2012-06

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雑記



   
 (6月17日付のブログ記事とも関係するが)「レッド・アイ」と名付けられた、ビールとトマト・ジュースで作るカクテルをお店で作ってもらって飲んだ。オーダーは「レッド・アイというのをこしらえて欲しい。飲んでみたい」とだけ伝えた。トマトの風味・濃度のあんばいに関して、こちらの好み・期待など何も言わずに・・・。   
 カウンターのこちらから見ていたところ、ビールとトマト・ジュースがほぼ半々かな。飲んでみれば、おお、実にちゃんと美味いではないか。   
   
 自分でも、いろいろな配合割合で試してみようと思い、実験用に廉価なトマト・ジュースを買ってみた(上の写真の右、1リットルの紙パック)。   
   
 ・・・と、そういうときに限って、「(今夜はいつものように葉もの野菜が主体だけれども)明日はトマトがいっぱいあるから」と。 ま、トマトそのものとジュースとは、それぞれに楽しめるので、いっか。   
   
   
 下の画像は「うちわ」(←言わなくても分かるよなあ・笑)。   
 実際のところ私生活では「模範的な節電」が出来にくいが、昨年に続き、「うちわ」などもありがたく活用していこうと思っている。そして、(話は全然違うが)日本人なら日本酒も忘れてはいけないな。   
   
 一緒に写っているのはサッポロの、北海道限定と表示されている商品。イトーヨーカドーの北海道フェアみたいな臨時特設コーナーにて購入。風変わりな味要素をほんの少し伴っていると感じたが、それが原材料の「エンドウたんぱく」に由来するものなのか分からない。その独特の味要素は、舌の上で転がしたら嫌になってしまうかというと、そうでもない。微妙に「追い払いたいわけでもないし、もしかすると好きになれるかも知れない」と思えるような感じでもある。しかし、ライトな味わいということもあって、舌の上などでゆっくりじっくり楽しむよりは、軽快にクイクイ飲んで楽しむべきものかと思える。なかなかに、付き合って気持ちのよい飲み物ではあるまいか。   
   


雑記



   
 疲れを癒すのに、まずはビール類で喉をうるおしたいときと、この季節でもいきなりウィスキーで始めたいときと、それぞれあると思う。上のは日本のウィスキー。焼酎で有名な本坊酒造が造るマルス・ウィスキーの品。樽香が中心かと思えるシンプルな(しかし、素っ気ないわけではない)滋味を楽しめる酒。   
   
   
 下の写真はドラッグストアで撮影したものではない。親のところで必要になったもの。「この製品はこの個所のサイズが合わない」、「これはウェストのフィット感がちょっと・・・」等々の不満点をクリアできる品を見つけ出そうとすると、結果的にはあれもこれもと買い物することになってしまう・・・店頭にあるときはそれほどではないが、一般家庭の部屋に持ってくるとパッケージの大きさが存在感を放つ。   
 店頭にはサンプルが置かれていたりもするが、それを利用者本人でない者が手にとったところで殆ど参考にならないに等しい。たとえば「2、3枚入り試供品」みたいなものがあれば、消費者・潜在顧客にとってはありがたいのに。   
   


シャルル・ミュンシュ、ボストン響・・・割れる民主、ボス奔走


   
 東日本に所在する或る居酒屋にて。関西方面の仕事にも関わりを持つ人を交えて・・・。   
   
 「大阪の景況感はメタメタである。ついでに、東京への対抗意識も、かつてより萎えてしまったかに見える」という言葉があって、それに続いてこんな意見を言う人がいた・・・。   
   
 「大阪には東京への対抗心が強い人もいるが、東京の側は大阪を歯牙にもかけないものだから、それがまた大阪人を苛立たせるケースもあるようだ」   
   
 以上の指摘が正しいかどうか、分からない。   
 ただ、「東京の側は大阪を歯牙にもかけないという点、どうかな?」と思う。東京で育った自分としては「油断すると大阪に負けたりせぬか、あるいは、大阪の企業に迫って来られるのではないか」という感覚が昔からある・・・。子供の頃から「同じ日本企業でも、出来るだけ東日本の企業を応援しよう」という気持ちが自分の中にある。   
   
 ゆえに・・・。「風邪薬はベンザでなく、ルルやパブロンを」などと、折りにふれて言って来たものだが、しかし、昔も、そして現在も、家族はそれに従わない。残念である。で、筆者は滅多なことでは薬を飲まないが、それでも「今回の風邪では飲んでおくか」と思って買い置きの薬を見るといつもベンザなのだよな。どうせなら東日本のメーカーのものを、という思いがかなわないので、「それじゃあ、飲むまい」と思って飲むのをやめてしまうことが珍しくない。   
   
 「香辛料はハウス食品のでなくエスビーのにしようよ。カレーもエスビーのほうがよいのではないか? 瀬古選手はエスビーだったのだよ」とも言い続けて来た。その結果、ハウスの香辛料は使われなくなった。製品の優劣の問題でなく、あくまで筆者の「東日本の企業の肩を持とう」という発想だけからした作戦。チューブ入りワサビは、エスビーとハウスとの比較では「ハウスのほうが美味しいかな」と感じたこともあったが、今はエスビーのと某マイナー企業の製品とを使っているようだなあ。   
 カレーは、調理されても筆者自身は食べないことが普通なため、エスビーの肩を持つ言葉にも説得力が欠けるせいか、ハウス製品の完全な追い出しにはまだ至っていない。   
   
 家電製品については、家族の品物選びに多少以上に関わること40年ほどになるけれども、やはり東日本メーカーの製品から選ぼうとする心理が強く働くため、松下/パナソニックやシャープの製品は通算・合計でたぶん4台かそのくらいしか買ったことが無いかな(電球、蛍光灯ランプなどは別)。   
   
 酒・清涼飲料水についてサントリー製品に手を出さないかというと、そんなことはない。酒は、ま、いろいろ飲みたいので。   
   
   
   
 前回のブログ記事で紹介したキリンのビールは、目下のところ某コンビニだけでしか販売されていないようだ・・・下のは、3本セット(景品つき)の紙パッケージなど。やはり、冷やしすぎないほうが美味いし、1本飲むことから得られる満足感も高まると思えた。   
   


台風一家、株主爽快・・・



   
 今回のタイトルは、記事内容とは無関係。   
   
 さて、写真はキリンから発売されたビールで "GRAND KIRIN" (グランドキリン)。   
 「苦味の強いビールが好き」という方などにお勧め。   
 地ビールの銘柄によっては、また、IPAと表記されているビールなどは、苦味・ホップ香が強かったりするけれども、そういう風味が好きな人に向くかと思う。   
 筆者の、もちろん個人的な感想、それも1本飲んだだけでの感想は、「美味い。ただ、もうちょっと香ってくれるとさらに嬉しい」といったところか。それでも満足度は高かった。もしかすると、冷やしすぎて飲んだということなのかも知れない。   
 グラスに注いで飲んだが、ラベルには「口あたりが良く、香りが広がる広口びんです」との記載があり、ということは、ボトルから直接飲んでくれと言いたいのだろうか。   
   
   
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 オフタイムには、この季節だと自宅内ではTシャツ姿ということもあるが、秋から翌年の春・初夏の頃にかけては色つきの、または、ごく細いストライプの入ったワイシャツを着ることが多い。外出するときは、今の季節であってもやはりそういうワイシャツを着ることとし、Tシャツで外に出ることは決してない。   
   
 こういうワイシャツ(そして、その裾はまっすぐではなくカーヴをつけてカットされており、普通の白ワイシャツと同じ)の場合、その裾はズボンから出して着たほうがダサくないのかどうか・・・と、迷い続けて何年にもなるが、やはり常にズボンの中に入れる。   
 衣服の歴史からするとワイシャツはそもそも肌着である。そういう感覚はたとえば日本では希薄であるが、しかし、ワイシャツが肌着であったことの名残はその裾のカーヴにはっきりあるわけで・・・肌着であった当時にあの裾がどう利用されていたかを思えば、あれをヒラヒラさせて街を闊歩する気にはどうしてもなれない。   
   
 「オフのときも堅い格好をしていますね」と、何度か言われたことがある。そういう印象も与えるのだな。   
   
 先日もやはりそのように言われ、次に、なぜそういう話の展開になるのか分からないが、「安物とか嫌いでしょ? 100円ショップでの買い物などを許せない人でしょ?」と言われた。   
   
 それは或る意味、美しき誤解であるなあ(笑)   
 筆者のうちにだって100円ショップの商品はいっぱいある筈・・・訊いて確認したところ、キッチンシンクの三角コーナー、洗面器、フローリングワイパー用の紙シートなどなど。バスマット(浴室ドア外の床に敷くもの)もそうで、これは布製であるが、何度か洗濯すると早目に捨てるとのこと・・・なので、安いに越したことはないというわけであるなあ。確かに、以上のようなものの買い物を頼まれて100円ショップに行くことも時々ある。フローリングワイパー本体も、1本だけ100円ショップで買ったものがあったとのことであるが、それは筆者が壊したらしい・・・ああ、あれか、思い出した・・・窓ガラスを外側から掃除するのに、フローリングワイパーに紙シートでなく濡れ雑巾を引っ掛けて作業したことがあるが、掃除終了後にワイパーを誤って膝蹴りして壊したことがあるのだ。   
   
 筆者自身が使う文房具の中にも100円ショップ商品は幾つもある。たとえば、冒頭写真の右上にある付箋や、また、写真右下の、何と呼ぶのかな、書類を束ねる道具に装てんする金属片(ホチキスになぞらえればホチキスの針に相当するもの)などなど。筆記具やペーパー文具については100円ショップの品物/品質に「偏見・先入観から来る不安」を持ってしまっているが、蛍光マーカー、諸々の機会に使うことのある薄っぺらい茶封筒などは100円ショップ商品を利用している。   
   
 以前、職場にて100円ショップ商品の話題で盛り上がったときのこと・・・。   
 「(あなたは)“100円ショップ”と呼びますか、それとも“100均”と呼びますか?」と訊かれた。   
   
 「どちらも言わないなあ」と答えたら、「え?」という顔をされた。   
   
 「105円ショップと呼んでいる」と言ったら、ちょっとだけ驚かれたが、この答えはもちろん冗談である。   
   
 消費税の税率が上がったとして、そして、そのぶんをちゃんと価格転嫁するようになって例えば商品が「110円均一」となる時代になっても「100円ショップ」等の呼称は変わらないのかな、どうだろう。   
   
   
 過日のこと、来客が、飾ってあった食器の下に敷いた布製そのほかのマット類に興味を示したことがあった。   
 「このコルクの、いいですね」と言った。   
 それからまた、「これ、材質は何ですか、しっとりしていて・・・ああ、シリコンゴムですか・・・いいですね」とも。   
   
 「さすが、こういうものにも目配り(考えたうえでのチョイス)をするのですね。どこで買うのですか? (自分のように)100円ショップで探しているようではダメですね」と言った。これまた、美しき誤解。   
   
 こちらは笑い、コルクのものについては裏返して、実はウィスキーのオマケのコースターであることを教えた。シリコンゴムのものは、これは "iPad" 用の保護ケースをカッターで裁断するなど工作したものであることを説明した・・・ "iPad" が登場してしばらくして、あれ用の保護ケース(サードパーティ製品)がワゴンセールで処分価格にて売られていたことがあったのだ・・・セットになっている液晶パネル保護シートやクリーニング用の布を目当てに、1セット50円だか60円だかのものを数セット買ったのであるが、 "iPad" ユーザーでない筆者にとって保護ケースは即ゴミと思えた・・・が、撫でてみるとその質感が良く、陶磁器の置物の下敷きに、また、ハンコを押すときのマットに転用すべくカッターで裁断し、角の部分はハサミでラウンドをつけた。100円ショップでの買い物よりも安かったわけである(笑)   
   

雑記



   
 前回ブログ記事の、フィッシャー=ディースカウのCDセット商品には解説冊子(英・独・仏語)が付属しているが、そこに歌詞は載っていない。しかし、冊子17ページの説明にあるとおり、「CD11」の中に歌詞のPDFファイルが収録されている。一部を除いて英語対訳も載っている。   
   
 冒頭の画像は、筆者のウィンドウズ・パソコンにて「CD11」をEドライヴにセットしたときの「マイコンピュータ」画面から。セキュリティ上、CDメディアをセットしてもオートランなどしないよう設定しているが、そういう場合、この例で言えばドライヴEをダブルクリックすれば歌詞を見るための画面に誘導されていく(もちろん、エクスプローラ画面から操作したいという人はそれでもよい)。   
   
   
 まずは、好きなリヒャルト・シュトラウス作品を少しだけ聴いてみたのだが、歌唱のほか、「ドイツ語の音」にあらためて魅せられた。(たとえば北欧歌手などがドイツ語で歌ったものについて、ふだん特に「気に入らない」などということはないのだけれど・・・。)   
   

雑記



   
 ゴロワーノフ(ゴロワノフ)の名演集ということで、16枚組CD商品が登場する:   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/1206030010/   
   
   
 ちょっと前にこの情報に接したのであるが、具体的な発売時期は記憶にとどめていなかった。   
 「そろそろ出回っていないかな」と、某CDショップに出向いたのだが、まだなのだな。   
   
 フィッシャー=ディースカウのEMIレコーディングのセット(11枚組)が目につき、「やはりこれは」と思って購入。ただ、これもまた聴く時間があるかどうか・・・いや、「聴こうと思い立って、実際にそうする」かどうかという、意思・意志の問題か。   
   
   
   
 写真右のは、缶入りの、トマト果汁入り発泡酒とでも呼べばよいのかな。   
 「トマトそのものをガブリと食べる」場合と、「ジュース、あるいはカクテルで楽しむ」場合とで、筆者の場合、好む風味傾向に違いがある・・・と言うか、後者の場合では「気に入る範囲」が狭いかなあ・・・トマトについて一定以上の甘みと濃さを感じながら飲みたく思っている。そういう好みからすると、この商品でのトマト風味の傾向と、「トマト味が薄いな、結果的に飲みもの全体として水っぽく感じる」的なところに不満を覚えた。ただ、しかし、トマト味を控えめ・薄めにすることは、或る意味、洗練なのかも知れないな・・・好みは人それぞれ、そもそも酒はそういうものだし。   
   


左党のための砂糖大根



   
 (↑)シャンソン、あるいは越路吹雪のCDジャケットの写真ではない。酒のボトル(のラベル部分)である。   
   
 砂糖大根を原料とする焼酎(甲類)。フランス産。   
 この季節にもかかわらず、ロックなどよりはお湯割りにて楽しむのがよいように感じる。飲み口は優しいが、風味に物足りなさも感じるため、お湯割り以外では「ちょっと寂しい」と思えてしまう(カクテルに利用しようとする場合はともかく)。   
   


餅は餅屋、JA(じゃ)の道は「へびぃ・ローテーション」



   
 (↑)写真の背景は日経新聞土曜版の記事から。   
 缶入り飲料は、上段2つが「ビール」、下左は「ビール」には該当しないビール系飲料、下右のはチューハイということになるか。   
   
 さて、新聞記事は「ゆで玉子」について。黄身部分が四角だったり星型だったりする「ゆで玉子」の作り方(筆者でも知っているくらいなのでおそらく誰もが知っているであろう専用調理器具を利用する方法・・・この場合、「ゆで玉子」は最初からいわば「2つにカットされたときの形状」で出来上がるわけだが)について書かれているほか、ちょっと興味深いのは、外側が黄身で中心が白身となる珍妙な「ゆで玉子」の作り方について・・・作るには知恵とコツが必要だが、記事からすると、作り方に慣れたとしても成功率が低すぎるよなあ。むしろ、先程の、黄身を星型などに作るための調理器具をアレンジしたような商品があるならば、そういうもので外側が黄身、中心が白身という「ゆで玉子」を作れたほうが便利だろう・・・ただ、玉子から得られる黄身・白身の量のバランスによっては、こういう珍妙な「ゆで玉子」をたとえば2つ作るのに3つくらいの玉子が必要だったりするかも知れないが。   
 が、しかし、外側が黄身の「ゆで玉子」をせっかくこしらえたとしても・・・野菜サラダにトッピングしても水滴やドレッシングと触れた部分からポロポロと崩れたりせぬか? また、ラーメンに浮かべたら黄身がすぐスープに溶け出ないか? もっと大事なことは、「ゆで玉子」の美味しさ・食感というものは、噛んだときにまずプルルンとした白身が外側にあってこそなのではあるまいか。バウムクーヘンほどの層は求めないが、3層式で、中心と最外周が白身であるというのが、食感上で許され、同時にまた楽しいながらも利用シーンも限られぬという、望ましい姿か・・・そこまで時間とエネルギーを使って「ゆで玉子」を作る意義は何ぞや、という疑問はおいておく。   
   
   
 「ゆで玉子」といえば、この夏もまた、昼食では「冷製おでん」にお目にかかるのだろうなあ・・・。   
 筆者が関係を持つ某事業所では、社員食堂が無いかわりに、昼食に「仕出し弁当」っぽいものを利用している。そして、しっかり粗熱をとりました的なエビチリソースや、ソフトな噛み心地でジューシーな油がたっぷりの春巻など出て来たりもするが、夏のメニューの「冷製おでん」にあっては、「あれ? 冬に出て来るのと同じだよな」みたいなもの・・・簡単に言えば、冬場の「おでん」はろくに温かくないし、夏の「冷製おでん」は特に冷やしてあるとも思えないような、調理後に放っておいただけのものみたいな・・・いったん冷やしても室温・外気温で温まってしまうのかな。  
 「味に命を賭ける」とか、そこまでしてくれなくてもよいと思っている。普段の食事というものはむしろ「衛生に対する注意を怠らない」の気構えが欲しい・・・家庭でも同じだが。しかし、どうもなあ、上のような食事にはやはり不満を覚える。業者を変更すればよいではないか、という意見もあるが、事業所が関係する町内会がらみの配慮も必要というものだ。   
 で、その「おでん」に入っている「ゆで玉子」だが、殻の内側のあの薄皮を上手に剥けないせいであろう、白身のあっちが欠け、こっちが欠けたりで、見た目が汚い。   
 そも、「ゆで玉子」はどう作るのがよいのか?    
   
 「やっぱり新鮮な素材を使いたいので、産みたて、または買って来たばかりの玉子を使いましょう。玉子の殻にあらかじめ穴を開けておく道具もありはするが、そんなもん、昔の日本人は使わなかったし不要でしょう。玉子をゆでているお湯が沸騰したら、ガス節約のため、沸騰後2、3分もしたら火を消してあとは余熱を利用しましょう。しばらくしたらお湯を捨て、ゆで玉子を水で冷やしましょう」   
   
 ・・・よく知らないが、たとえば上のような仕方をすると、薄皮を剥きにくい「ゆで玉子」が出来上がる確率はかなり高くなるのではないか。どうかな。   
 こちらは素人だけれども、プロとして、仕事として「おでん」や、それのための「ゆで玉子」を用意する側は、やはりちょっとは研究して欲しく思うのだよなあ・・・べつに「これぞ絶品!」な「おでん」を求めているのではない。   
   
   
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 冒頭の写真に話を戻し・・・。   
   
 サッポロクラシックというビールはしばらく前にも紹介したが、ロットのせいか、あまり美味いと感じなかった。しかし、ネットをちょい巡ると「美味い」との意見が多い。悔しいからまた別のロットを買った(いずれも6缶セット)。   
 新たなる感想は、「きれいな風味で美味いが、しかし、飛び出た個性が欲しい」といった感じか。そうだ、いまの自分はビールに求めるものが変化してしまったのだな、きっと。製品そのものに責任は無くて、自分の側が「個性の強いビール」を求めるようになってしまったのではないか。   
   
   
 「日本の彩(いろどり)」なるビールの味についても、心をグイッとつかむようなアピール/魅力が筆者には感じられなかった。しかし、美味しいことは間違いない。   
   
 写真の下段左のは、これはこれで爽やかで美味いが、ほんのちょっとだけズシリ感みたいなものが加わると筆者には嬉しいかな。原材料に「香料」なる表記も見られるが、ま、よいのではないか。   
   
 下段右の品。「青森産 青りんご」と表記されているが、果汁1パーセント。「たったそれだけの含有量で、誇らしげに表記するなよ」と思ったのではあるが、しかし1パーセントということは3.5ccであり、ま、このくらいに、あと香料など加わったうえでこのように楽しめる飲み物に出来上がっているのならよいのではないかな・・・(こういうパーセントを液量で考えるのか重量で考えるのか、また後者ならば比重を考慮せねばとか、そういうことを無視して一応3.5ccととらえてみた)。繰り返しになるが、楽しめる味わいであった。   
 「瞬間」の「瞬」の字をなぜ大きく表記するのだろうなどと、意味も無く思った。そして、ふと、(関係ない話だが)最近の人は「俊寛(しゅんかん)」と発音するときのアクセントがおかしいのだよと、かつて高橋義孝氏(故人)が懸念の言葉を発していたことを思い出した。   
   
   
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 或る飲み屋にて、このところJAの人と一緒になることが重なる。   
 飲み屋のカウンターで、初対面で隣り合わせになったときなども含め、お互いいちいち名乗る必要もなかろうといつも思っているのだが、「JA○○の者です、農協です」と言われた。いや、昔ならば「JA? それ何だっけ」と思ったろうけど、今は「JA」と聞いて何のことか分からないという人、ごく稀ではあるまいかなあ。   
   
 頭のなかに「平家納経」という言葉が浮かんだが、それで何か気の利いた(なおかつ、相手を不快にさせることのない)ダジャレを思いつくこともなく・・・。今回タイトルはそれとは別に思いついたものだが、これは、JAについて筆者が最近思っていることを書かねば、その意味するところは分かってもらえないだろう・・・ただ、それを書いている時間が今は無いかな。   
   
 JAとは無関係であるが、ここ2年ほど、知人などから野菜・果物を頂戴することが多い。でも、思い返すと、子供の頃から親戚や、両親の知人などから野菜などを頂く機会は多かった。   
 子供の頃のことだが、「このセロリは、普通に生産・出荷されるものとは別に自家用に育てたもので農薬は使っていない」とのことで貰ったこともあった。食事時に目の前にたくさん出て来たが、しかし、子供の舌にはセロリの味の魅力は分かりにくい・・・苦手意識が消えたのはずっとずっと後のことであった。   
   
 小さな子を持つ親からこんな言葉を聞くことがある・・・「うちの子は変なものが好きだ、セロリとか」、「ピーマンが好きだというから、うちの子は変わっている」等々。   
 多数派ではないというだけで、「好みが変」、あるいは「変な子」ではなかろう。また、いまのピーマンは昔のとは風味が異なるし、生でスライスしたものや焼いたものをシンプルな味付けで食べる場合、ヘタクソに油炒めしたものよりもずっとずっと子供にとっても美味しく楽しめるのではあるまいか。   
 子供の頃の筆者も、たとえば「シソの実の塩漬/醤油漬/味噌漬」(自家製)、「葉とうがらしの佃煮」が大の好物で、そういうものに目を輝かせていた・・・これまた多数派の「好み」とは言えまい・・・塩分を摂り過ぎな子供であったなあ。シソの実の漬物は、ダイコンを刻んだものと混ぜ合わさった醤油漬が昔からよく市販されており、あれはあれで美味しいけれども、しかし、シソの実だけで漬けたもののほうが味わいをしっかり正面から楽しめるし、豆腐にトッピングするなどしても美味い。   
   
 下のは、菜の花を用いての吸い物。この前は買って来て「からし醤油和え」など作ったが、その後、やはり菜の花を頂戴することがあった。   
 (アサリの酒蒸しのときも、菜の花のからし醤油和えのときも、アサリ/菜の花を使ったスパゲッティを作ってみてくれというリクエストを受けたのだが、パスタ/スパゲッティはどうしても調理する気になれない・・・日本人には不要な食べ物と思っていて、自分などは定食などの付け合せに出てくるスパゲッティ、マカロニサラダなどには決して箸を付けないほどであり、ゆえに調理しようという張り合いも感じないのだ。テレビもまた料理番組でパスタ類などを取り上げすぎではないか?)   
   



菜花(なばな)は 「をかし」 のホームラン王?



   
 「漬物ファンは、米ヌカと放射性物質との関係をどう考えるべきか」、「菜の花と放射性物質との関係は?」などと懸念する向きもあるやも知れないが、筆者自身は頓着しない。食欲には勝てないというか・・・(笑)。   
   
 菜の花を「山菜」と位置づける人はいないと思うけど、しかし、単なる季節感を超えた、ちょっとだけ格別な風情をその味わいの中に感じる点で、山菜に心ときめかすのと似たような心の動きを誘ってくる。好き嫌いもよく見られがちな山菜類に比べ、一般ウケもかなり良かろう。そして筆者は、出始めも、その後も、しばしば食べたくなる。   
   
   
   
 「つぼみ」と、それ以外を適当な長さにカットしたものとのうち、後者を先行して茹で始め、歯の悪い親もいるので最終的には普通よりほんのちょっとだけ柔らかめに仕上がることを考えて「茹で」と「蒸らし」。次に「つぼみ」も加えて茹であげ・・・「そうそううまく行くかな?」と不安であったが、大丈夫だった。   
   
 二束のうちの半分は、ありきたりながら「辛子じょうゆ和え」にした。もう半分はナムルまたはナムル風にして次の日に食べてもらおうと思ったのだが、菜の花をつまみ食いすると香りがかなり良く、どうしてもゴマ油をからめるのが惜しいように感じられてしまい、「明日、味噌汁の具として最後に加えてくれ」と言い置いた。   
   


昼の「おかず」から



   
 鶏ムネ肉にごく少量の食塩をもみ込み、日本酒をふりかけ、しばし放置してからラップをふうわりと掛けて電子レンジ加熱。のち、触れても我慢できるくらいに冷めたところで手で裂いた。梅と青ジソなどの風味がミックスされたドレッシングを垂らした。   
   
 さらに「刻み海苔」、あるいはネギか何かのみじん切りなど乗せても面白いのかも知れないな。   
   
 ゴマ風味のドレッシングでも親たちの好みに合うかなと思ったが、それはまた今度にしようと考えた。   
   
 最初、「ムネ肉よりもササミ肉を」という考えが頭をよぎったのだが、ササミ肉では「あっさり、ぼそっ」に過ぎるというのが世間や、そして親たちの感覚であろうし、したがって(こういう調理では常識的とされているであろうところの)ムネ肉にしておいた。自分の感覚からすると「案外と脂があるな」というムネ肉であった(国産)。   
   
 写真の色合いがイマイチなのであるが、実際にはちゃんと美味そうに仕上がった(笑)。   
   
   
 ・・・で、気に入ってはもらえたのであるが、「お前の作るものは精進料理っぽいものが本当に多いな」とも言われた。鶏肉を使っていて「精進料理」はないだろう(笑)   
   

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