2011-01

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雑記

   
 デアゴスティーニから刊行されているオペラDVDのシリーズで「トリスタン」を楽しみにしていたのだけど・・・。  
 大手書店ではないがそれでも「これくらいの規模の店なら入荷しているだろう」と見当をつけて入った店にはこのシリーズを置いてなかった。そこで今度は、以前このシリーズを買ったことある店に寄ったらそこにも無かった。目当ての「トリスタン」ばかりか、過去には備えてあった何点かのバックナンバーも無くなっていた・・・お客さんにすべて買われていったのか、それとも扱いをやめてしまったのか。さらに他の店へ行っても見当たらなかったので店員さん(たぶんアルバイトさん)に「扱っていないのか?」と尋ねたら、「予約しているお客様のぶんしか取り寄せていないかも知れないですね」との返事・・・ここで「お取り寄せしましょうか?」との一言があればそれをお願いしたかも知れないが、そうでないのにこちらから取り寄せ依頼する気にはならなかった。   
   
 人気沸騰するような商品・シリーズではないから「あっちの店でもこっちの店でも買える」状態にはならんのだろうけど・・・「鬼平」や「ポワロ」、「寅さん」、「奥様は魔女」、「大人の科学・二眼レフカメラ」などなどには負けてしまうのだなあ(おっと、違う出版社のも混じってしまった)。   
 オペラDVDシリーズについては、今後に発売されるものの中にも何点かは欲しいものがきっとありそうな予感もするので、いちいち予約や取り寄せ手続などしなくてもすぐさま入手できるようになってくれるとよいのだけど・・・。   
   
   
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 下の写真の左のは缶入りカクテル飲料。ミックス・バランスが好ましく、美味いと感じた。   
 と同時にまた、「これを冷やすのでなくホットで飲んだらどんなだろう」とも思った・・・開缶せぬまま加熱するような危険なことは当然しないとして、炭酸が抜けてしまってもよいから小さな鍋か何かでゆっくり温めて、とか。風邪ぎみのときなどに飲みたくなりそうだ。   
   
 右のビールは今さら何も説明すること無いなあ。   
 しかし、筆者にとって、ウィスキーでも日本酒や焼酎でもなくまずはビールを選ぶときの「ド定番」ではない・・・「あー、今日は何をおいてもまずはビールを」と思うとき、舌や喉が求めるのはキリンのものならば「一番搾り」でなく「キリン・ラガー」であるし、サントリーならばプレミアムではないほうの「モルツ」。好みの問題。   
   
 ぜんぜん関係無いのにその手前に写し入れたのは、これはずいぶん前にタワレコ某店で貰ったカッター。幾つも貰った。使い勝手もよく、デスクの引き出しの中ですぐ目につく色なので気に入っていたのだが、どうしても切れ味は落ちていくからついに手もとに残るのは最後の1個。   
 新聞記事の切り抜きなどに使うことはあまりなく、CDを包装しているフィルムをカットして開封するのに使うことがやはり多い。それをやるとCDのプラケースにキズが付くではないかといぶかる人もいるかも知れないし、筆者も昔はプラケースに傷がつくことを嫌ったこともあったが今では全然気にかけない・・・なぜなら、大抵の場合プラケースは捨ててしまうので。プラケースの厚みは、結局のところ収蔵スペースのムダになる。CDを紙やポリで出来たスリーヴに収め、そういうCDを20枚とか数十枚まとめて、ライナーノート冊子(そこにレコーディング・データなどが記載されておらず、むしろCDジャケット裏側の紙面のほうが情報量が多い場合はその紙も)とともにボックスに収納するほうがやはりスペース的に有利だ。(幾つかの理由から反対意見があろうことは承知している。)   
   


雑記



   
 缶入りビール。 "COEDO" が意味するのは埼玉県川越の「小江戸」なのだろう。   
   
 右のは「つまみ・肴」などを口にせずビールだけを飲んだが、ま、美味いと思えた。   
   
 左のは、ちょっとばかり塩加減が甘いかなあという具合の「鮭とば」や、漬かり過ぎ気味だった味噌漬大根や奈良漬白瓜などをつまみながら飲んだが、うむ、それらとの相性も悪くないと感じた・・・ネットでこのビールのことを調べてみたら、たとえばフォアグラなどとも合うらしいのだが、そのようなものは筆者の日常の食卓にのぼるわけもないので試せていない(笑)   
   
   
 下のは焼酎。   
   




雑記



   
 業務量が増したり、意思決定そのほかのさらなるスピードアップが求められたりしているが、しかし、日本に於けるビジネス・商売の状況がその理由になっているわけではない。似たような状況にある企業、部門、チームはいくらでもあることだろう。こんな感想が漏れたり・・・「日本を軸に、あるいは対象マーケットに、あるいは主戦場にビジネスする意義は相当に薄れたなあ」と。日本での商売の「うまみ」・「利益率」が見劣りするようになったばかりか、日本抜きでのビジネス・スキームを組み立てることこそが現実的・理想的というケースも増している。   
   
 政党名の「たちあがれ日本」を「立ち枯れ日本」などとダジャレっている場合ではない。このままズルズル行くと日本は本当に立ち枯れてしまい、また、海外の意地悪な人たちからは次のように野次られてしまうかも知れない・・・「おい、だらしないじゃないか・・・立ちやがれ日本!」と。   
   
 上の写真は新聞広告。べつに感激したわけでもないが、ちょっとばかり印象に残りそうな言葉や表現があったので・・・。   
   
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 キャンペーンか何かで、タバコにインナーイヤホンのオマケが付いているものがあるようだ・・・「ようだ」と言うか、知人からそのイヤホンだけ貰った(上の写真中の右下のパッケージ)。   
   
 携帯プレーヤーの付属品にもずいぶんチャチなものがあることくらい知っているし、「これもそう大したものではなかろう、試しに聴いてみても仕方あるまい」と一旦は思ったのだがちょっとだけ使ってみた。   
   
 この、オマケのイヤホンには画期的に凄いところがあった。   
 たとえば「オーケストラもの」を聴くと、第1ヴァイオリンが右から聞こえるのだよ・・・思わず耳からイヤホンを外してL・Rの表示を見たけれども、うむ、筆者の得たものに関する限りはリード線の接続などにミスがあるようだ。ま、左右を逆にして耳に装着すれば解決するわけで・・・。   
   
 音質について「音の艶がいい」だの「褒めたい」だのとは思わなかったし、やはりクラシック音楽よりもポピュラー系音楽などを本当に気楽に聴くのに相応しいか。「むごい」と評すべき音質ではないように思う。   
 習慣的にヘッドホンなど利用している人はもしかすると音楽を大音量で聴くかも知れないが、筆者にとって聴きやすい音量であれば特に音割れも起こらず・・・。   
   
 説明書が付いていて、それには再生周波数帯域が300ヘルツから5キロヘルツとあるが、再生機器のイコライザーでもっと高域の部分を上げてみたところちゃんとそれに応じて結構ついてくる。このイヤホンは音バランスとして低音シフト傾向にあり、そればかりか「意図的に高域カットしているのかな」と思えてしまうようなところも。「再生機器で高域を持ち上げてやる」ことは是非とも必要と思える・・・フラットで再生した場合には、他のヘッドホンでならばハッキリ聞こえるシンバルやスネアドラムなどの音が、このイヤホンではろくに聞こえないことすらあるのだ。   
   
 「面白そうだ、欲しい」という人は、タバコを吸う人に「オマケだけ頂戴」と頼んでみるのも良いかも知れない。あるいは自分で買ってタバコだけ買い取ってもらうとか・・・。   
 しかし、筆者個人的には、こういうカラー(白)のイヤホンを屋外で身につけることに大きな抵抗がある。   
   
 なお、このパッケージ・・・まず最初にタバコが収まっていたとおぼしき部分(パッケージ右半分)の左隅のところの「紙の組込み」を外し、そのあと今度はパッケージの上辺または下辺を開け、イヤホンがセットされた台紙と透明プラスチックとを一緒に“慎重にゆっくりと”取り出すのが正解と思われる(そうしないと、最悪の場合には断線させてしまうやも知れない)。   
   

松・・・柿・・・



   
 「松の内」については、「7日まで」と考える人もいれば「15日まで」とする人もいる。   
   
 それはさておき・・・「松」の木だけが“まつ”じゃないのよ、時計に目をやりつつ貴殿を「待つ」のもこれまた“まつ”なのよー、という意味の唄がある(若い人は知らないかも知れない、もちろんJ-POPとかでなく「松の木小唄」)。   
   
 で・・・。   
   
 「柿」の木ばかりが“かき”ではない。   
   
 「書き送る 文(ふみ)もしどなき 仮名書きの 抱いて寝よとの 沖越えて・・・」   
という端唄などあったりする(歌舞伎、「梅雨小袖昔八丈」/「髪結新三」)。   
   
   
 「柿の葉寿司」はいつ食べても美味い(冒頭の写真のは、出張時、駅まで戻る途中のデパ地下で買い求めたもの)。   
   
 ところで・・・。   
   
 「エビ」やそれに類するものについての英語としては、シュリンプとかプローン、ロブスターなどの語がある。   
   
 外観が似ていなくもない「シャコ」について、これを英語で何と呼ぶか知らない人が多いのは意外なことだ・・・グルメを自称する人には是非とも覚えておいて欲しいと思うのだが、それは・・・   
   
   
   
   
   
   
    
   
   
   
   
   
   
   
   
 「ガレージ」という。   
   
 ・・・昭和40年代か50年代はじめあたりだったか、オヤジ・ネタみたいなものとして有名なものであった。   
   



ケフェレック・・・

 このような記事を見つけた:   
   
  http://mini.asahi.com/entertainment/TKY201101060250.html   
   
   

「新春 初売り 大セール」より「ゲオルク・セール」。そして昭和弐年、伯林のセルについて。



   
 年始に「ほろ酔い」でブログ記事アップ手続したせいか、アップが失敗していたようだ(笑)・・・そんなわけで上記タイトルが数日遅れっぽくもあるが、ま、再トライ:   
   
   
   
 このブログ、古い記事は削除してしまっているが、上の画像はもう5年ほど前のもの。指揮者セルの名前のカタカナ表記に注目。   
   
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 某歌舞伎俳優をめぐる、酒を飲んだうえでの事件・トラブルについての報道合戦ぶりは「凄い」というか「呆れるなあ」の感もあった。   
 歌舞伎や、それを(世襲か否かは別として)受け継ぐ人々へに対する、世間やマスコミの関心はそれだけ大きかったりするのか・・・しかし、不祥事・スキャンダルほか攻撃材料になりうるものを見出したときのマスコミの動き・姿勢の恐ろしさこそ、今回いちばん感じたことだ。   
   
   
 さてさて・・・。   
   
 「クラシック音楽は古い、古臭い」という見方に対抗する術とアイデアと材料を、クラシック音楽ファンならば沢山持っているはずだ。バロック音楽のカテゴリーに入るものも含めて、たとえば、ヴィヴァルディやJ.S.バッハあたりのものですら、「この曲を聴かせれば見方を変えてくれるのではないか」という音楽作品はあまたある。バッハの、あのシャコンヌが持つ刺激とか、伝えたい、知って欲しいものは数え切れない・・・。  
   
 しかし、たとえばバッハは大昔の人と言って間違いない。   
 バッハの生涯と活動を年譜ととともに記憶していたりなどしないが、バッハの没年が1750年であることくらいは当然に頭に入っているから、おのずと、彼の主たる「活動」の時期が18世紀前半であるとの認識は持っている。   
 バッハのアルンシュタット時代は1703年に始まる。日本では、実に元禄時代である。この1703年は、妙な比較・参照をすれば、近松門左衛門の大ヒット作「曽根崎心中」が人形浄瑠璃で初演された年。   
 近松には1711年の「冥途の飛脚」、15年の「国性爺合戦」、20年の「心中天網島」、21年の「女殺油地獄」などの作品がある。ここでバッハの数多い作品を同様に並べてみることはしないが、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の作曲時期は1720年、「ブランデンブルク協奏曲」の献呈時期は1721年のようである。   
   
 バッハと近松の活躍時期をこんなふうに比較するのも何だが、彼らの作品が今日に至るも人々から大いに親しまれていることは共通する。ああ、それにしても、バッハ作品というのは本当に大昔のものなのだなあ。   
   
 時代はずっと下って日本の明治時代・・・。この頃の人形浄瑠璃界の動きのことは知らないが、近松ということで今度は歌舞伎方面に目をやれば、「天覧歌舞伎」が行われたのは1887年すなわち明治20年。これを機に、歌舞伎や歌舞伎俳優に対する世間の見方は大いに変わったとされるが、筆者、その節目の時代に居合わせたわけではないし、状況変化のその度合いを実地に見知るわけもない。ただ、今日に於ける歌舞伎の存在意義や人気そのほかを考えれば、伝統を受け継ぐ・担う人たちには芸そのものに関わる気構えばかりでなく日常諸々の自重もまた求められると言っても差し支えあるまい、おそらく。   
   
 さて、以上は「余談」なのだ・・・。   
 1897年(明治30年)、ジョージ・セルは生まれた。そうなのだ、セルは「明治生まれの男」。 
   
 セルがベルリン、ストラスブール、プラハなどの歌劇場でキャリアを積んだあと再びベルリンに戻り、シュターツカペレ・ベルリンに於いてE.クライバーのもとで第1指揮者の地位を得たのは1924年(大正13年)のことであった。この年、セルは27歳になる。その頃のレコーディングは幾つも残っている・・・リヒャルト・タウバー、ミヒャエル・ボーネン、ビョルン・タレン、ロッテ・レーマンなどが歌うオペラ・アリアのオーケストラ伴奏で指揮をとっている。   
   
 次のものは「オベロン」序曲。1927年というから昭和2年のレコーディング。セル30歳の年。   
 復刻プロセスにおけるノイズ問題などを別とすれば、レコーディング音質自体はそれほど悪くないではないか。   
 今日広く親しまれているセルの演奏の魅力ポントは幾つも挙げられようが、フレージング、楽器バランス、リズム要素の処理などからした「生気」も魅力のひとつと感じる・・・さあ、このレコーディング当時のセルの演奏スタイルがどんなであったか:   
   
   http://www.youtube.com/watch?v=AacaRtZkL88   
   
   


「勝手にシン○○ッド」? (その1)



   
 まだ20代や30代前半くらいだった頃にはPC(パソコン)関係の雑誌にもわりとよく目を通していた。その後は買って読む頻度はめっきり減った・・・職場の休憩コーナーなどに置かれているものをパラパラめくるとかいうことが殆んどになった。そんなふうでも、それなりには新しい知識や情報は得られる、頭に残るものだと思っている。   
   
 仕事上というのでなくプライベート・趣味の関係での関心から「ちょっと、ああいう関係のことが載っている雑誌がうまいタイミングで出ていないかなあ」と本屋さんで探していて目にとまったのが上の雑誌(最近号)。   
   
 いや、この2月号には求めていた情報は無かったのだが、付録DVDには創刊号の2010年5月号から前々号の12月号までの8冊ぶんのPDFデータも収録されているとあり、その中に「おっ、これを読みたい」というものを見つけたのだ。   
   
 今号の記事はすべて無意味と言っているわけではない。探していた知識・情報とは違う事柄ながらも「ふむふむ」とか「へー」などと思いながらのんびりとあっちこっちを読んでいると・・・サブマシンにするつもりでオーダーしていたノートPCが届いてしまい、荷解きなどすることに。セットアップを急ぐ必要もないのでそれは来週あたりか、しかし、ひょっとするとさらにその先になってしまうか。   
   


「勝手にシン○○ッド」? (その2)



   
 PCを買ったとき筆者が早めに処置しておくことのひとつは、当面は利用しそうにないインターフェース・端子などにホコリが付いたり侵入したりしないようにシール紙などで覆ってしまうこと。あとできれいに剥がせるような材質の、そしてマッチする色合いのシールやステッカーを形よく切り、端子そのもの(金色だったりする)に糊(糊面)が接してしまわぬよう注意しつつ貼り付ける。   
   
 上の写真は、底面のバッテリーパック固定ラッチが何かに当たって動いたりしないようにするためにシールを貼ったところ・・・普通ここまでする必要は無いだろうけど。こういう個所はシールが何色だって構うまい。   
   
 大きなサイズのシールを貼ることはあまりないと思うが、そんな場合でも放熱用の穴・スリットなどにはシールがかからないよう注意することは必要と思う。   
   


雑記

   
 デアゴスティーニから隔週刊で発売されているDVDオペラ・コレクション・・・毎号買っているわけでなく、むしろ「時々ポツンポツンと」といった具合で買い求めている程度だが、1月18日発売の「トリスタンとイゾルデ」は買おうかな。DVD内容はバレンボイム指揮、ポネル演出によるバイロイト1983年公演のものであるようだ。   
   
  http://deagostini.jp/doc/backnumber.php?id=8826   
   
   
 下のと同じ内容、そして同じ映像クオリティなのだろうか。分からない。   
   
  http://www.hmv.co.jp/product/detail/2544894   
   
   
 これのユーザーレビューを全件読んでみると気になる点が無くはないが、しかし、デアゴのは実に気楽に買える値段であるのが嬉しい。   
   

謹賀新年

   
 あけまして おめでとうございます   
   
   


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