2012-07

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雑記



   
 車製造職人 作曲/「彷徨せる阿蘭陀びと」   
   
 ・・・ワーグナーの「さまよえるオランダ人」について、上のように紹介・表記されたら戸惑うことだろうけど、実際にはそうなっていないから助かる。   
   
 先祖の職業に由来すると思しき姓としてはベッカー、フィッシャーほか色々あるが、ワーグナーという姓もまた同様の性格を持つ姓と言えるか。しかし、固有名詞を日本語に翻訳することはそれほど多くないし(ゴールデン・ゲート・ブリッジ=「金門橋」みたいな例もあるが)ワーグナー姓も「ワーグナー」と表記されることとなる。   
 ウィリアム・スタインバーグをたとえば「石山ウィリアム」などと呼ばないし、レナード・バーンスタインを「琥珀レナード」と表記したりしない。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「ヴァルトシュタイン」を「森石」と訳すこともない。アルバン・ベルクについて、どんなに親しみを込める場合でも「山ちゃん」と呼ぶことは考えにくい。   
   
 だが、「彷徨せる阿蘭陀びと」という日本語訳が定着し、まかり通る可能性はあったかも知れない。このオペラのタイトルを誰かが上のように日本語訳し、かつ、それが広く一般化していたならば、今日でもこのような表記で通用しているかも知れぬではないか。   
   
 「ツァラトゥストラはかく語りき」・・・このタイトルを、筆者自身は「現代でもこれで良い」と感じるが、そうは思わない人も少なからずいることだろう。「文語・文語文法を意識するかどうかはともかくとして・・・小学生は正しく意味を理解できるのか? また、大人なら誰でも理解できると断言できるか? やはり平易な言葉、現代口語に置き換えるべきではないか?」との主張はありえよう。   
   
 クラシック音楽に親しみ始めたばかりの人たちなどから色々な意味で「おーい、どうにかしてくれ(意味が分からない! 訳語が不自然だってば!)」と言われそうなタイトルの例としては次のようなものがあるかな:   
   
 「ああ、そはかの人か」(「椿姫」中のアリア)   
 「偽の花作り女」(モーツァルトのオペラ)   
 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」   
   
 2番目のものについては「偽の女庭師」という日本語タイトルもあるけど。   
   
 3番目は、「ニュルンベルク」は固有名詞だからこれはこのままにするとしても、「マイスタージンガーって何よ?」という疑問は当然生まれるだろう。「ニュルンベルクの名歌手」と訳されることもあったが、最近そのような表記を見かけることはぐっと少なくなったかに思われる・・・それは良いことだろう・・・「職人親方歌手」などと不恰好に訳すのが適当かどうかという議論の余地はあっても、「名歌手」と訳すのはおかしかろう・・・「名歌手」という言葉が「歌手業を本業にしている、つまりはプロ歌手の中でも優れた人」を意味する限りは。   
 で、結局のところ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」・・・うーん、誰か、「マイスタージンガー」の部分を「意味合いがピンと来て、なおかつスッキリした日本語」に訳し、そして、それが定着するよう工夫と努力をして欲しいかな。   
   
   
 (↑)以上は、以前から「書きかけ」のまま放っておいた文章ではあるが。テレビでオリンピックの水泳競技を見ている最中に "Sagmeister" という姓が目に入ることがあったので、ブログ記事としてアップすることに決めた。この姓・・・祖先は、「のこぎり使いの名人」あるいは「のこぎり作りの名人」だったのだろうか、それとも全然違う由来なのかな、分からない。   
   
   
 固有名詞で、ジャンヌ・ダルクに相当する英語はこれが定番( "Saint" が付されることも少なくない。画像はオネゲル作品のタイトルの表記で、上段がフランス語、下段カッコ内が英語):   
   


ネット検索の限界

   
 「或るダジャレ」を、ほかの人も思いついているか否か・・・それを確認するにはネット検索も役には立つ。   
   
 しかし、そのダジャレが既にネット上に(ホームページ、掲示板投稿、ブログなどなどの形で)アップロードされていることが前提となる。   
   
   
   
 ダジャレの多くは「この言葉とあの言葉とは、音(おと)が似ている」と感じることから誕生するであろう。   
   
 それでは・・・ダジャレを作り上げてネット上にアップロードするまではしていないものの、しかし、「音が似ている」と感じた人がいるか否かを確認する方法は・・・無いだろうな。それは、ネット検索というよりも、この世の人々の脳内検索を試みるようなものだ。   
   
 そのような確認の試みをして何の役に立つというものでもないけど。   
   
 あっ、「裏戸」でなく「浦戸」と打つつもりだったのに・・・(↓)。   
   


There is no accounting for tastes. (経理マンよ、何でも数字で表現できると思うな・・・「味覚に関しては経理処理することはできない」という諺もある・・・ン?)



   
 食べ物の「苦味」や「えぐみ」は、時として「体に良さそう、健康に良さそう」的な印象を与えてくれることがある(実際にどうかはともかくとして)。   
   
 冒頭写真のは、アユの塩焼きに添えられるタデ酢のあの「タデ」に、さらにゴーヤも加えて作った冷たいスープ。夏バテ防止に効果ありそうではないか・・・実際にはどうか分からないけど。   
 なお、きれいな緑色にすべく、また、飲みやすくすべく、若干量の抹茶と砂糖を加えてある。    
   
   
 ・・・で、このスープの味わいはどんなものか?   
   
   
 スープの味は分からないのである。   
   
 自分では飲まなかったからというのが理由ではない。本当のことを言うと、上のはそんなスープではなく、ハウス食品の、昔から有名な「ゼリエース」(メロン)。材料を湯および水で溶いてカップに注ぎ、さてこれからラップして(ほどほどに冷めたら)冷蔵庫に入れようというところで撮ったもの。   
 親のところで食事を作るそのついでに「翌日の茶菓子にしてもらうのに、何か変わったもの無いかな。シャービックかフルーチェか、それとも」と思ってこれにした。楽ちんだなあ、これ・・・当然か。   
    
 ゼリーやプリンを自家製するのに向いていそうな食器・容器など、親のところで見つけ出すことは容易ではない・・・真剣に探せばどこかから発掘できるかも知れないが、面倒だし、たとえ見つけても「ウン十年ぶり」にお目にかかる食器を念入りに洗うのもまた面倒というものだろう。というわけで、思いつきで適当なカップを利用してしまった。これも一興ではないか。   
   
   
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 親が医者にかかることがあって、薬は筆者が受け取ってきた。薬は1種類か2種類くらいだろうと想像していたら、そうではなかった。   
 医者にかかるのを嫌い、また薬を飲むのも嫌いという筆者の、その親だけあって、ふだん滅多なことでは薬を口にしようとしない。「せっかく薬を受け取っても、種類の多さにも驚いて、飲まないと言い張るのではないか」と懸念したが、本人が体調の悪さをしかと実感していたせいか素直に全種類を飲み始めた。   
   
 が、或る薬については「(副作用として)・・・といった症状が出る場合があります。そのときは医師などに相談してください」との注意書きがあり、そして、現実にそういう症状が現れた。これを機に、親はすべての薬を飲むことを拒絶してしまった。当然、最初からある体調不良は完治せず・・・。   
 そのうち体調不良は悪化し、また別の医師に診てもらうことになった。そのときに処方された薬は、今度はちゃんと飲み、そして順調に回復するに至った。   
   
 複数の薬を飲む人のための、何と呼ぶのか、「朝昼晩/日付別・薬仕分けボックス」みたいなものが売られていることは知っている(100円ショップにもあるよね)。   
 「こういうもの、どれだけの人が利用しているのかなあ」と疑問に感じていたが、今回のことで、ああいう品の必要性・便利さが理解できた。(今回は、飲むタイミングごとに事務用封筒に分けたうえで本人に渡したが。)   
   


“ Time and tide wait for 農マン”



   
 就農を目指す若者(いや、べつだん若者でなくとも)は今後どのくらい増えるのか、あるいはそういう人たちを増やしていけるのか、また、農業経営はどこまで大型化・効率化・合理化されていくか等、日本の「農」への関心は高まりつつある。TPPを視野に入れるか否かを問わず、ともかくそういう時代なのかな。   
   
   
   
 冒頭の写真は、しばらく前の新聞広告から・・・或る方(有名なTさん(女性))について、顔写真とともに載っていた肩書。   
   
 ときどき思うのは・・・「職業:農業」みたく、「農業」という言葉、あるいは「農」という文字は、ひょっとして若い人にとって「重たい。仕事としては華やぎを完全に欠き、ひたすら地味に過ぎる。つまりカッコ悪い」といったイメージを与えるかどうかという問題。   
 インテリア・コーディネーター、コピー・ライター、スタイリスト、パティシエ、ソムリエ、フィナンシャル・プランナー等々、「カタカナ職業はカッコいいよね」的な感覚はもう長いこと続いている(しかし、同じくカタカナの「サラリーマン」という言葉にはそういうカッコ良さは無いなあ・・・使い古されているのと同時に「被用者たる身分」を示す語であって、人それぞれが誇りを抱きうる筈の職務内容、職権、獲得している知識・技能などを意味する言葉ではないから当然か・・・そのかわり例えば「エグゼクティヴ」なる妙な語もあってこれは人の心を刺激するから言葉には厄介さと魔力がある)。で、新たな就農者を増やしていくうえで、農家・農業従事者を指すカタカナ呼称を新たに発案して浸透させる手段を講ずるべきだろうか?   
 ・・・この問いについては筆者も一応はイエスと答えたい気がするし、また、同じ意見の人も多くいると思うのだが、しかし・・・出来ることなら、画数の多い「農」という字が帯びているデーンとした存在感のユニークさをアピールしつつそれがむしろ新鮮ではないかと、またしかし、この仕事に就く人に求められる才能・人間性などについて触れて(真面目さ? たゆまぬ努力? メゲない心?)、したがって上等な人間にしかつとまらない仕事なのだよと、きっちり知らしめていく作戦を上手に展開するのが適切かと想像される。   
   
 農業をやったことないなので想像だけで言えば、作物を毎年のようにコンスタントに無事に生育させる・見事に生育させる(それに関連して必要となる知識や技能もいろいろあろう)、需給動向や市場価格を想定しながら品種を選ぶ、有利な出荷時期を見込む、当然ながらコストや損益、長期的な投資戦略などについてシビアな感覚を持つ等々、農業もまたビジネスとして真剣勝負が求められる世界であろうから、軽い気持ちで就農できるものではあるまい。脳業であり、悩業であろう。   
 加えて、農業は自然の天候(天候不順・日照り・長雨・台風を含む)によってはそれまでの努力がムダに終わりかねなかったりもする。精神的ショックなどにも強いタフさ、良かったときに「悪いとき」の備えをしておく気構えなどもまた求められるだろうか。   
 地域・集落での共同作業など、新規就農者には「やることがいっぱいありすぎる、しんどい」と感じることも多くあろうか。   
   
 このように考えると、少なくとも表面的な「カッコ良さ」で就農者を呼び込むことは正解でないように思えるのだが、果たしてどうか。   
   
   
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 下の写真は、おととい、親のための昼食として調理したものから・・・。   
 メカジキおよび、前夜に食べ切れず残っってしまったというホタテ貝柱の刺身を、父にはソテーにして、母には(メカジキについては小さくカットしたうえで)煮付けて食べてもらうこととした。写真はその煮付けの途中。調理の最終段階で、ここにさらに小松菜のおひたしの残りを加えた(もちろんグツグツ煮たりはせず)。   
   
 このメカジキは、筆者としては不本意ながら冷凍もの。冷凍ものだと、解凍後に日本酒に浸しておいても独特の「臭み」が完全には消えないことがある。しかし、今回、この煮付けについては、小さくカットしたあとに日本酒に浸したせいか、「臭み」はしっかり消えた。煮汁にショウガを加えるとさらに効果的であるかも知れない・・・そして、ちょっと変わった風味アクセントになってくれるだろうか・・・過日のこと、やはり残り物のカツオの刺身を煮付けることがあったが、そのときは思いつきで煮汁に「おろしショウガ」を加えた。   
   



雑記



   
 (酒の)カクテルのあれやこれやに詳しくないのだが、ネーミングとして例えばソルティ・ドッグのように「形容詞+名詞」という名詞完結型でなく、「文章」またはそれっぽいパターンのものもあったりするのだろうか。   
   
 材料の主役を「養命酒」とするカクテルで、ネーミングも "You may wish..." などというものがあっら面白そうなのに、と思いついた。   
   
 「養命酒」の効能や、また、人によって適否があるのかどうか・・・そういうことは知らないのだが、筆者の先入観、勝手なイメージとしては「即効性はともかくとして、体に良さそう」というもの。   
   
 カンパリ、チンザノのような、ああいう作られ方・風味のものがソーダ割りその他で楽しまれていることを思えば、養命酒のカクテルもそんなにおかしくないのではないか。そして、シナモン・スティックを添えてとか、山椒の若芽を浮かべてとか、つまみにはエシャロットをなどと考えてみたのだけど、シナモンも山椒もそれぞれに漢方薬的効能を有していそうに思われ、とするなら、妙な組合せをすると養命酒の成分・薬効との関係で健康に悪影響が及ぶだろうか。何も凝ったことはせずに、せいぜいソーダ割りする程度にしておいたほうが無難なのか・・・分からない。   
   
   
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 冒頭の写真中、いちばん左のはキリンから出たビール。「氷と一緒にグラスで楽しんでくれ」という商品らしいけれども(もし手にすることがあったなら、缶に描かれたマンガも参照願いたい)、さて、ビール自体については常温がよいのか、それとも冷やしておくべきなのか、あるいは、あらかじめ冷やしておいたとしても飲むしばらく前に冷蔵庫から取り出しておくのが好ましいのか、そのあたりについては特にアドヴァイスめいたことは書かれていない。   
 筆者は、冷蔵庫で冷やしておいたものをグラスに注ぎ、しかし、「アルコール度数も 5.5 パーセントに過ぎぬし」と思ったから氷を入れずにそのまま飲んだ。それでも悪くないように思えた・・・しかし、苦味・香りは出来るだけおとなしくあって欲しいと願う人にとっては、やはり氷を入れて少し薄まったときの風味のほうが(つまり、メーカー提案のとおりにしたほうが)親しみやすかろうと思えた。   
   
   
 真ん中のは「ビール」ではないビール系飲料。ベルギーから輸入されているもの。   
 トマトジュースとビールでつくる「レッド・アイ」というカクテルを楽しむにあたり、「トマト味で染めてしまうのだから、(狭義の)ビールでなくてもいいよな。ビール系飲料なら何でも事足りるよなあ」と思い至り、そして買った品。実際に「レッド・アイ」に用いるのはまた後日にすることとして、この品をかなり強く冷やしたうえでそのまま飲んでみたのだが、わりと自然な感じの風味で「良いかな」と思えた。   
   
   
 なお、以上2点については、「暑い、暑い・・・一刻も早くビール類をゴクゴク飲みたい」という気分のもと、一気飲みよりは幾分おとなしいくらいの飲み方をした。ゆるりと飲めば、また違った感想になるかも知れない。   
   
   
 写真の一番右のは酒類ではない。筆者の両親を気遣ってくれる或る方から頂戴したもの・・・「熱中症など懸念される季節であり、高齢者も含めて、速やかな水分補給=体内での速やかな水分吸収が求められる状況になったときのために」ということで。このような経緯ゆえ、筆者が横取りして試しに飲むわけにもいかない・・・。   
   
   
 前回ブログ記事に書いたように、筆者は自分が水分の摂りすぎであるかなと思っている。で・・・ポカリスエット、ゲータレードその他はもう随分のあいだ口にしていないのだけど、上の品を見ているうちにこう考えるに至った・・・「普通の水・湯、コーヒー、茶、ジュース、コーラなどでなく、ポカリスエットその他を飲むことにすれば、現在ほどには水分を飲まずにいられるかな?」と。   
   
 さあ、そこで・・・上で名前を挙げた飲料と同類製品であるが、しかし、そのいずれでもない或る銘柄の製品を2日間飲んだ。「その製品」以外にも当然「水分」を摂っているが、「その製品」についての摂取量は1日目が2リットル、2日目は2リットル弱であった。   
 結果的には、口から摂取する総水分量は変化しなかったように思えた。しかし・・・。   
 まず1日目から「あれ?」という体の変化を感じた。気分が悪くなったりはしなかったのだが、疲労感というか体の重さを感じた。それでも、体を動かすことについて意欲低下することはなかった・・・筆者には一応の「気合」はあるので(笑)。しかし、思考集中モードに入りにくい自分に気づいた。また、自分の汗がいつもと違って明らかにベタつくように感じた(激しい運動をしたわけでもなく、また、大粒の汗が出たわけでもない)。2日目もまた同様であった。そこで、3日目にはこの実験はやめた・・・そうしたらまたケロッと以前の自分に戻った(汗のベトつき感は4日目になってから軽微なものになった)。   
   
 筆者は油っけ・ベトつきがとても嫌いというか、そういうことに神経質で、牛豚鶏の脂肪の「舌触り・ぬめり感・触感の違い」はこんな具合とか、養殖の真鯛あるいはブリの油っけはそれぞれこんなところがイヤだとか、そういうことをしょっちゅう気にしているような人間である。また、自分自身の「男の肌の油っけ」というものを気にして、家庭では「石鹸はこれかあれを」と銘柄を主張してしまうような人間でもある(かつて、キーボード、穴あけパンチなどの職場での共用が普通にあった時代、そして自分も若かった頃には、中年オヤジになると油っぽい肌になってしまうのかな」と、自分の行く末を恐れたりもした)。   
 2日間を超えて経験した、上で書いたような汗のベタつきは、それこそ「自己嫌悪」のラインに近いものであった。   
   
 あの2日間プラス・アルファ、自分の体には何が起きていたのだろうか。   
 あの飲み物の原材料・成分で目を引くのは、糖類、また、ナトリウムその他のミネラル類である。自分の血糖値、また、汗によるナトリウム排出(汗に含まれるナトリウム量)などはどう変化していたのだろうか・・・そして、体に及んだメリットはともかくとして、逆にデメリット/負荷/リスクとして何があったのか。自分なりの、素人考えの単純すぎる答えは得てはいるのだが・・・説明してみるのは面倒なので省略。   
   
 ところで、ときどき思うのは・・・。   
   
 たとえば減塩醤油、減塩味噌で生活するとする。そして料理は味を薄めとする。漬物、梅干なども塩分控えめ。そのうえで、日中には「(こまめな水分補給以外にも)こまめな塩分補給」を心掛けるとする・・・これがベストなのだろうか?   
   
 普通の醤油、普通の味噌とともに生活するとする。しかし、塩分摂取量に気を配ってやはり薄味を心がけ、対応可能な範囲において酢、香辛料、出汁などによる「味覚満足・味覚だまし」作戦を積極的に行うものとする。味噌汁も「具だくさん」を心掛けることとする。野菜・海草も出来るだけ多く摂ることとする。しかし、食事以外での「こまめな塩分補給」は面倒くさいからやらないものとする。・・・このようなパターンは、上のパターンと比べて劣るのであろうか。   
   
 ただ、夜になれば、利尿作用のある酒類(ビールはまたカリウムも含むんだっけか?)を口にし、人によっては飲んだあとにラーメンを食べ・・・「理想の食生活」を貫けている人はどのくらいいるのだろうか。   
   

水冷式 ハイブリッド型アルコール・エンジン

   
 (↑)今回は、ブラジルにおける自動車エンジンに関わる最新情報をば。   
   
   
 ・・・というのは嘘。   
 酒飲みは、普通の食事以外にアルコールをもまた栄養としている・・・ハイブリッド型アルコール・エンジンを搭載しているようなものだ(ただし、メチルアルコール、イソプロピルアルコールなどは遠慮したい)。   
   
   
 新聞の健康関連記事で「水毒」という言葉を目にし、頭の中で小さく「おっ」と声をあげた。そして20年ほど前のことが思い出された。あれも夏だった。   
 仕事帰りに、或る先輩と「ちょっとだけ飲んで帰ろう」ということになったのだが、歩いている途中で先輩が「ここに寄るけどいい?」と言った・・・二人して或る薬局に入った。薬を買い求める先輩と店主との会話がしばらく続いた。  
 漢方医学も長年研究しているらしき、そして、それが自慢であるらしき薬剤師の店主はしばらくすると話題を変え、「たとえ夏場であっても水分の摂りすぎはよくない」という意味のことを言った。そのとき何故だろう、筆者は「この人は確かに勉強もするだろうけど、“商売っ気”のオーラが出過ぎているところがイヤだなあ」と感じた・・・こちらの、そういう雑念を感じたのだろうか、店主は次の瞬間に顔だけでなく体全体の角度を変えて筆者に話しかけた:   
   
 「1日にどのくらいの量の水分を摂っていますか?」   
   
 筆者は「量を(数字で)考えたことなどありません。でも、ずいぶんと飲みますよ。体が飲みたいと感じるだけ飲めばいいんですから」と、信念に基づいて答えた・・・必ずや反論があろうことは予想した。   
 向こうは何も喋らなかったが、その顔は「朝起きてから順を追って水分の摂取状況を話してください」と語りかけていた。そこで筆者はこう言った:   
   
 「何CC飲んでいるかなど考えたことはないですよ。原則的に朝食はオフィス近くで摂って味噌汁も飲みますが、家で朝食を摂る場合にはさらに白湯か茶も飲みます、200CCくらい。それから・・・コーヒーや、今の季節だとアイス・コーヒーになりますが、それを(ファストフード店で)テイクアウトで買って会社の机で飲みます。しばらくして始業時間がスタートするとお茶が出るので(注:女性による“お茶くみ”が普通にあった)それを飲み、また、午前中に“ヤクルトおばさん”から野菜ジュースとあともう1本何か、計2本を買って飲みます。昼食のあとに自販機で何か買って飲んで・・・。午後にまたコーヒーまたは茶を飲んで・・・」   
   
 夜にはどうこうとか、大ジョッキでビールはどのくらいの量を飲めるかの説明をする前に、店主はこちらの言葉を遮って、「そんなに水分を摂っているんですか? ご飯が炭水化物なのを知っていますか?」と言い出して、何か凄い表情を作った。そして、さらに言った:   
   
 「水分摂取を減らしなさい。そのうち中年太りするようになると、体は水を蓄え過ぎる体質に変化します。すると“むくみ”の症状が出るようになる・・・わたしはそういう人をたくさん知っています、みんな、ここに相談にやって来ます」   
   
 何だかなあ、と思った。仮に「中年太り」するとしてもそれは当時から起算してわりと先のことであろうと思えたし、しかし、そもそも、筆者自身は中年太りしたり腹が出たりということにはならない体質であることが分かっていた・・・血のつながっている親や親戚をみれば、歳のとり方、体の弱点など、おおよその見当はつくものだ。   
   
 「中年太りはしないんですよ。病気・手術などで体質変化しない限りはこの体型のまま不変です」   
   
 向こうは「みんな、若いときはそう思っていながら、結局太ります。わたしもこうですよ」と断定的に言ったので、筆者は苦笑いするばかりであった・・・「結局は太るって、それ、何なんだよ。なぜそのように決めつけるのか? 遺伝という要素を無視するのか?」と思った。   
   
 店主はさらに「ズボンの裾をあげてみてくれ」と言って、こちらの「ふくらはぎ」や「くるぶし」近辺を指で押さえたりしながら、「こうしても痛くない?」などと質問を発し、そのうち首を傾げた。いくぶん、不満そうな顔もした。   
   
 ちなみに、今日に至るまで、近しい人たちから「中年太り」を指摘されたことはやはり無いのである。頭髪の後退現象ほか指摘されることはあるけど。   
   
   
 医師、薬剤師の人たちと接し、話をうかがうたびに(しかし機会はとても少ないが)、筆者が思うことがある・・・。   
   
 医師、それも内科医の人たちはたとえばこう考えているのではいか・・・「人それぞれに体質は違う。本人がコンディション良好と感じたり、身体がトータルでうまく回転したりする条件も様々であり、それは案外と幅広い。たとえば血液検査ほか諸々の検査数値には正常範囲とされる指標のようなものもあるが、しかし、その正常範囲から外れたら即アウトというものでもない。異常値が出ていてもわりと平然と生きていけるケースは多いんだよね。今のメタボ診断だって同様。体全体で“結果オーライ”っぽく日常を送っていけるなら、それもひとつの“バランス状態”であって、よろしいのでは? 人体の健康・均衡にも多様性があるんよ」みたく。    
 この感覚は、学業の過程で悟ることなのか、それとも実地臨床の場で幾多の生身の患者と接して悟ることなのか筆者には分からない。いずれであれ、人それぞれに固有の(ただし、年齢などともに変化しうる)ホメオスタシスや「生きる意志」などなどが二人三脚っぽくしてその人を支えている様子を目にする機会が医師には豊富にあって、なおかつそれを尊重していく境地に至るということかも知れない・・・いや、そのへんのプロセス、ちっとも分からないのだけど。   
   
 それに対し、薬剤師の人たちはまた違う発想を持っているのではないか・・・それは、「人間の体のメカニズム」を押さえたうえで薬効などの知識を得る過程で、人間の健康に関しても「模範的で一義的なモデル」を思い描いたうえ、そこからの逸脱に対しては「ダメ出し」して「不健康のレッテルを貼る」ということをしがちなのではないか。   
 また、患者の症状を観察して「こうかな? 違うかな? どうかな?」といった診断を下す経験数は医師と大きく異なるであろうし、医師発行の処方箋に従う仕事を多く手掛けるうちに「ともかくこれを処理。これが絶対。反論は許さず」という態度も生まれやすいかな・・・どうだろう。   
   
   
 さて、上の薬剤師店主さんと話をした何日かあとに休日出勤することがあり・・・。当時は、今日ほどには日々の飲料水/水道水の水質に皆が、そして筆者も敏感になっていなかった時代であるが、それでも土日は、ビル内での水道水使用量が減るせいか「不味い!」と感じたものだから、休日出勤のときはペットボトル入りミネラル・ウォーター2リットルを買って職場に持ち込むのを習慣にしていた。   
 ミネラル・ウォーターは、午前10時くらいから飲み始めて、だいたい午後3時くらいに飲み干した・・・これは、季節を問わず、いつもどおりのことであった。さきの店主の言葉がちらと思い出された。空になったペットボトルを前にすると、「自分は水を摂り過ぎなのかなあ」という疑問は強まった。しかし、あれから20年ほど経つ現在も、水分摂取をセーヴしようという気にはなれずにいる。   
   
 定期健康診断において、糖尿病をはじめ何かの病気を指摘されたりもしていない。水を飲まねば喉がカラカラになってしまうかというと、うーん、夏場は多少そういう傾向を感じるかな、しかし、欲求の本質はたぶん、喉に、腹に冷たい水/液体を感じたいというものであるか。甘いものはそれほど好きでないが、アイス/アイスクリームのように摂氏零度以下のものを食べると体の熱さ/暑さが急速に、そして簡単におさまり、「ああ、ほっとする。心機一転という感じがするわい」と思ったり。   
   
 ・・・水冷式エンジン。   
   
 しかし、たぶん、水を摂りすぎだろうね。   
   
   
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 夏の、「土用の丑にウナギ」という定番的なパターンのほか、「夏こそカレーライス」とか「夏のキムチチゲもいいもんだぞ」という発想も以前から見受けられてきた。   
 筆者個人的には、「夏の昼食に鍋焼きうどん」というのを何度か試みたことがあって、これもまた結構よいものである・・・このパターンは、つい忘れてしまうことも多く、また、季節のせいであろう、食堂のメニューから消えていたりもするから、毎夏のように試すには至っていない。   
   
 この夏は昨夏と同様に、家庭料理については直接または間接に省エネ・節電につながるような料理/レシピが提案され、また実践される流れがあるようだが、いっそさらに広く「固定観念を捨てて、夏にも色んな熱々の料理や冬の料理を食べようよ」という流れも欲しいように思う。   
 具体的には、「夏のチーズ・フォンデュ!」とか「夏こそ筑前煮」、「夏の粕汁」、「夏にもサバ味噌煮(冷凍のノルウェー・サバなど利用するのがよいのだろうか)」などなど・・・省エネには貢献しないと思うが、それとは別の問題として、飲食店その他が上手にトレンドを作ることが出来たなら、ウナギ屋さんやビアガーデンから少し客を奪い取ることが出来るのではないか。   
 筆者、べつにウナギ屋さんに恨みは無いけれども、七草粥を食べる習慣を持たない人ならば(筆者もまた同様)、それよりも歴史が短いであろう「夏にウナギ」というパターンも捨ててしまってよいのではないか・・・そんなふうに思ってしまうのだ(知り合いの或るウナギ屋さんは、それほどにはウナギが好きでない筆者のために、季節によってハモ、アマダイ、キンキ、アンコウ、レバ刺(←ただし過去の話)を用意してくれることがあった・・・そういうフレキシブルなウナギ屋さんがよいと筆者は思う)。   
   
   
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 ネットで料理のレシピを見ていたら、たまたま「みんな大好き、肉ジャガ」みたいな表現が目に入った。こういう表現は以前から何度も目にする。だけど、少なくとも筆者は肉ジャガが好きでないのだよなあ・・・豚肉であれ牛肉であれ、サトイモとの相性のほうがずっとずっとよいと思っている。   
 ジャガイモが嫌いというわけではなく、ふかしたもの、フライドポテトなどは好みに合うのだが。   
   
   
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 下のは、親に食べさせるべく作った料理のうち高野豆腐とブナシメジを煮たもの。夏だからといって、冷酒(日本酒)や冷たい肴ばかりもよくあるまい。   
   


「泉州の水ナス」に負けず劣らず、「先週の棒ナス」もオイシイとする説あり

   
 (↑)・・・というタイトルでブログ記事アップしようと思っていたのだが、いろいろと緊急の所用があってブログ更新が滞ってしまった。   
   
   
 6月下旬、国会議員にもボーナスが支給された。   
 たとえば未曾有の震災/津波被害/原発事故からの復興・再出発という課題を解決すべく、迅速かつ精力的に、心から国難を憂いつつ党派を超えて議員さんたちが協調のうえ諸事に尽力して来たことを思えば、あるいはまた、社会保障と税の一体改革にからみ、粘り強く懇切丁寧に国民の理解を得ながら進めて来たその仕事ぶり(大臣を含む)を振り返るならば、うむ、色々な意見はあるけれども、やはりボーナスは支給されて然るべきものだろう。(←ちっとも本気で書いていない。)   
   
 下のは「丸ナス」。   
   







「のだカン」とは、決して「のだよカンタービレ」の意味ではあるまい・・・

   
 「のだカン」なる略語が生まれたのは偶然のことでないかも知れない・・・野田佳彦氏が菅直人氏のあとを継ぐことになるであろうと、いわば「神の啓示」として、そして一般世俗の人をして誕生せしめた略語ではあるまいか。   
   
 さて、野田首相が願ったとおりには事は運ばず、小沢氏は新党結成へと動いた。その政党名を「長いよなあ」と感じた人は多い筈。政党名に字数制限は無いのか? だとすれば落語の「寿限無」のような長いネーミングも許されるのかな・・・そのままマニフェストになってしまいそうな政党名とか。   
   
 新党の名称を耳にしたとき、ふと頭の中に「国民の生活が 第 一 興 商 カ ラ オ ケ」というシャレが思い浮かんだ・・・大した意味をこじつけることも出来ないが、「苦労、くすぶり、不安に満ちた、今の国民の日常生活ではあるけれども、時にカラオケを楽しんだりすると、潤い・余裕・トキメキ・カタルシスなどを得られたりするではないか!」くらいの意味になるかな。   
   
   
 しかし、これまでのところも、そして今後も「のだよ(野田佳彦)カンタービレ」のように「カンタービレ」を付けることは似合わないように思える。今後については「のだよズモルツァンド」となるかどうかと・・・。   
   
   
 長めの政党名とするならいっそ、たとえばの話、「国民の生活が第一、○○は当面棚上げ、××は二の次、三の次」の如くにしてくれたほうが、考えていることが分かりやすいのだが。   
 この新党は、選挙の神様が実力発揮して、いずれは大躍進するのだろうか。また、その暁には、再びの「中国詣で」を実施するのだろうか・・・そういう具合に関心の先が脇にズレてしまうのは何故なのか、自分でもよく分からない。   
   
   
 ところで、あの「3.11」の地震・津波を某都知事は「天罰」と評して批判を浴びた。   
  
 しかし、あの災害はもしかすると「民主党が政権を得て政治運営していけるものか否か」に関わる試練として、神が課したもの、また同時に何かの啓示であるやも知れない・・・という気がしないでもない。   
 鳩山元首相は国連気候変動サミットの場にて温室効果ガス排出量25パーセント削減目標を口にし、経済界・産業界・国民を唖然とさせた。このとき神はこう思ったかも知れない:「そんな大事なことを、国を預かる首相が軽い気持ちで勝手に宣言してよいのか・・・この男に反省させるにはどうすれば良いかな。なるだけドラマチックな事態によって猛省を促すには・・・うむ、原発停止とともに火力発電の利用度が増す事態へ導いてみるか」などと。宗教によって「神」は色々な性格を帯びているように思う筆者ではあるが(しかし詳しく研究したわけではない)・・・「残酷さ」「大胆さ」「気まぐれ」が神においては有り得ないなどとは言い切れまい。   
   
 政権の中枢にありながら自衛隊を「暴力装置」であると発言した者もいた。あのような災害の中での自衛隊の活躍は、彼の、自衛隊についての認識を改めさせることになったであろうか・・・そうであって欲しい。ギクシャクしてしまった日米の関係/同盟関係についても、その大切さは米軍による救援活動/トモダチ作戦などによって再認識させられたのではないか。   
   
 起きてしまった原発事故に手際よく、ソツなく対処することは、どんな政権・内閣にとっても難事であろうけれども、しかし、菅内閣のもとでの不手際、連携不十分などの程度・内容については「ちょっとなあ」と感じずにはいられない。(しかし、過去の原発行政を「良し」とするものでもないが。)   
   
 民主党政権は、神によって「試されてしまった」のではあるまいか。そのくらいに、神によっても不安視されるような政権だったのではないか。   
   
 神の啓示は、うっかりしていると見逃してしまうような微妙なものもあったりする。   
 いま問題になっている「オスプレイ」。あれは "Osprey" と綴るが、それをカタカナで「オスプレイ」と表記されるに至っていることは、実は、人が見落としがちな、神の啓示なのである。   
 「オスプレイ」という言葉を目にした我々は、「これはもしかすると "Oath-Play" と、神が皮肉り、反省を促しているのではないか」と気づくべきなのかも知れない。 "oath" とは宣誓・陳述などの意味であるが、 "Oath-Play" というのはたぶん「マニフェスト遊び」=「マニフェストで約束したことをコロコロ変えてしまうこと」を指しているのではあるまいか。ここ最近になって頻繁に「オスプレイ」という言葉を耳にする機会が増したのは、これは、心当たりのある政党、そしてまた、踊らされてしまった有権者に対する、神からの警鐘・最後通告ではあるまいか。   
  "oath" にはまた「神聖なるものの名前を乱用する行為」という意味がある。民主主義国家において「国民」は最大限に重視されねばならない・・・国民はいわば神聖な存在であるが、このことは同時に、政治家などが軽い気持ちで安直に「国民のために」などと口にするような、そんな遊びめいたことは慎むべしということをも意味するであろう。いま仮に、そうだなあ、想定しにくいがたとえば「国民の生活が第一」などという大胆な言い回しを政治家などが選ぶとする・・・そこにどれほどの慎重さ・真剣さがあるか疑ってみる必要があるかも知れない。   
   
 (なお、念のため・・・本当は筆者は神の存在を信じてはいない。また、オ カ ル ト、摩訶不思議なども好きでない。)   
   

雑記



   
 虎屋の羊羹「夜の梅」のその名の由来は、切り口に顔を覗かせる小豆が、夜の闇にほの白く咲く梅の花のごとくに見えることから・・・らしい。   
   
   
   
 さて、上の写真の缶入り飲料は「ビール」ではないビール系飲料。アサヒの "JAPAN GOLD" (ジャパンゴールド)。  
   
  "japan" は漆の意味。壊れた陶磁器を修復するにあたって「金継ぎ(きんつぎ)」と呼ばれる技法が施されることがある・・・漆や金粉などが用いられる(手法には幾つかのヴァリエーションがあるようだ)。「その金継ぎの金色のように輝かしい色合いの飲み物を」と開発されたもの。   
   
 ・・・というのは嘘・デタラメで、「ロンドン オリンピック 日本代表応援商品」ということで、ゴールドはやはり金メダルを念頭に置いてなのだろうなあ。なお、「この商品1本につき1円を東北復興支援にお役立て頂きます」との表記が見られる。   
   
 よく冷やして飲んだ・・・。こういうビール系飲料の中では、筆者にとって「あ、こういう風味要素・後味がイヤだな」みたく気になってしまうものが著しく少ない。ただし、気が抜ける/炭酸が抜けるというのとは違う意味で、何というのかな、ビールなどを飲んだときに感じる「生気」みたいなものが、本当に微妙な程度だけれども「弱い」ような気がした。「ああ、今日は疲れたな/暑かったぞい/クソ面白くないことがあったなあ」と思いながらビールなどを飲むとき、人は「うー、生き返るようだ」という喜びを感じるが、あれは飲み物の側に宿っている生気を貰うことでもある(と、信じている)・・・そういう生気が、ほんのほんのちょっとだけ弱いように思えたのだ・・・ああ、実に漠然とした話であるなあ。しかし、総合的にはわりと好きになれる仕上がりであった。以上、もちろん、個人の感想である。   
   
 写真の背景とした記事は、上が雑誌「太陽」の1999年3月号から、下の、斜め置きしたものは日経新聞2004年12月4日朝刊から。   
   

造反議員の処分いろいろ・・・羊頭狗肉与党の苦肉策


   
 政権の座についた民主党のマニフェストをふり返って「あれは羊頭狗肉であった」、「いや、それよりもヒドイ」などの意見が以前から続いている。そんなことを言うなら票を投じなければよかったのにね。   
   
   
   
 ここ何年か、少し先輩の世代の人たちから「息子/娘がこの春に就職した。子育てが終わった!」という声が聞かれる・・・筆者の同期では子育て完了のケースはまだそれほど多くない。   
 そういう先輩たちでなく、また別の人がこんな言葉を発したことがある:   
   
 「子育てが終わった。子供手当や高校授業料無償化を貰える/利用できるタイミングの子育てでなかったのは悔しい気がする。子育ては楽しいこともあったが、やっぱり苦労が多かった。それにしても子供たちはこれからの時代、増税・社会保険料負担などに苦しめられて生き抜くことになる。自分たち夫婦は子育てに苦労したうえ、子供たちの代はよその年寄りの年金や医療などのために大きな負担・苦労を強いられる。それにひきかえ、子供を持たず、子育ての苦労を経験せずにこれから老人になっていく人たちはズルい」   
   
 子供を持たぬ筆者にとっては耳が痛い言葉であり、また、上のような感覚が生じるのも無理からぬことと一応は思える。だが、しかし・・・。   
   
 サラリーマンの場合を考えてみよう。自らの子育てを進めるなかで、同僚などに仕事上のシワ寄せを及ぼした経験が皆無という人は稀ではあるまいか・・・子育てする過程で、同僚・職場から恩義を受けたことを棚に上げてしまう・忘れてしまうというのはどんなものか。(と、ここで、筆者自身がこうむったシワ寄せのあれこれを並べ立てたいところだが、長くなるのと同時に、ひとつひとつ思い出せば自分の精神衛生上にもよろしくないのでやめておく。)   
   
 また、給与制度として、配偶者手当に加えて更に、子供についての扶養家族手当が付加されているケースはちっとも珍しいことではない・・・企業は従業員から提供される労働に対価を支払うものだという考えに徹底固執した場合、子供の有無によって給与差が生じることは正義でないとする考え方が成り立つ。そういう考え方からすれば、配偶者手当、扶養手当、住宅手当などについては、企業から従業員に対しての利益分配上の「歪み」と見なせることになるだろう。他方、自営業者に目をやれば、例えば町のケーキ屋さんならケーキ屋さんの店主が、結婚した途端おのずと店の売上げも儲けも伸び出す、子供が生まれたら更に一段と儲けが大きくなるなどということは、特殊な偶然でもない限り起こらない現象だろう。   
   
 所得税・住民税の関係では、課税所得の計算上、扶養家族を考慮した控除項目(課税所得を小さくするための制度)が用意されて来た。また、民主党政権になると、支給対象の広い子供手当が導入された。  
   
 以上、子育てに関しては、サラリーマンの場合には職場・雇用企業から、そして、すべての親は税制・政策などを通じて社会全体から支援・配慮を受ける格好にあるわけである。(医療面、保育施設などの様々な支援について、その内容や、実際に利用可能かどうかについて地域差は大きいようで、これは残念なことと思う。)   
   
 ともかく、子育てして来た労苦や、子供たちのこれからの大変さを嘆くのは自由だが、それにとどまらず他人に何か突っかかってもらっても困惑するというのが筆者の感覚である。医者にかかる・歯医者にかかるということが極めて稀な筆者が健康保険料負担の大きさに文句を言わないのだから、同様に「貴殿もぐっとこらえてくれ」と思ったりするが、これはそれほど筋違いな論理ではあるまい?   
 勤務先の給与制度、また、税制、年金制度をはじめとする社会保険・社会保障システム、福祉政策などのそれぞれについて、「誰もが納得し、そして喜べる。また、不満な部分は皆無」という形になることはありえないだろう、おそらく。   
   

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クラシカルな某

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