2012-08

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秋の揃い踏み?



   
 いまの時点で、大手メーカー発売のビール系飲料のうち「通年レギュラー商品ではない、秋の限定商品」としては上のようなものを目にすることが出来る。(まだ他にもあるかも知れないが網羅的にチェックしようというつもりが筆者には無い。)   
   
 筆者個人の「気に入った順」で左から並べてみた。結果的に左2本は「ビール」で、右2本は「ビール」ではないビール系飲料。   
   
 一番左のサッポロの「日本の彩 PREMIUM 」・・・麦芽が放つリッチネスをどこまでもとか、際立つホップ香や苦味を効かそうとか、そういうことではなしに、「フツーの日本人がフツーに親しんできたビールの旨さの延長上に、やさしさ・節度を伴った豊潤さを」と言うのかな、ともかく、飲んだ瞬間に「これを美味いと感じない人がいるだろうか?」という感想が生まれ、また、顔もほころびそうになる味わい。コンビニにて冷えた商品を買って帰ったのだが少し温かくなってしまったかに思え、飲むまでのあいだ冷凍庫内のアイスノンに接触させて保管・・・取り出して缶に触れたら冷えすぎと感じられたのでしばらく放置。するとビールは偶然にも最適温度になっていたと思われ、それこそ美味であった。  
   
 左から3番目のサントリーの「秋楽」は「あきらく」と読ませる。しかし、お気楽に商品企画されてはいないと思える。ローストされた麦芽を原材料中に含むからその味わいは人によって好みは分かれよう・・・エールと呼ばれるビールや黒ビールなどすべて苦手という人には親しみにくいかなと思う。逆に、「いろんなビールが好き」という者にとっては、この品を飲むのに最適な温度を見出すとか、(「ビール」でないビール系飲料ゆえの)粗探し・限界点探しをも含め、楽しみがあれこれあると思える。飲み口・味わいは筆者の好みにはわりと合った。   
   
   
   
 下のは、例のごとく料理説明用に撮ったもののひとつであるが、時間が無いので写真だけ・・・ま、水洗いしただけで皿に盛ることが出来るという、最高に楽チンな品ではある・・・殻剥きし、卵も洒落た形で添えなおして皿に盛るとかは時間があるときでないと苦しい。なお、これはグリーンランド産。酒などの飲み物は、こういうものにもマッチする・拮抗できるものでないといけない。   
   


雑記



   
 春宵一刻値千金   
   
 秋宵一缶値百均   
   
   
 「春宵・・・」の意味については説明省略。   
   
 「秋宵・・・」の意味はこういうこと: アサヒの「秋宵(あきよい)」は「ビール」ではないビール系飲料であるがために廉価であり、たとえば「6缶まとめ買い」などすればその値段は1缶あたりで105円前後ということだってありうるわけで、つまりは百円ショップ商品並みのお手頃価格なんだね・・・と。   
   
   
 で、写真左の「秋宵」についてであるが・・・。   
 「冷やしすぎ」状態とそうでない状態とで口にしてみたのだが、「味らしい味がしない」あるいは「味が淡すぎる」という感じであった。「イヤな風味、気になってしまう後味」を感じないかわりに、「これを飲む甲斐は何なのか?」と首をひねってしまいそうな、そんな味の薄さがあって肩すかしを食らった。もしも商品名に「秋」の語・文字を伴っていなければ、筆者は「軽快にクイクイ飲むのに最適ではあるまいか」みたいな感想を書いたかも知れないが、しかし、「秋宵」なるネーミングをするからにはそこには然るべき責任というものが発生するだろう(笑)・・・少なくとも日本人の消費者はどうしたってそこに味の「深み」や「濃さ」などを期待するだろう。   
 缶に表示されたキャッチコピーには「芳醇なコク」という言葉がある・・・アサヒが「キレ」という言葉を使うとき、それは筆者が思い描くものと一致するように思うのだけど、「コク」という語に関しては違いを感じるのだよなあ。   
   
 「秋宵」というネーミングではあるが、ちっとも秋が深まってなどいない今時分の夕刻や、あるいは日中のバーベキューなどの折り、グイグイ飲むのに好適な飲み物か。     
   
 他方、写真右のは「ビール」。   
 このシーズン商品は去年も飲んだと思うが、相変わらず美味い。   
 一口めに少しばかり「酸っぱいかな」と感じたが、それは気のせいか。二口めからは文句無し。   
   
   
 ビール系飲料に限らず、日本人が口にする飲み物をつくるメーカーは大変だなと思うことがしばしばある。さきほどの「秋宵」にしても、筆者が「つまみ」に肉系のものを選んでいたら感想はもっと違っていたかも知れない。    
   

エリンギで稟議、デロンギで論議

   
 (↑)ダジャレのためのダジャレに過ぎない。キノコ栽培会社の商品開発関係の決裁手続やら、某社福利厚生施設の暖房設備更新の話題ではない。   
   
   
 「食べもの」は、多くの場合に「他の生命を奪うこと」と結びついている・・・たとえば豚肉もサンマも大根も。   
   
 ・・・と、ここで、食事の前に「いただきます」なる言葉を発することの意味あいを考えてみようなどと書くつもりは無い。   
   
 子供の頃、ボンヤリとだけど、「肉よりも魚を好む自分は殺生係数(せっしょう けいすう)が高いよな」と思ったことがある。いや、「殺生係数」という言葉を思いついたのは高校生くらいのときだけど、それより前の子供の頃にこう思ったことがある:   
   
  
 「豚でも牛でも1頭の命を犠牲にして得られる肉は何人ぶんもの食事になる。それに比べて魚の場合はアジ1尾で人間ひとりぶんだよなー・・・味噌汁の出汁のための煮干しで犠牲になっている命の個数は? ご飯にかける“ちりめん”は幾つぶんの命の集まりか?」   
   
 もっとも、それで胸を痛めたわけでもないし、マグロ、(魚ではないが)クジラ、あるいはブリ、サケなど考えれば、1尾/1頭から得られる食糧は必ずしも少量でないなと、そう思い直したが。   
   
   
 あっ、「殺生係数」なる妙な言葉の意味を説明するのを怠ったが、「おおむねどんな発想か」は分かってもらえることと思う・・・ただ、誰彼に対して「これを意識して日々を暮らせ」と説くつもりは無いし、そもそも筆者自身がそういうことを思うのは年に数回のことだけであるし・・・そして、牛1頭とクジラ1頭とを比べたときの捕鯨の合理性を説明できぬものかと思ったりもしているくらいだし。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 コノシロ/コハダ/シンコ・・・それに、ママカリなども好物である。   
 コハダと称して(総括して?)売られているものは、旬・サイズなど意識しつつ「好み」「こだわり」に従って食するのが良いのだろうが、「あまりにデカイよな、いつ獲れたものなんだ? 味は?」と思えるようなものでも、ともかく、既に酢漬け/酢じめされたものを、さらにテキトーに少しばかりの砂糖を加えた酢(米酢がベター)を用意してそれにしばらく浸したあと適当なサイズにカットしたうえ、たとえばスライスしたタマネギなどの上に盛っても魅力的な「おかず」のひとつに仕上げられる・・・と感じている(ただし、筆者個人はこの場合にタマネギ不要だが)。   
 新聞(日経)に連載されている小泉武夫先生の直近のエッセイもコハダのほか、マアジ、マコガレイなどに関わるものであった。偶然であるが、筆者も親のためにコハダを買ったところであった・・・風味・食感によるリフレッシュを願って。   
   


雑記



   
 鶏の砂肝を、しょうゆベースの味付けで煮たもの。   
   
   
 調理前の、たとえばスーパーの食肉コーナーなどに並んでいる状態の砂肝を見たことがないという人は少ないと思うが、一応、このブログ記事の末尾に載せておく。冒頭に載せたりすると、「うっ、生のこれはキモイので見たくないんだよね」という人もいらっしゃるだろうから・・・「自分には心の準備が必要そうだ」と思う方は画面スクロールをゆっくり慎重にして下さい。   
   
   
 筆者が行くことあるスーパーでは、レバーや砂肝は高めの位置(棚)に置いて売っているな。「買っていく客は少ないだろう」と思ってそういう置き方をするのか・・・そして扱い量(トレーにのせて売っているパッケージの数)も少ない。だが、ひょっとすると、「見た目がキモイのよね」と感じる客の気持ちをおもんぱかって高い場所に置くのかも知れない。ただ、しかし、女性の平均的身長を考えると、砂肝・レバーなどは「どのパッケージの品物が色合いその他、良さそうかな」などと品定めするには具合悪い位置にあると言えるのではないかなあ。   
   
   
 さて、この料理はとても簡単なものである。   
   
 砂肝をどのくらいのサイズにカットするか(まっぷたつ程度? 一口サイズ? 小さめスライス?)、風味付けをどうするか(鷹の爪? 八角? ショウガ? ニンニク?)、レバーも一緒に煮るか・タマネギなど加えて煮るか、などについては人それぞれに流儀があろうけど、でも、その時その時の気分に応じてヴァリエーションを楽しめる。   
   
 酒の「つまみ」として自分でつくることが時折あるが、今回は親のための食事中の一品。(ただ、歯が悪いほうの親にまで食べてもらうことは最初から諦めたが・・・どんなに薄くスライスしても食べにくかろうから。)   
   


すももももももももにくも、きっと体に良かろう


   
 (↑)スモモも桃も、(鶏・豚などの)もも肉も、きっと体・健康に良い栄養成分を含んでいることだろう、という意味。   
   
   
 ホーレン草、ナメコなどをどこそこから頂いたなんてことがあると、「えっ? こんなに沢山かよ」という場合がある。しかし、これらのものはたとえ「山ほど」でもそれほどの日数を経ずしてちゃんと食べ切ってしまえるものだ。   
   
 ジャガイモ、白菜、レンコン、ネギ(下仁田ネギっぽいタイプ)などをたくさん頂戴すると、消費ペースはどうしても追いつかず、使い切れずに廃棄処分になってしまうものが出てしまう。惜しいことだ。(適切な保管方法をとっても消費の絶対量が追いつかない。)   
   
 スイカなどは、食べ切れそうもないほどに頂戴すると、そんなことがあっては勿体ないと思ってすぐさま知人のところまで届けるか、電話して取りに来てもらう。   
   
 下のは今時分の桃・・・。   
 暑さのせいか、それとも飲酒によるミネラル・バランスの崩れによるものか、体調がすぐれず・・・。すると、「桃が良いぞ、食え」と頂戴し、あっという間に自分ひとりで4つ平らげてしまった。気分的には残りの3つもペロリと行けそうであったが・・・。体調も急回復しているように実感する。   
   


雑記



   
 それなりに飲んで食べたあと2軒目以降に寄る店では、食べものは「ちょこっと」だけ欲しいということが多い。しかし、酒類以外は何も要らない気分のことも珍しくはないし、逆に、なぜか「まだまだ食べたい」ということもありはする。   
 食べ物を「ちょこっと」だけ口にしたい場合、まず心に思う浮かぶのはカマボコや漬け物など。カマボコはちゃんとしたカマボコだと嬉しいけれども、そうでなくても、ま、許せるし、さほど気にはしない。   
   
 最近、外で飲んでも早めに切り上げて帰る。・・・なので、これまでは2軒目として寄っていた店については「最初に足を運んでおかないと長くのご無沙汰になりかねないよなー」と思って1軒目に寄ったりもするが、しかし、つい長居して気がついたら時計もかなり回っていてすぐさま帰宅とか、結果として飲むルートが変わってしまっている。   
   
 そういう「2軒目扱い」だった或る店・・・そも最初は、こちらが(メニューに無いにもかかわらず)「カマボコかチクワかハンペンがあったら嬉しい」と言ったら次回以降それを覚えていてくれたのでよく寄るようになったのだけれども、先日以来、ウナギを3回勧められ、そして3回食べることになった・・・ウナギは、無理に夏に食べなくてもと思っているし、「好物」ということもないのだけど。   
   
 ウナギの値段が高止まりしたままではあるが、その店では出入りの魚介類取扱業者からウナギを安く仕入れたという・・・取扱業者の側は「仕入れすぎてしまったがゆえに売りさばきも行なった」ということらしいのだが(同様の話は過去、他の店でも耳にしたことがある)、こちらとしてはリーズナブルな値段で口にすることが出来たので喜ばしい。   
 しかし・・・1軒目として寄って飲み、そして食べ始めても、つまみがウナギの、それも蒲焼だと、他のものをあまり食べたいと思わなくなる・・・それがウナギの欠点かな。それだけウナギは「お値打ち」なのだと考えるべきかな。   
   
   
   
 親の食事を作ろうとして、「今日はちょっとだるいし、刺身で楽をするか」と思った。しかし、「赤魚の煮付けもいいよな」と思った。スーパーに寄ったら、赤魚は、「生」または「冷凍」、「解凍してそのまま」のものは見当たらなくて、「解凍後に粕漬け」のものばかりであった・・・粕漬けは両親揃って好まない、あれを焼いても文句が出そうだ。   
 改めて「何かの刺身にしておこうか」と思ったが、結局ウナギとした。価格高騰のせいもあろう、小さめカットのものがあり、それはむしろサイズ的に好都合なのであった・・・普通の人の目から見て「標準量」と感じる量だと、筆者の親たちは「ちょっと多い。食べ残すけどこれはまた明日食べる」ということがよくあるのだ(肉料理などはそれなりの量をしっかり食べるのに、ウナギの食感や脂、さもなくば蒲焼のタレの風味はまた別物ということだろう)。   
   
 冒頭の写真は、左はそのウナギであるが、右は長芋を輪切りにしたものを鍋に入れたところ・・・このあと、だし汁で煮、さらに砂糖・塩・醤油・みりんなどを加えて煮物に仕上げた(調理作業順に写真を何カットか撮ってレシピを書いてみようと思ったのだが、そういうことはどうもやはり筆者の性分に合わないように思えてヤメにした)。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・   
   
   
 しばらく前の日経新聞・土曜版にはダニエル・カール氏へのインタビューが載っていた。   
 最近テレビで見ないけれども、以前はその姿を目にするたび「この人、ちゃんと英語を喋れるんだろうか?」と思ってしまったものだ・・・おかしいよな、そういう感想を抱くのは。   
   
 その新聞記事によれば、氏は納豆好きとのことである。そして、蕎麦に納豆をのせて食べると美味いとも言っている。   
   
 この意見には賛成である。ただ、興味あるのは、その場合、どういう納豆が一番の好みかという点。蕎麦と一緒に口に運ぶ納豆は「ひきわり」タイプのものがベスト、さもなくば極めて粒の小さいタイプの納豆こそと、筆者は思うが。   
   
 冷奴のうえに納豆をのせて食べるのも美味と思うのだが、これまた「ひきわり」タイプ、または粒の小さいものが良いと思っている。でも、大粒のものこそ、という人もいるのかな。   
   
   
 下のも調理の写真。切り身状のキンメダイを煮付けているところであろう・・・日数が経過すると何の写真だか思い出しにくかったりするな。   
   


イオンの言わんとするところ



   
 上のは、新聞に載ったイオンの意見広告から。   
   
 イオン向けのビール卸売り価格が原価割れ状態だったとか、公正取引委員会がイオンに対して或る協力要請をしたとかの問題は、いろいろ考えさせられるものがある。  
   
 ・・・と、ここで、「原価とは、原価割れとは何か」、また、原価という用語を用いるかどうかにかかわらず原価っぽいものを算定するうえでの費用アロケーション(配賦)のヴァリエーションの可能性のあれこれを見つつアンチダンピング法制、移転価格税制などなどと、そしてまた企業の(安全なる)価格政策について論じたいところであるが、一大論文級にやたら長くなるのでヤメ・・・。  
   
 小売業界には次のような感覚があると指摘することは誤りか? 「安さこそが、今や我らの存在意義であり生き残りの条件である。他のどこよりも安く売るぞ。そのためにはどこよりも安く仕入れるぞ」的な感覚。   
 現状、こちら消費者の期待ライン・妥協ラインよりも低い店頭価格が提示されていると感じるケースも稀でないが、小売業界がどんどん安値を仕掛け、卸売業者に対して「我々は消費者にどんどん安値を提示する、メーカーさん・卸さんもそれについて来いよ」という卸価格ドライヴを効かせ続けるとどうなるのだろう。結託とは別種の「小売業界・メーカー・卸売業界での、互いの利益を尊重して繁栄しあう姿勢・協調・二人三脚的なもの」は一切不要な、悪しきものなのだろうか。   
   
   
 むずかしい話はやめよう。   
 イオンで酒を買うことがあるが、そんなに安いかな? 十分に安いと感じてはいるが、「酒類を買うなら、よそに目もくれずにともかくイオンで」とまで思ったことはない。いや、飲むのはどうしてもウィスキーが中心で、またビール・ファンとは言えずビールをまとめ買いする場合でも6本とかなので、「安さ」の恩恵をあまり受けていないかも知れない。コンビニでビールを買うことも多いし。   
   
 ま、ウィスキーを愛する者としては、こう願う・・・小売店さんにせよ卸売業者さんにせよ、「ビールで損な商売をしても、そのツケはウィスキーに回して儲けさせてもらいますよ」的な商売展開だけはしていただきたくない。  
   
   
 下のは左と真ん中がビール。そして右端のは「ビール」でないビール系飲料。   

   


雑記

   
 スポーツをテレビ観戦するにあたって筆者はかなり淡々としているかな。個人競技でもチーム競技でも「誰を応援する」とか「どのチームを応援する」という感情があまり湧かない。しかし、どのチームのどの選手についても「ほー、上手いもんだなあ」、「うはっ、凄いなあ」などと感心することはちゃんとある・・・こういう態度を自己弁護すれば、冷めているのでなく、むしろ、誰彼と差別することなく公平に応援・観戦しているということになろうか。「手に汗握る」ということが無いので心臓にもやさしいか(笑)   
   
 テレビ中継・・・サッカーの試合でもよい、あるいはオリンピックの諸々の競技でもよい、いずれにせよ感じるのはアナウンサーの喋りについて「うるさいなあ。そんなに精出して感情表出しなくても」ということ。サッカーでゴールめがけてのシュートが「決まった」ときの騒ぎよう、あるいは攻め込まれたときや敗れたときの断末魔のような嘆きっぷりなどには呆れることしばしば・・・。   
   
 会場で観戦する人も、テレビ観戦する人も、それぞれがそれぞれのモードで興奮すればよろしいではないか。優れたプレーや賞賛されるべき精神力などなどはそれ自体で底力あるエネルギーを放ち、おのずと観る者の感動・感銘を呼ぶものと思っているが違うか?   
 アナウンサーは必要な範囲で状況を冷静に伝えればよいと思うし、あるいは裏話・エピソードなどをタイミングを見計らいつつ上手に紹介してくれれば好ましい・・・アナウンサーはそういう介在の仕方をして欲しく思うし、同時にまた、こちらとしてはアナウンサーの感情起伏を鑑賞したいとはちっとも思わない。   
 しかし、現状、少なからぬ場合においてアナウンサーは「興奮の押し付け」もしくは「盛り上げの演出」、「アナウンサー自身の感興の披歴」などを行っているように感じられて仕方ない。今回のオリンピックでも、アナウンサーの喋りをうるさく感じてテレビを消してしまったことが複数回あった。   
   
 さて、ここでさらに、たとえばフェンシングの実況中継はどうあって欲しいとか、また、仮に剣道がオリンピック競技種目になった場合に「こんな実況中継アナウンサーは御免だ」とか、書いてみたいことは色々あるのだけど、よしておこう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 (以下は、マンガ「そばもん」の単行本第9巻を読んでいない方にはチンプンカンプンな話となります。また、同書を読んだ方にとっても、少しも有意義な話ではありません・笑)   
   
   
 こんな空想をしてみよう・・・。   
   
 或るとき、新しくラーメン店が出来た。   
 店主の確信とポリシーはこうであった・・・「ラーメンと言えば醤油スープに決まっている。これ以外ありえない。ゆえにメニューは“ラーメン”一本。うちのは麺もスープも絶品なので、正直なところ具など何も乗せたくないが、ま、それでは寂しいからネギとメンマだけはトッピングすることにしよう」。   
   
 店は繁盛した。お昼時や、そしてまた夕刻を過ぎたあたりには次から次へと客が押し寄せた。   
 だから調理スタッフも増員した。店主自身は(仕込みも勿論するが)営業時間中は主として麺を茹でる役割に特化するようになった。他のスタッフは、客に水をサービスすると同時に注文を聞いてそれを調理場に伝えたり会計をしたりする係、ドンブリを用意する係、ドンブリにスープを注いで(そこへ店主によって麺が投入されたら)ネギとメンマを乗せる係、洗い物をする係、などの役割を分担した。   
   
 メニューは“ラーメン”しかないのだから、客の注文が調理場に伝えられるときの言葉は単純明快、「1杯でーす」とか「2杯お願いしまーす」とか・・・。   
   
   
 やがて「チャーシュー麺も食べたいな」と言い出す客が現れるようになった。店主は了解し、チャーシュー作りを研究した末にメニューに加えた。   
   
 すると当然ながら、客からの注文が調理場に伝えられるとき、たとえば「ラーメン2杯、チャーシュー麺1杯」などというセリフも響くようになった。   
   
 ふと、店主は思った・・・「なんか面白くないんだよな。てか、あのセリフがうざったい。それが問題だ」。   
 「うちはラーメン屋なんだよ。出すものはラーメンに決まってる。客の注文を調理場に伝えるのにいちいち“ラーメン”なんてセリフ、まだるっこい。それに、麺を茹でる俺としては合計何杯ぶんの麺を茹でなくてはいけないかをパッと知りたい。普通のラーメン2杯とチャーシュー麺1杯とで合計3杯なんてすぐ計算できるけどさ、その3杯というのを、注文が伝えられた瞬間に映像として頭のなかに思い描きたいんだよね。せっかちな俺にはコンマ何秒のロスすら無駄に思えてしまう。ドンブリを用意するスタッフもたぶん同じ思いだろうよ」。   
   
 その結果、ラーメン2杯とチャーシュー麺1杯という注文は、「チャーシューがひとつ付いて合計で3杯」という符丁で調理場に伝えられるルールが出来上がった。   
 この言葉が調理場に伝えられるや、具をトッピングする係りはチャーシューを(一人ぶんの)5枚カットする作業に取り掛かった。そして勿論、ドンブリは素早く3つ並べられ、店主はおもむろに3杯ぶんの麺を茹で始めた。   
   
 しかし、注文を調理場に伝える係のほうもまた思うところがあり、ほどなくして「チャーシューがひとつ付いて合計で3杯」というセリフは短縮されて「チャーシューが付いて3杯」という、ごくシンプルなものとなった。   
   
 ただ、ラーメン3杯とチャーシュー麺2杯という注文の場合には、「チャーシューが付いて」ではなく「チャーシューがふたつ付いて」というように「2杯」の旨が伝えられたこと当然である・・・つまり「チャーシューがふたつ付いて5杯」という具合。   
 しかし、これもやはり何だかまだるっこいと、皆が感じるようになった。そして、何がきっかけであったかハッキリしないが「ふたつ付いて」は「交じって/混じって」という言葉で表すルールが出来た・・・「チャーシューが交じって5杯」。   
   
 ラーメンといえば醤油ラーメン、という店主の信念はやがて変容した。塩ラーメン、味噌ラーメン、タン麺など、色々なメニューが揃うようになった。   
 もはや、「2杯お願いしまーす」では何を2杯なのか判然としないし、「チャーシューが付いて3杯」などのセリフでも同様だ。かと言って「醤油チャーシュー麺1杯に、塩が2杯」というセリフで調理場に伝えれば、かつて店主が思ったように「瞬時にして合計3杯だと思い描くこと」が出来にくい。   
 試行錯誤の末、たとえば塩ラーメン2杯と醤油チャーシュー麺1杯という注文は、「醤油チャーシューが付いて3杯塩で」と表現されることに落ち着いた。部外者から見れば「そりゃ何だか変だよ、おかしいよ。塩ラーメンについては3杯の注文を受けているって勘違いするよね」などと感じられるところではあるが、しかし現実には、このセリフが響いた瞬間、調理場ではあっという間にドンブリが3つ並び、そのうち1つのドンブリには醤油スープが注がれて残りの2つには塩スープが注がれて・・・といった具合に正確に作業が進むのだからちょっと不思議である。しかし、注文合計数/ドンブリ数が端的に表現されることで作業着手しやすそうだなとは、ちょっとだけ思う。   
   
   
 ・・・以上、架空の話である。   
 過日に紹介したマンガの「そばもん」第9巻にあった「通し言葉」の話には首をひねった・・・「ついて/つき」や「まじって/まじり」の言葉のあとに注文合計数を持ってくるのは何故なのだろう、それで本当に調理場スタッフはサッと動けるのだろうか等。   
 通し言葉が完成されるまでの正しい経緯について、不勉強な筆者には知識が無い。   
   


10月発売の、セルのブラームス交響曲全集(ソニー)


   
 (↑)上記タイトルの品はこれ:   
   
  http://tower.jp/item/3135935/   
   
   
 また、 "SICC-1560" という商品番号/CD番号でネット検索しても情報は得られる。   
   
 セル指揮によるブラームスのシンフォニーについてはライヴ音源も含め幾つもの録音が残っている。下の写真はその一部。   
 第1番では、クリーヴランド管との正規レコーディングが1966年のもの以外に1957年のものがある。   
 かつて Virtuoso レーベルからリリースされた商品には第2番・第4番のライヴが収録されていた。   
 第3番についてはコンセルトヘボウ管との正規レコーディングもあり、これまた魅力的な演奏。やはり第3番について、セル/クリーヴランド管のソ連でのライヴの記録も残っている。   
   
 各曲、いずれの演奏を最も愛するかは人それぞれ・・・だろう。   
   


雑記



   
 ちょっと時間に乏しいこともあってビールについてのコメントは省略。暗に「気に入らなかった」という意味では決してなく、それぞれに美味いと感じた。右のは原材料に小麦(の麦芽)を含む。   
   




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