2012-04

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季節は初夏でしょーか?



   
 今回タイトルのようなダジャレは、決して口にしないようにしているが・・・。   
   
   
 さて、次の4チームの名前を、自分がアナウンサーになったつもりで、発音明瞭に、と同時にまた「これがよろしかろう」と信じるアクセントで発声してみよう・・・。   
   
  「横浜 マリノス」、 「柏 レイソル」、   
   
  「京都 サンガ」、 「水戸 ロプロス」   
   
   
 これらの場合には、「横浜」などの地名に続く、例えば「マリノス」であればその第1音の「マ」にアクセントが付くのが普通かな、どうだろう。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 ところで、以前にも書いたように、ときどき親のために料理するようになったのであるが・・・。   
   
 ・・・という具合に話題を変えると、「今さっきの“水戸ロプロス”だけど、そんなチームがあるのか?」という疑問を置き去りにすることになってしまうな。   
   
 そのようなチームは、たぶん存在しない(笑)   
   
 かのディミトリ・ミトロプーロス・・・日本語でのカタカナ表記は通常は左のとおりであって、そして「ミトロプーロス」の部分では、日本の音楽ファンは普通「プー」にアクセントを置きつつこの名を口にするかと思う。   
 しかし、本当は "Mitropoulos" (もともとのギリシャ語表記もここに併記したく思うが、しかし面倒であり文字化けの可能性も考えて省略)の発音は「ミトゥろプロス」みたく、3音目というか、いや2音節目と言うべきかも知れないなあ、ともかく "ro" のところにアクセントがあるのだという話を聞いたことがある。筆者は、「先頭の "Mit" の部分は、これが仮にドイツ語ならば前置詞だもんな、存在感が小さい感じがするし、うむ、やはりアクセントは "ro" なんだろうな」という、まったくもって見当違いな記憶の仕方でこの名前のアクセントの話を覚えている・・・。   
   
 Jリーグが発足し、いろんなチーム名を耳にし、そしていつ頃からか、ミトロプーロスの名を目にするたびに「水戸ロプロス」という架空のチーム名が思い浮かぶようになってしまった。   
   
   
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 いつだったかな、ずいぶん前のことになるが、急に「ミトロプーロスの音源をもっと得ておきたい」と思い立つことがあって、新宿駅東口、紀伊国屋書店に近い某有名中古盤ショップに向かった。1階からエレベーターでのぼることになるのだが、見ず知らずの何人かの人たちに続き、一番最後に乗り込んだ。   
 行き先階のボタンを押し間違えてしまった。その瞬間、エレベーター内で筆者の背後にいた人たちの視線がこちらの後頭部に注がれたのが分かった・・・あれは不思議なパワー/エネルギーがこちらに到達したのだろうか。   
 ふと、「俺が押し間違えたフロアにはどこの会社/店が入居しているのだろう」と思って表示を見たら、某男性カツラのショップか何かであった。   
 エレベーターに乗り合わせた人たちはこちらの頭髪に目をやりながら、こう考えたのかも知れない:「この人の髪の毛は自毛ではないのだろうか・・・カツラのメンテナンスか整髪とかでやって来た人なのか・・・いまどきのは実に自然な仕上がりなんだなあ、見分けがつかないじゃん」・・・などと(笑)   
   
   
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 うちにある料理の本をパラパラめくっていて、たとえば次のような表現・言い回しにちょっと首をひねった。   
   
 「フライパンにサラダ油を中火で熱し、鶏むね肉を入れて3分ほど熱する。うんぬん」   
   
 自分が書く文章を棚に上げて、誰かが書いた文章をああだこうだ言う資格はないのだが、上の文章はちょっと変かなあ。「フライパンでサラダ油を中火で熱し、そこへ鶏むね肉を・・・」とかにすべきか?   
   
 ああ、でも、「フライパンに」は「フライパンにて」の意味なのかな・・・「李下に冠をたださず」みたく。   
 「わりと定型的な表現である」と言えるのか・・・。   
   
   
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 料理・調理をしている人にあれやこれや次々と話しかけるのは嫌がられるものと思っているし、自分はそういうことはしない・・・いや、居酒屋でカウンター席に座ったときはそういうこともしているかなあ、けど、向こうにとって客の相手することは仕事・商売の一環であろうし。   
   
 自宅で、たとえば次のような指摘は、料理中でないときに言ったことがある・・・そして実際、こちらの言ったとおりに改められたが。   
   
 「電子レンジはそっちに移動したほうが作業しやすかろうし、調理中の歩数も減る筈だ」   
   
 「(洗剤のキャップが、垂直に引き上げて開けるのでなく、ペコンと開けるタイプである場合に)洗剤容器をこういう向きに置けば、左手に食器を持ったまま、右手だけでキャップを開けてすぐ洗剤容器を持つことがを出来るのに」   
   
 「物置に何かを保管するときと同じように、食器・皿を重ねて仕舞うときは使用頻度のほかに重心を考えながら重ねないと、地震のときに崩れやすくなるぞ」(関東で育った人間は、誰もがではないが、タンスの上の置物、額入りの絵画・写真、柱時計、棚置き型スピーカー、本棚の本(重たい本を下のほうに等)などなどについて「地震のときどうなるか」と考えて生活したりモノの置き方に気をつけたりしている人が少なくない・・・と思う。)   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 親のところで調理作業をしていると父がそばに寄って来て、ああだこうだと、煩わしいものがある。   
 筆者が子供の頃は、母親が調理する様子を(黙って)よく見ていた。すると母は、みりんを使うことの意味や使用量などをはじめ、いろんなことを聞かせてくれた。それとは違って、(想像するに)子供の頃の父は筆者のようなことはなかったのかな、男子厨房に云々という言葉に従っていたかどうかは知らないが、ほかに手伝わされる仕事(たとえば風呂掃除とか)なども多くあったかも知れないし・・・。   
   
   
 ランダムに、父との会話をピックアップしてみよう・・・。   
   
   
 父:(“おひたし”にしようとするホウレン草について)「そんなにたくさん茹でるのか?」   
 筆者:「こんなもの、茹でればこのくらいにまで小さくなる」   
   
   
 父:(そのホウレン草を茹でようとする湯について)「醤油をかけて食べるんだから、塩なんか入れて茹でることはないだろう」(高血圧になる心配でもしての発言か)   
 筆者:「このほうがきれいな緑色に仕上がるし、アクも抜けやすい・・・最近のホウレン草は、これなんかはたぶんアクも少なそうに見えるけどね。塩の量も濃度も大したことない。おふくろもこうやって来た筈だよ」   
   
   
 父:「ホウレン草、切らずにそのままで茹でるのか。不精なヤツだなあ」   
 筆者:「・・・」(返す言葉が見つからず)   
   
   
 別のとき・・・。   
 父:「この鍋の中、茹でた野菜が入ったままだぞ」   
 筆者:「それ、(春菊の)茎のところでまだ固いから・・・歯の悪い人には食べにくいから余熱で蒸らしている」   
   
   
 父:「お前、そんなに焦って料理しなくたって・・・美味いものを作ろうとするなら楽しんでやればいい」(←自分ではろくに調理しないのに勝手な言い草だと思う)   
 筆者:「主婦の人とかで手際のよい人はきっと凄く速いんだよ。物事っていうのは人並みで喜んでいたらダメなんだよ、人並みであることは“負け”に近い。もっと手際よく出来るといいんだけどね。ま、本業じゃないから仕方ないけど」   
 父:「・・・(しばし沈黙)・・・この(野菜を茹でた)鍋に残ったままのお湯、俺が捨ててやろうか?」   
 筆者:「それはこっちの鍋を洗うのに使う。油とかは紙で拭いたりお湯を掛けたりするときれいに洗える」   
   
   
 父:(煮物の煮汁を用意しかけているときに)「カップとかスプーンで調味料の量を計らないのか?」   
 筆者:「うーん、そういうことしなくても、なぜかうまく行くんだよね。味を調整しているうちに煮汁の量が多くなってしまうこともあるけど、それでも大したことにならない」   
 父:「さっきの砂糖だって、ふつう一旦は皿にとってから鍋に入れるだろ?」   
 筆者:「あれは料理番組で、調味料の量や加える手順の説明を分かりやすくするためでしょ、たぶん。いつでもあんなことしていたら場所をとるし、洗い物も増える」   
   
   
 父:(煮物を作ろうとしているときに)「おい、それは蕎麦・そうめんに使っている“麺つゆ”だぞ。醤油じゃないぞ」   
 筆者:「旨味やダシが入ってるんだから、煮物によってはこれを使うと便利なときもあるんだよ」   
 父:「いい加減な料理だな。大丈夫なのか?」   
 筆者:「大丈夫。ここからまた味を調整するし・・・。あ、これもうすぐ無くなるだろうから、これと同じものかA社の麺つゆを買っておいて。B社のは絶対にダメだからね、あれだとダシが感じられなくて薄めた醤油を買うようなものだから」   
 父:「B社だって一流の会社だぞ」   
 筆者:「そういう問題じゃなくて。あそこのは麺つゆとしても料理に使うにもちょっと・・・」   
 父:「(メモをとりながら)B社のだな」   
 筆者:「違う・・・これと同じのか、A社のを。B社のではダメだっていうこと」    
   
   
 自分で酒の肴をひと品だけ作るとかならともかく、複数のものを作っていこうとなると心もはやるが、それと同時に頭の中で音楽を奏でていることがある・・・それはブラームスのシンフォニーの第2番のエンディングだったり、ドヴォルザークの「謝肉祭」序曲だったり。歌詞つきのものを口ずさんでいることもあるなあ、たとえばプリンセス・プリンセスの "Diamonds" とか、このあいだは「俵干し現場」、いや「俵星玄蕃」の、「吉良の屋敷に」以下の部分。頭の中にスローな音楽が流れることは無いなあ。そして、話しかけられるのは、やはりかなり煩わしい。   
   
 
 父:(野菜を茹でた鍋を筆者がキッチンペーパーで洗おうとしているときに)「スポンジたわしを使わないでわざわざそんな紙を使って洗うのか?」(資源のムダという感覚があるのだろう)   
 筆者:「あっちの鍋が油っぽいからこの紙で洗うことになる。この紙、けっこう丈夫だからまず先にこっちの鍋を洗うのに使って野菜の色素もきちんと落として、そのあと、あの鍋もこの紙で洗う。スポンジたわしを肉の脂で油っぽくすると、きれいにするのが面倒なんだよ・・・俺がスポンジたわしを洗うと力を入れてしまって潰れちゃうのも早まるだろうし」   
 父:「お前、そんなことまで考えながらやってたら、疲れないか?」   
 筆者:「いや、別に・・・(そうやって話しかけられるほうが疲れるんだがなあ)」   
   
   
 父:「今度、カツ丼を食べたいんだよな。作れるか? あれはトンカツ作ってチョコチョコッとやれば出来上がりだろ?」   
 筆者:「うー・・・作り方は頭では分かっているけど、いきなりでは上手に出来ないだろうね。トンカツならともかく、カツ丼だと、ほかには誰も食べないからねえ・・・ひとり分を用意するのに、鍋の始末とか考えると引き合わないなあ。ああいうものはどこかの店で食べるとかしたら?」   
 父:「あれ(筆者の母)も食べるだろ? お前は食べないのか?」   
 筆者:「女は丼ものは食べたがらないでしょ(←筆者の母の場合を言っている)。肉なんかは、あそこまで調理しなくてもトンカツで十分だと思うから俺は食べない。あっ、スーパーの惣菜コーナーとかでトンカツを買って来てくれれば、それを利用してカツ丼を作るのはいいよ、出来ると思う」   
 父:「ものは手作りじゃないと美味くないんだよ」   
 筆者:「トンカツは、スーパーで買ったとしても“手作り”みたいにして出来上がっているんじゃないかなあ。買って来たらオーブンでちょっと温めればわりといいんじゃないかな」   
 父:「・・・。この前の、冷凍食品のコロッケは、あれはひどかったぞ。やっぱり手作りのものじゃないとダメなんじゃないか」   
 筆者:「だから、あれは・・・買って来た翌日に食べるにしても冷凍食品は冷凍庫に入れておかないとダメだと言ったでしょ。氷温室に入れたら零度に上がってしまうし、それを説明書きどおりの時間で電子レンジ加熱したらダメに決まってる」   
   
 (また別のとき)   
 父:「アジ(鯵)を買って来た。これはここ(氷温室)でいいんだよな?」   
 筆者:「今日はもう、おかずを用意してあるんだけど」   
 父:「これは明日でいいんだよ」   
 筆者:「賞味期限や加工日のところを見て買い物しないと。加工日の表示が昨日だよ。どうせ同じ値段なら新しいもののほうがよいのに」   
 父:「そうか」   
 筆者:「膨らみもあって美味そうなアジだけどね。売り場で品物を見渡して、この一帯は昨日の売れ残りだなとか見当をつけたら新しいのの中から選ばないと。目の透明なもの、イワシなんかでもそうだけどお尻のところで見える内臓の色合いを見つつ、良さそうなのを手に取ったら最後にお腹を押して張り・弾力を確認して買い物するとか。スーパーでラップされた魚はエラをめくるわけにもいかないけど、イカの肌の色とか、切り身の魚が変な色になって来ているのとか、チェックはいくらでも出来るし・・・」   
 父:「昨日のものとか、肉でも魚でもみんなが買わなかったらスーパーも損して大変だな」   
 筆者:「ロスが出るのは見越しているでしょ。うっかり買っていく人、気にせず買っていく人もゼロではないし・・・。肉は最終的には“ひき肉”にしてしまうところもあるかも知れないし。賞味期限が切れているわけじゃなければ、それを調理して惣菜コーナーに並べるのも問題あるわけじゃないし」   
 父:「うまく出来ているんだな」   
   
   
 ああ・・・静かに料理に臨みたいものだ。   
   

クラヲタにとっての GW と R C サ ク セ シ ョ ン


   
 世間はGW、すなわちゴールデン・ウィーク入りである。   
   
 しかし“GW”の文字列を見て真っ先にギュンター・ヴァントを連想する人はクラヲタかも知れない。   
   
   
 話はぜんぜん違うが、クラヲタにとって“ R C サ ク セ シ ョ ン ”とは、某バンドの名称のほかにも、「ロベール・カザドゥジュ(カサドシュ、 Robert Casadesus )の演奏記録を連続鑑賞すること」を意味する(ホントか)。    
   
 昨年秋に登場したカザドゥジュの10枚組CDセット( Membran レーベル)・・・なぜか今頃になってHMVのサイトにて記事で紹介されている。タワレコの店頭でも見かけたりするが。   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/1204240075/   
   
   
 アナログ盤から復刻した音源がメインかと想像する。かなり古いレコーディングも含むし、また、復刻クオリティがどの程度のものであるかは気になる。しかし、ラヴェル、ドビュッシーなどのほかにも、セル、オーマンディ、フランチェスカッティらと共演した諸々の作品が収録されている。これまでにCDなどで得ていなかった人にとって一応以上には「お値打ちセット」と言えるのではないか。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・    
   
   
 下の写真の左のはビール。北海道でなくてもイトーヨーカドーにて買えた。   
 飲んでみて「あれ? おかしいな。妙に薄くないか?」と感じた。   
 「この味・出来ばえはおかしい。俺の舌がどうかしてしまったわけではないぞ、絶対に」と思えたのでネットでいろいろな人の感想を調べてみた・・・その結果、「できるだけ製造日から日数経過していないものを買うのが吉。しかしそれでも、ロットによって濃い・薄いの差が見られうる」と、そんな心づもりで手にするのがよろしいのかなと、筆者は肝に銘じることとした・・・うーん、でもなあ。   
 筆者が買ったのは製造日からまだ1か月を経ていないものであったから、そういう鮮度の点では問題ナシと思われ・・・とすると、ロットによる味の濃淡の違いの問題か。今回は残念であった。   
   
 右のは缶入りカクテル飲料。美味であった。   
   
 (以上、味の感想は当然ながら個人的なものである。)   
   


「酒を飲みつつ仕事した」と、ブログに書いてはイケナイか?

   
 10日間くらいのあいだに、中学生や高校生による自転車事故(の瞬間)を5件くらい目にした・・・「ケータイを左手に持っていたものだから右手でブレーキをかけることになって転倒」、「スピードをろくに落とさずに交差点に進入して歩行者と接触」、「のぼり段差にて、(これは想像なのだが)段差への斜め進入でハンドルを取られて転倒」とか。   
   
 ここ最近に限ったことではないが、インドアの遊びに偏りがありそうな今の子供たちの運動能力には問題がありがちだと思う。それでもなあ・・・上のような事故に関しては、たとえば小学生などでも自転車に乗り始めて1年ほどもすればその危険をしっかりと承知する種類のものだと思うが・・・。   
   
 でも、ブレーキ・シューの傷みがどうこうは別として、ハンドルを奪われないように気をつけつつ、(左手=後輪のブレーキ操作を後まわしにしての)右手ブレーキ優先使用は、ちょっとした制動感が手に伝わって、むしろ心地よいものがあったりする(凍結路面とかでまではオススメしないが)。   
 のぼり段差に対して、直角にでなく、けっこう鋭角に(時には前輪を浮かせて)進入するのも、大丈夫そうな「あんばい」が分かっていて、なおかつ後輪の乗り上げ時の「ガガッ、ズズッ」と来るものへの心積りがあれば楽しかったりもするし・・・。   
 直角進入で乗り越える段差も、ハンドルのグリップを握り締めるのでなく、一応の備えとして親指と人差し指とで固くフォルムを保ったうえでハンドルから1センチばかり離しておいて段差進入すると、手・二の腕・肘などに衝撃が伝わらなくて楽だったり・・・。自転車には自転車なりの、合理的だったり面白かったりする扱い方があると思うのだけど、ま、どうでもいいか。   
   
   
   
 「酒を飲みながら仕事した」、「酔いも醒めていないのに仕事した」などのことは、ブログなどには決して書いてはいけない・・・というのが、一種の鉄則かな・・・それは営業マンであれ事務屋であれエンジニアであれ。そして、仮にもし「午前3時まで酒を飲んでいたものだから、朝5時からの(電車やバスの)乗務はきつかったぜ」なんて告白するブログがあったら大問題になる可能性もあろうか。   
   
 許されるのは、「飲酒を伴う接待」や「飲みながらの(仕事上の)打合せ」のケースくらいか。   
   
 けど、こういうのも許されるかな・・・。   
   
 先日、大先輩から受けた電話:「お前、やっぱりゴルフはやらないのか? Aさんを知っているだろ? 一緒に回るんだ。Bさんも来る。一緒にどうだ?」。   
 「一緒に」も何も、筆者がゴルフをプレーしようとすれば、これから道具や衣類・シューズを揃えなくてはならないし、もちろん練習場にも通って・・・というところからスタートすることになるのだ(笑)。   
 若い頃から「ゴルフはするまい、あれで時間を取られたら、休みの日の寝坊も出来なくなるし音楽を聴く時間も乏しくなる。接待ゴルフも接待マージャンも一切したくない」と思って来た。「道具? ゴルフ・クラブなら、俺が使わなくなったのがいっぱいあるからあげるよ」などの言葉を掛けられたこともあるが、ま、「ゴルフをやらない」ことについて譲歩・妥協はありえないのだ。   
   
 経費精算伝票に添えられたゴルフ場の会計伝票を目にする機会もあるが、ゴルフ場内にある茶店だかレストハウスだかで食べられる蕎麦がどのくらい美味であるか確かめたい気はちょっとするけど、しかし、やっぱりフツーの乾麺なのかなあ(笑)   
   
 結局、というか当然ながら先輩とのゴルフの約束はせずに済んだが、そのかわり、昨年までの何回ものゴルフでAさんやBさんたちが写っている写真からピックアップしたフォト・アルバム(CD-Rでなく製本されたもの)を作るのを頼まれた。   
 作業を若い人に「丸投げ」したいと思ったが、彼らはAさんやBさんの顔を知らなかったりするし、それぞれの魅力や個性がよく滲み出ていて「これは面白い!」という写真をピックアップするのはさらに難しかろうし・・・。自宅で夜中に作業することにした。   
 それにしても、ズーム機能を使って撮影しようと思うことが少なかったのか、小さく写ってしまっているものが目立った。レストハウスで撮ったのか赤目現象が出ている写真とかも・・・。   
 写真のピックアップ、画像補正、トリミングなどに結構な時間を要した・・・いつしか、(いや、ほとんど最初からだが)酒を飲みながらの作業・・・人と人、会社と会社の縁を良好にする、「やっぱりこれだって仕事さ」と言えるものではあるが・・・こういうのは「酒を飲みながら」であっても許されるだろう。   
   

「勝者の論理、敗者の論理」・・・「商社の論理、歯医者の論理」

   
 ずいぶんと前(1990年代半ば)、コメが不作となったときに日本に緊急輸入されて出回ることになったタイ産のコメは、燻蒸の臭いその他の理由から消費者に不評だったようだ。   
   
 「“不評だったようだ”って、あんた、あのときタイ産のを食べなかったのかい?」などと疑問に思われるかも知れないが、外食でも家でも口に入ることは無かった・・・気づかないうちにブレンド/混入されていたかも知れないけど、少なくとも「これはタイ産のもの」などと意識させられる機会は無かった。   
 あのとき、国産のコメは東京などの大消費地にばかり流れ、かえって地方においてこそ国産の/それぞれの地元産のコメが不足したのだという説も聞かれた。そしてまた、筆者はあのとき、知人から伝えられた「タイ米しか手に入らないんだよ」の言葉に半信半疑ながらも、しかし、東京にて(実にスムースに)石川県産・新潟県産・富山県産などの表示がされたコメを買って知人らに送ったのであった。    
   
 さあ、あの頃のことから始まって、現在の、「検査されていようが精米されていようが、放射性物質に汚染されているかも知れない」などと思いこまれ、嫌われてしまっている産地のコメの流通、某大手スーパーが扱いを始めた中国産のコメの流通など考えつつ、商社の穀物部門、または穀物専門商社がコメをどう考えてどう扱い、これまでのあいだ日本のコメ市場の将来をどう見越して来たか等々について書いてみたいのだが、紙幅も時間も足りないし、そのテのことを書いた本や記事は幾らでもあることだろうし・・・。    
   
 というわけで、「商社の論理」でなく「歯医者の論理」へと話を移す・・・。   
   
 「良い歯医者さん」とは何か? それは、歯科医としての知識・技量の面の問題も勿論であるが、子供の頃からいろんな人の話を聞いて思い至ったことは・・・(今日と違いアマルガム使用が一般的だった時代)・・・例えばごく普通の虫歯を治療したいときに、初診時には「歯を削って詰めものをする」、次回には「詰めものの表面の形を整えつつ滑らかに磨いて仕上げ、これで治療が完了」というように、簡単なものならば2回で治療完結するのが良いよなあ、そのようにしてくれる歯医者さんが良いよなあ、ということ。   
   
 虫歯治療と一緒に歯垢・歯石の除去をしてくれることは、これは歓迎する・・・しかし、上の例で言えば、患者の側が治療して欲しいと考える個所を優先的にというか、それを出来るだけ速やかに片付け、歯垢除去についてはそれと平行するなり後回しにするなりして欲しく思う。   
   
 が、もうずいぶんと以前から、筆者の知人たちが通う歯医者さんのところでは、患者が「ここを治療して欲しいと考えている個所」については応急処置っぽいことをし、2回目の診療ではその個所をそのまま放置して歯垢除去、3回目も同様、4回目とかになってようやく再び問題の個所を治療して・・・みたいなケースが多いようで。   
   
 これはどういう理由によるものなのか? うがった見方をすれば・・・あ、いや、勝手な想像などは慎もう。   
   
 さて、下の写真は、筆者が或る歯科医にかかったときのもので、「次回はこの日程で」的な連絡が書き連ねられたカード(その日の治療が済むと抹消線が引かれる)・・・古いカードだが、今に至るまで机の引き出しに残っている。(追記:画像は削除した。この歯科医院も廃業したとの噂を聞いていたが、ふとネットで調べてみると、どうやら現在も続いているようであり、もしも当時と同じレイアウト・デザインのカードが使われ続けているとすればちょっとアレなので・・・筆者としてはべつに“恨み”を抱いているわけでもないので。)   
   
 過去に虫歯治療したときの詰めものが、20年以上を経た或る日のことポロリととれてしまったことがあって、写真にあるとおり、或る年の5月、初めて伺う歯科医で診てもらった。   
 そのとき思ったのは・・・。「今日はたぶん、歯を削りなおすなどしてして、詰めものをしてくれるのだろうな。そしてあともう1回行くことになって仕上げがされて治療は完了・・・どうか、そのような仕方をする先生でありますように!」と、心の中で祈った。   
   
 が、初診時には応急処置というか、消毒っぽいことをされた後に「仮の詰めもの」をされたかな・・・ただそれだけで終わり。で、次回診療は写真にあるように6月の某日ということになったのだが、その日にされたのは歯垢除去だけ・・・それも歯全体の4分の1くらいだったかな、「何だかなあ」と思った・・・というのも、歯垢などの手入れはこの前年までは別の歯医者さんのもとで1年に1回くらいしてもらっていて、そこでならば口中の歯全体について1回で済んだのだ(その歯科医院は廃業してしまった)。そして3回目の診療も、またもや歯垢の除去のみ。   
 こんな具合で、こちらが本来望んでいた治療が済んだのは9回目の診察のときである・・・もう9月になっていた。(途中、「ったく。先生、何を考えているんだよ」と思ったりもしたが、知人から紹介された歯科医であり、何か言うのは我慢したのであった。)   
   
 「こういう診療の仕方があっていいものか? 健康保険組合にも余計な負担がかかるだろうに。だけど、待てよ、俺は歯科医院のビジネス・経営とか、それと診療報酬との関係、レセプトのチェック体制とか、雑学的に知っておきたいことがいっぱいあるなあ・・・健康保険組合に伝えてみようかな、どうしようかな」と迷ったものだから、この写真のカードは机の中にしまった・・・それが最近たまたま出て来た。  
   

雑記

   
 要するに「静かな時間」とか「邪魔されない・煩わされない時間」のために、いや、トータルな「こちらの気持ちの平安」のためにということかな、選挙運動、宗教関係の布教・勧誘というものを、何か適切に規制してくれぬものかと、ときどき思う。いや、「規制」とは違うのだが、その何と言うか・・・。   
   
   
   
 思い返せば、それは20代半ばの頃のことだ・・・家のすぐ近くを歩いていたら選挙カーがこちらに向かって走って来た。   
 拡声器からはそれまで、ウグイス嬢の声で「選挙公約」めいたものを伝える声、候補者の名前を連呼する声が流れていたと思うのだが、こちらは当然のように無視して歩いていた。   
 するといきなり、拡声器から「旦那さん、応援いただき、ありがとうございます。頑張ってまいります」とかいう声がした・・・。   
 「ん?」と思って周囲を見渡すと誰もいないし、近所の家々から顔を覗かせている人も無いようで・・・自分が(年齢より老けて見えると指摘されたことは当時よくあったものの)まさか「旦那さん」とまで呼ばれるようなルックスとは思っていなかったが、しかし、「俺のことを指したんだろうな」と思えた。   
   
 こういうの、とてもイヤだよな。まず第1に、こちらが手を振ったりしたわけでもないのに「今しがた有権者の応援をいただきました」と、彼らはウソの宣伝をしていることになるだろう。そして第2に(むしろこちらの問題が大事だが)、もしも近所の人が「誰かが手でも振ったのだろうか?」などと思ってこちらを見やることがあれば、「あそこのウチ/あの息子は公明党支持なのか?」と思うではないか。それで即、筆者や同居家族(その当時であれば父母)の「名誉が損なわれる」とまでは思わないが、しかしそれに近いような気持ちにはなるものだ・・・この党の何がよろしくないとか、そんなことを今ここで言うつもりはない、とにかく「自分はこういう不快を覚えた」と書くまでのこと(以下、いずれのケースも同様)。近所からそのように勘違いされたくないと思ったものだ。   
 どの党であれ、「誰かしらを、我が党の支持者であるかのように周囲に誤解させてしまった場合の迷惑、当人の気持ちの問題」ということを念頭に置いていただきたいものだ。   
   
 繰り返しになるが、「その党がなぜによろしくないか、良いか悪いか」などを書くつもりは無い・・・そうでなく好悪の問題ということ。   
 転勤などで引越しする人、引越しして来た人に対して、彼が既婚者であるなら「新しい土地で、奥さんに“3時のお茶友だち”が出来たりするかも知れないが、あとで気づいてみたらそれが創○学会の人たちばかりだったなんてことにならないよう、奥さんにも注意の言葉を掛けておいたほうがいいよ」と、そのように言っておくことがある。これを余計なお節介と感じる人もいようが、筆者個人はそのように思っていないし、反論やクレームを受けたことも無い。   
   
   
   
 上のこととは話のレベルも、関係しうる思想なり政党なりもまったく違うが、民間企業における従業員採用にあたって、応募者本人やその実家などの思想面をまったく調べない/気にしないという、最近では定着してしまったかに見える採用方針についても、筆者は多少の疑問を覚える・・・たとえば労働組合が先鋭化する要素を排除しておく意味でも、あるいはその他の意味でも、「現状、これ、どうなのかなあ」と、正直、思うものがあるのだ。   
   
   
   
 最近こういうことは無いのだけど、こちらの家と隣家との間くらいの前の公道にて、共産党の候補者が拡声器を手にして「ただいまから辻演説をさせていただきます・・・」と言って、演説を始めることが何度かあった。筆者は共産党の発する言葉は聞きたくないのだけど、政治活動は自由なわけだから仕方ない、そして、うるさいのを我慢するわけだが、しかし、演説などというものは、出来れば駅前とか「ふだんから静寂であるとは言えない場所」でやってもらいたいものだ。   
   
 住宅街に限らぬが、議員選挙の場合や、あるいは複数種の選挙のための運動が同時進行している場合、或る候補者とまた別の候補者の選挙カーがすれ違うときに、彼らの所属政党が同じだったりすると拡声器を使いながら互いにエールを交わし合うなんてことがある。これこそは「うるせえんだよ。仲間うちのことは、選挙事務所の相互表敬訪問か何かでやってくれよ」と思う。   
 対立候補の選挙カーのすれ違いだと、また別の形でうるさくなったりするし、やれやれと思う。   
   
   
   
 中学生時代の同級生がいて、しかし、彼とは親しくもしていなかったし(会話を交わすことはあったが、しかし、彼が「軍神」という言葉も広瀬中佐も知らなかったという記憶だけは残っているなあ)、卒業以来まったく会っていない。   
 その彼が、或る議員の後援会か何かに卒業生名簿を提供したらしく、選挙の時期になるとその議員から郵便が送られて来るし、それだけならまだしも、議員が戸別訪問して来ることさえあった・・・今は無い。   
 その議員は玄関の外で「いつもお世話になっています。民主党の○○です」と大きな声で挨拶したが、こちらはもちろん「お世話」も彼への投票もしていないし、「ちょっとは声を小さくしてもらわないと」と思ったものだ・・・隣家の人などから、こちらが民主党を応援しているなどと誤解されたくない。   
   
 かの同級生が卒業生名簿を渡したであろう時期はけっこう前のことで、「個人情報」についての意識もまだきちんと浸透していなかったであろうから致し方ないことなのか。   
   
   
   
 土曜だったり日曜だったりに「奉仕活動で回っているのですが」と言って回って来る人たちがいる。ノンビリしていたいこちらの気分は害される。こちらが寝坊していた場合にはパジャマ姿だったりもするので、気をつけながら窓から顔を出さなくてはならない羽目になる。向こうが発する言葉、「奉仕活動で」の「ホウシカ」まで聞こえたところで「うちは興味ないので」と告げて追い返すことを基本としている・・・セールスマンであろうと、そうでなかろうと、こちらにとって用事の無い相手には、キッパリと、口調ばかりでなく顔の表情も冷淡にして、木で鼻をくくるように、にべもなく告げるのが「早くお引き取り願う」ためのポイントだ。     
   
 こちらが玄関の外、庭先などにいて、不本意にもちょっとばかり会話することになってしまうと、冊子、パンフレットなどを寄越そうとするが、あれはつまり「他の雑誌類などと一緒に束ねることとなる資源ゴミ」をこちらに押し付けることと変わりない・・・「迷惑であり、失敬なことだ」と筆者は解する。「各人、どのような教えを信じるかは自由であろうが、しかし、布教などしないでくれ」と、いつも思っている。   
 何年も前のこと、冬の或る日・・・。庭の枯葉をゴミ袋に詰めていたら、宗教関係者が家々のポスト(郵便受け)に冊子を入れて歩いているのが見えた。そしてウチにもやって来た。こちらに会釈しつつポストに入れようとするから、「おい、違う違う、こっちに入れてくれ」と、枯葉の入ったゴミ袋を広げて差し出した。   
 相手は「意味が分からない」という表情をした。「どうせ読まないし、最初からここに入れてくれたほうがこちらの手間が減る」旨を告げると、相手は口を尖らせ、手にしていた冊子を、まるで「奪われまい」とするかのように引っ込めた・・・「そんなもん、誰が欲しがるか!」と思った。なぜに、ああ不機嫌になるのかな・・・「冊子を読まない人もいるし、その場合にはゴミとして処分する労ばかりが生じる。非生産的である」という想像力が働かないのかな。冊子のなかに書かれている言葉や知恵や体験談とかは、それは信者が「ありがたいお言葉」などなどと思っているに過ぎぬのであり、こちらが読み手となった場合にはこんな感想を持つこともあるのだ:   
   
 「この文章を書いた人(それが教祖であれ投稿者であれ)はこんなことをヌカすのかあ。俺にしてみれば“たわけたことを”と感じられるものだがなあ・・・ま、徳の積みようもいろいろあろうし・・・おっと、こんなものを読んでいてはあかんな。それにしても・・・占い師をやる場合には、その占いが外れたときに恥をかき、ビジネスも終わってしまうかも知れないが、宗教のほうが楽に始められ、布施・免罪符・摩訶不思議アクセサリーなどで金も集められるし、こういう生業(なりわい)・ビジネスも有りなんだろうな。」   
   
   
    
 宗教関係で回って来る人たちは、筆者の限られた(少ない)経験からすると、「お忙しいところすみません」とか、「お呼び立てしてすみません」、「お時間を頂戴しました」等の言葉が出て来ることが無い。それを注意してやったこともある・・・「そういうことを指導されていないのか? どんな人物が指導者になっているんだか」と。   
   
   
 高校時代以降の若い頃には、聖書(旧約・新約)を読んでいないと「レクイエム」「ミサ曲」「スターバト・マーテル」などをきちんと鑑賞できないのではないかと思ってそれらを読み、その関係の解説本なども幾つか読んだが、疑問に思うことなどを宗教関係の人に問うのは(個人的な経験からすれば)どうも正解でないのかな・・・スパッと答えが出て来ることが無いばかりか、余計な話へとウロウロしてこちらの知りたいことへなかなか到達しない。あげくに「教会にお越しになってはどうでしょう?」と言われても、そこまではちょっとという気持ちがこちらにはあるしなあ。ま、浮世・現世を生きること以外にあまり関心を抱くのも自分としてはどうかと、心の底で思っていたりもするからか。   
   
   
   
 ずっと前のこと、これまたやはりまだ若かった頃のことになるが・・・。   
 人と待ち合わせをしていてベンチに腰掛けていたら、ひとりの若い男が寄って来て「手かざしをさせてくれ」と言いながら手を伸ばして来た。それが宗教によるものであることは承知していたが、ああいうことをされると、少なくとも筆者は「気味が悪いことだ。不快かつ不吉なことをされる、事によるとこちらの運気も悪くなりはせぬかなあ」みたく感じてしまうため、「そういうことはやめてくれ」と言って睨んだ。   
 それから1年か2年かした頃、またも同じように「手かざしを」と寄って来る者がいた。このときも自分は腰掛けていたから「こちらの左足で相手の右足首後方をフックして、次にこちらの右足で相手の右脚スネを押し蹴って仰向けに倒してやろうか」と、チラと思った・・・これはイケナイことか? だが、それで何か問題になっても「え? そんな宗教があるなんて知りませんよ。(十字を切るくらいに、誰もが知っているメジャーな動作なんですか?) 腰掛けているこちらに手を伸ばして来たから身の危険を感じてしまって」と主張すれば、或る程度以上は正当防衛みたいなことが認められやせぬかと、以上のようなことを1秒くらいの間に思いついたのであったが、ま、よした・・・相手が後頭部を変な具合に打って深刻な後遺症でも残った日には裁判だ何だということになって時間そのほかでバカバカしい損をするであろうし、何もしなかったのが正解だったろう。   
   

何度目の登場かな・・・ホロヴィッツとセルのチャイコン

   
 ホロヴィッツ/セル/NYPによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ライヴ収録)・・・アナログ盤では某PレーベルやMMレーベルから出たが、CD時代にはまずMMレーベルから、そして、その後も他のレーベルから出ているから、CDとしては通算5回目くらいの登場ということになろうか:   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/1204090056/   
   
   
 この商品はホロヴィッツによる、コンチェルトのコンサート・ライヴ集であり、チャイコフスキー第1番については4種、ブラームス第1番およびラフマニノフ第3番はそれぞれ2種を収録しているようだ。   
   
 ホロヴィッツ/セルのチャイコフスキー・・・魅力は随所にある。多くの人が既に聴いているから何か書くのもどうかと思うのだが・・・しかし、ひとつだけ・・・第3楽章終盤近くのピアノ・ソロ(カデンツァと呼んで良いのか迷うのであるが)に入らむとする個所(第240小節くらい)・・・連打が続いたティンパニの最後の一打ちの質感・表情と、それが「(聴衆に)よく通るように」と計算したかに思えるピアノ・ソロの“弾き出し”の加減、そして、それが聞き手にもたらす感興・・・これは筆者にとって印象深いもののひとつ。   
   
 下のは過去の画像の使いまわし・・・このうち右上のものはカーゾンとのスタジオ・レコーディングを収録しているCDで、今回のホロヴィッツの話題とは当然ながら無関係。   
   



いま、この本が面白い: 「羽田 十六郎左衛門 - 半生をメロン栽培に賭けた男」

   
 近衛 十四郎(このえ じゅうしろう)といえば有名な俳優(故人)であるが、この本が取り上げるのは「十四」ならぬ、羽田 十六郎左衛門(はねだ じゅうろくろうざえもん)氏である・・・芸名ではない・・・趣味としていた庭仕事に飽き足らず、或る日から突然、果物づくりに情熱を傾けるようになった人物。その後半生においては、メロンの交配、品種改良などで非常に大きな功績をあげるに至った。   
 俳優の阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう)を、人はときに略して「ばんつま」と呼んだりしたが、羽田 十六郎左衛門氏もまた仲間などからは「はねじゅう」と、親しみをこめて呼ばれた。   
   
 青果店、果物店などで目にすることのある「ハネジュー・メロン」は、氏が手掛けた品種のメロンである。   
   
    
   
 ・・・(↑)というのは真っ赤な嘘、デタラメであり、今回タイトルで示したような本も出版されていない。   
    
 しかし、以前のこと、「ハネジュー・メロン」という商品名表記を目にしたとき、「ハネジューって何だ? 人の名前? 羽田 十六郎左衛門みたいな名前の人物とか?」と、思ってしまったのだ。   
   
 あの「ハネジュー・メロン」は、 "honeydew melon" なのだね。 "honeydew" という語は「(したたり落ちる)蜜」を意味するが、 "honey" と "dew" とが結合したものだろう・・・ "dew" は「しずく、露」の意味で、マウンテン・デューという名の清涼飲料水もあったっけ。   
   
  "honeydew" の発音は先頭にアクセントが置かれて「はニデュー」または「はニドゥー」であるようだから、やっぱり「ハネジュー・メロン」よりは例えば「ハニデュー・メロン」などの表記が好ましいように感じる。   
 ただ、人は「デュ」という表記を目にしたときに、(「デュマ」「デュ(・)ポン」をはじめ表記実例は幾つもありはするけれども、しかしながら)読みにくさを感じるということも稀ではないか。それならば「ハニジュー・メロン」あたりが妥協点か。   
   
 ・・・しかし、それでも、筆者の頭にはまたまた人名が浮かんでしまいそうで、こんなタイトルのブログ記事を書いてしまうかも知れない:   
   
 “いま、この本が面白い: 「羽仁 十六郎左衛門 - 半生をメロン栽培に賭けた男」”   
   
   

その一線を・・・「超える財務」と「超えぬ財務」



   
 企業の財務部門の責任者とスタッフには、意思決定・判断そのほかに関して幾つかの規範の感覚や理念、また或る種の倫理観のようなものが求められるかと思う。そして、「これをやったら自分の身がアウトだぜ」とか「これをやったら会社がアウトだぜ」というチョイスは避けねばならないだろう。   
   
 さあ、その一線を「越えぬ財務」とは何か?   
   
 ・・・という話は長くなるからヤメにしよう。   
 で、上の写真の右のほうに写っているのは「 コ エ ン ザ イ ム 」なる成分を含む健康補助食品。   
   
 知人の某が筆者に対してこう言った・・・「健康食品嫌いな気持ちも分かるが、老化が始まってから、あるいは体調不良や疲れやすさなどを感じてからでは遅いのでは? ○○や○○などの成分はたぶん誰にとっても有益だよ」。   
   
 このように言われると健康食品関連の広告にも目が行くようになるものだ・・・うむ、なるほど、彼が「有益だよ」と薦める成分を含む健康食品があれやこれやと有るのだなあ。   
 で、日本の、ウィスキーやビールで有名な某メーカーのグループ企業らしき会社による広告も目に入った。無料サンプルを1万名様にプレゼントするというのだが、先着1万名様ではなく、応募締切○月○日で抽選にて1万名様だという。締切日はわりと向こうであり、筆者はこう思った:   
   
 「これじゃあ、忘れた頃に品物が届くって感じだなあ。すぐ試してみたい気持ちなんだが。“希望者全員に即日/随時プレゼント(発送)”とまでは求めないが、先着何名様に即日/随時プレゼントというパターンにすればいいのにな」   
   
 考え方・感じ方は人それぞれであるが、無粋、いや、そういう感じとも違うな、どこかこちらの感じ方に合わないところがあって応募せず・・・1万名ぶんのプレゼントを用意しておけば、場合によっては1万名以上の個人情報(それは潜在顧客であるかも知れぬ)を得られる立場の向こうはよいだろうが、抽選で漏れてしまった側は、うーん、個人情報を提供したことにちょっと損した気分になるかなとか。   
 そこで、そのかわりに、また別の成分に関わるものではあるが、違う会社のサンプル商品を買い求めたのであった・・・それが上の写真右側のもの(これは有償)。   
   
 飲み始めたばかりであるが、効果があるのかどうか今のところは特に実感するものが無い。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 写真の左に写っているのはエビス・ビールの「ザ・ホップ」。限定醸造の商品。某駅のコンビニっぽいところで出会えた。   
   
 エビス・ブランドを選んで飲むことが多い人の嗜好を好き勝手に想像してみての個人的意見であるが、ホップの香り、苦味ほか、個性というか「エビスならでは」、「この品ならでは」というものを、あともう少しだけ前面に出したほうが一層ウケる、喜ばれるのではないか・・・いや、しかし、どうかな、分からない。   
 筆者は「おお、美味いのお。いろんな銘柄で浮気しなくても、こういうビールをいつも飲めたらそれでいいのかも知れないなあ」と思った。   
   

飲みながら音楽を・・・



   
 或ることがきっかけで、「そうだ、“大地の歌”を聴こう」と思い、夜遅くの音楽鑑賞となった。   
   
 写真のものは、クレンペラーとクレツキの有名なレコーディングと、そしてセルのライヴ盤から。が、前2者を聴いたところで言うなれば「お腹いっぱい」状態。セルのものはまた今度ということに・・・ジャケットにはベルリン公演であるが如く表記されているが、クリーヴランドのセヴァランス・ホールでの演奏会のものであろう。ほかに、ベルティーニの録音についてもこれまた久しぶりに聴き返したいしなあ。   
   
 写真の下方に写っているのは、或る料理本の一部・・・「今度はこれを作ってみよう。これなどは“余裕で”しかも“素早く”出来そうだし、調理器具の後始末も楽そうだわい」と思った。「料理には決してハマるまい」と考えつつ・・・。   
   
   
   
 或る焼酎の封を切った・・・下の写真のがそれで、本坊酒造の品。一升瓶。   
 それなり以上にしっかりとした風味が感じられ、美味しいと思った。   
   


雑記



   
 左のは、あのメジャーなビールの黒ビール版。そして真ん中のは、「ビール」ではないカテゴリーに属する有名商品の、言うなれば「黒ビールもどきヴァージョン」。   
   
 意外にも、カテゴリーが「ビール」であるところの左の品よりも、真ん中のもののほうが、筆者にとっては「好ましい飲み物」であった。   
 ただ、左のアサヒのものも魅力的ではある。原材料に米その他を含むタイプのビールで、アサヒが「スーパードライ、ドライブラック」と名付けて出すとなれば「こう来るかな」と、グラスに注ぐ前に思い描いた味わい・質感にわりと近かった。   
   
 世の中には、「洋食・中華などよりも和食がいいな」と思い、そして、実際にそういう食事をメインにして嗜好・味覚が形づくられた人もいれば、それと違う舌を備えた人もいる。また例えば、はんぺん網焼き、チキン・ソテー、ピザ、チンジャオロースーのそれぞれ毎に、「よく合うビール類」が異なることがあっても不思議はない。ま、それぞれの人が、その時その時に美味いと感じるものを口に出来ればそれが幸せ・・・。    
 ふと思ったのだけど・・・。ラーメン屋さんが「普通のビール以外にどうしても黒ビールも置きたい」と考えたとする。筆者としては黒ビールはギョーザにもラーメンにも合わないのではないかと思うのだけど、それでも「どうしても黒を」となると、アサヒのこれであれば違和感は小さめになるか・・・でも黒ビールと塩ラーメンを交互に口に運んだりしても美味そうには思えないけど。いや、筆者、やっぱりラーメンのことは分からない。   
   
   
 写真の右端に写っているのはイオン/ジャスコ扱いのPB商品なのかな、いわゆるカシス・オレンジ・カクテルの出来合い缶入り商品。興味半分、気の迷いで買ってしまったのであるが・・・。   
 当然ながら個人的感想に過ぎないのであるが、これにはガッカリするものがある。まず、カシス風味が薄いと思う・・・設定価格(販売価格)との兼ね合いもあって、あるいは商品コンセプトとしての「アルコール度 低め」の路線との関係で仕方ないところがあったのかも知れないが、原材料表示を見るとカシスの「果汁」の表示は見えても「カシス・リキュール」という表示は見当たらず、そのあたりも味に影響しているのか。そして、酸味の「強弱」というよりも「酸っぱさの質」にちょっと難があると感じた・・・トゲっぽく、かつ単純めいたものがあり、丸み・ゆったり感などに欠けるのではないか・・・酸味料のチョイスの問題なのか分からぬ。料理で、「ここは当然ながら米酢を使って欲しい」と思うのに穀物酢を使われてしまっているときに抱く感想とちょっと似ているかも知れないなあ。   
 残念ながら、好きになれない仕上がりであった。   
   


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