また、日本の「食材」ということになるが鯉の切り身から流れる血の色、そして今年の夏に接したチェリオ(清涼飲料)のスイカ味の色合い・・・とかかな。   
   
   
 冒頭写真の左のはスコッチ・ウィスキーのブレンデッドとして超有名なオールド・パー。酒に対してそれほどには興味の無い或る人はこのボトルの表面の模様を目にするたびマスク・メロンを連想するのだそうだ。面白い偶然で、筆者はマスク・メロンを目にするたびにこのウィスキーを連想してしまう。   
   
 写真の右は乾燥タイプの「米こうじ」。   
 料理に凝ることはするまいと思っているのだが、「塩こうじ」を自分で作ってみようと思った次第で・・・。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
 或るママさん社員によれば、「男は、野菜炒め・焼きそばが調理できなくてばいけない」のだそうだ。当然の前提として、それらの料理が好きでなくてはいけないらしくもある。   
   
 そうか・・・。   
 筆者はいずれも好きでないのだが、そも自分の手で料理を作りたいとはあまり思うことが無かった。でも、多少の興味はあった・・・「こういうものを自分で調理してみたいな」と強く思ってきたのは「ナスの煮びたし」「とうがんの煮物」「自分で串刺ししたうえでのアユの塩焼き」「カレイの煮付け」とかなんだよな。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 2か月くらい前のことになるかなあ。イオン/ジャスコに行ったら店内にセールの広告ポスターが下がっていて、若い女性の顔写真とともに「たまげた」というキャッチコピーが出ていた。たぶん「安いのでたまげた」という意味・メッセージなのだろうけど、若い世代はもちろん、いま時点の老若男女が果たして「たまげた」という言葉を日常的に用いるだろうか? でも、その、「最近はあまりお目にかからない言葉だよな」的な感じが良いのだろうか。   
   
 下のは某社の新聞広告の一部分で、「勉強する」とは「お値段を安くさせていただく」の意味であること言うまでもないが、このような言い回しも最近はかなり珍しくなったかと筆者は思っているが・・・。   
   


雑記



   
 (↑)泡盛。「古酒」との表記もされている品。これは1升ビンで、アルコール度数は43度。   
    
 ストレートでも味わいはしたが、やはりどうも「風味が立ち上がって来ない」みたく思えてお湯割りとした・・・湯:酒=おおむね2:1。美味かった。   
   
   
   
 今年の夏も暑かった。   
 外で飲んだときであろうがそうでなかろうが、入浴前や就寝前など、ともかく深夜にビール、またはそれ以外のビール系飲料を口にしてしまう日々・・・。「夜遅くにビールを飲むと太る」とする説があり、かつ、「中年期以降は特に注意を」などとも聞かれるが、9月上旬の現在、体には何の影響も無いなあ・・・筆者の場合、ビール+ラーメン、ビール+ピザなどなどのパターンは皆無ではあるが。   
   


雑記


   
 「海苔巻き」は、なぜ「海苔巻き」と呼ぶのか? ・・・外側を海苔で巻いているからだろう。   
   
 「かんぴょう巻き」は、なぜこのように呼ぶのか? ・・・中心のタネ/ネタが「かんぴょう」だからだろう。   
   
 「かっぱ巻き」という名はどうして? ・・・中心のタネが「河童」なんだろうな、きっと(ん?)   
   
   
  
   
 「アスパラのベーコン巻き」・・・ベーコンで巻くからこの呼び方でいいんだよな?   
     
 だとすると、たとえば、芯が「じゃがいも/ポテト」で、その周囲を豚薄切り肉で巻くという料理があったとする・・・これは「ポテトの豚肉巻き」と呼ぶのが良さそうに思える。   
 が、下のは、そのような料理内容であるのだが、呼称は筆者の考えと異なるのである・・・料理というものはむずかしい(笑)  
   


某市における「リアル飲み友」さま限定ご連絡・・・昨夜の酒の肴について

   
 説明したとおりのURLとファイル名でアップロードしてあります。ファイルをダウンロードしたのちに末尾の拡張子を ".mp3" に変更すれば、MP3対応のメディアプレーヤーで音声の再生が可能です。   
   
   
 (説明)   
   
 (以下、削除)   
   
   

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