2010-11

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雑記

   
  To err is human, to forgive (is) divine.    
   
 ・・・有名な言葉。しかし、今ここで、何らかの罪深きこととか、あるいは犯罪であるとか、失政であるとか、そういうことに対して寛大な心を持とうと呼びかけるつもりは無い。   
   
   
 今年はシューマン生誕200年であった。   
   
 セルはシューマンのシンフォニーをしばしば指揮した。その理由はもちろん音楽的な意味合い・意義にあるだろうが(作品の魅力を見出し、また、それを人々に知らしめたく考えた等)、セルとシューマンとの間には不思議な因縁や、共鳴し合う何かがあった可能性などはどうだろうか。   
 この二人、生まれた年が異なるのはもちろんだが、シューマンは6月8日生まれ、セルは6月7日生まれ・・・1日違いの、「ふたご座」の両人。世には星座占いがあるが、はて、彼らが典型的な「ふたご座の男」のパーソナリティを備えていたと言えるのか筆者には分からない。そしてまた、シューマンが亡くなったのは7月29日で、セルが亡くなったのは7月30日。どうも「1日違い」に目が行ってしまうが、筆者は占いも オ カ ル ト も、てんで興味が無い。   
   
 さて、50年前はもちろん生誕150年だった・・・その1960年の3月13日付のニューヨーク・タイムズ紙には、生誕150年ということでセルがシューマンの交響曲について書いた文章が掲載された。この文章はまた、セル指揮によるシューマン交響曲全集のCDで紺色っぽい背景色をしたジャケットの輸入盤ではライナー・ノートに載っている。   
 シューマンの交響曲についてセルが問題点として指摘するのは結局、オーケストレーション上で適切なバランスが確立できていないということである。この点、微調整や、そればかりにはとどまらない大胆な手直しも必要だと述べている。セルの成果はもちろん、彼自身が指揮したものの録音で聴くことが出来る。   
   
   
 レヴァインがセルのもとで勉強したことはよく知られているが、そのレヴァインもまた、シューマンの交響曲全集をレコーディングしている。フィラデルフィア管を振ったものとベルリン・フィルを振ったものとがあるが、少なくとも前者では、下記の商品説明によればシューマン自身によるオーケストレーションに改変を加えたりはしていないようである:   
   
   http://www.hmv.co.jp/product/detail/3889441   
   
   
 セルを絶対視する向きは、レヴァインについてそのアプローチをもって「不肖の弟子」のように見るかも知れないが、それは違う。なぜなら、セルとシューマンとの間にもしかしてもしかすると不思議な因縁があるやも知れぬみたいなことを先ほど書いたが、実はレヴァインのアプローチは摩訶不思議にも運命づけられたものなのである。   
 レヴァインがこの世に生まれる以前から既に、彼とシューマンとの関係を暗示する古い有名な言葉がある。レヴァインの寛容さを言い当て、それはつまり、レヴァインがシューマンのオーケストレーションを改変するよりもむしろ出来る限りそのまま受け入れるであろうことを予言している。その驚くべき言葉とは・・・。   
   
  To err is Schumann, to forgive Levine.    
   
   
 ま、冗談はおいておき・・・。   
 シューマン作品にオーケストレーション上の至らなさがあったかどうかなど再考するうえでレヴァインの演奏は参考になるのであろうが、筆者はたぶん聴いたことがない。   
 買い求めて聴いてみようかなとも思うのであるが、気候のせいもあるし、今週・来週あたりは例えばシベリウスやグリーグにのめり込んでみようかな、などと思っている・・・。   
   


セル伝

   
 来年のことになるが、待ちに待ったものが出版されるようだ:   
   
  http://www.press.uillinois.edu/books/catalog/35kpk5df9780252036163.html   
   
   
 もちろん洋書屋さんに予約してもよいだろうし、日本のアマゾンでも扱うようだ。アマゾンのサイトでは、 "szell life music" の3単語で検索すれば手っ取り早く見つかる・・・発売が来年というのは、より具体的には6月のようではある。   
   
 著者については上記のWEBページでも触れられているが、たとえば日本のソニーから過去にSRCRナンバーで発売されたときのR.シュトラウス/ホルン協奏曲、バルトーク/オケコンのCDをお持ちの方は、それらのライナーノートの中にもその名を見つけることが出来るはずだ。   
   

雑記



   
 「楽しい読み物だ」と感じるか、「参考になる知識やアイデアがある」と感じるか、それは人それぞれだろうけど、小学館101新書のシリーズ中に上のような本がある。   
 本では写真がモノクロなのが残念で、そのぶん「ほー、美味そう」という感想も生まれにくいように思うが、下記のサイトでならばカラー画像とともに読むことが出来る(また、サイト内の記事のうち比較的最近のものは本のほうには収録されていない):   
   
  http://soba.b.station50.biglobe.ne.jp/   
   
   
 それでも、「本」という形のほうが読みやすい、などとと思うのは筆者を含む少数派かなあ。   
   
   
 ところで、今年の夏はああいう暑さだったがために牡蠣の養殖への影響も懸念されたようだし、また実際に影響が出たケースもあったようなのだが、先だって食べたもの(岩牡蠣でなく、普通の牡蠣)では、例年よりも美味いように思えたのだが、これは気のせいかどうか。   
   
 で、牡蠣を取り入れた温かい蕎麦・・・次の記事の前段:   
   
  http://soba.b.station50.biglobe.ne.jp/201004/article_4.html   
   
   
 次の記事などは、家庭で乾麺の蕎麦を茹でる人にとって「へー、そうなのか」と思うアイデアか:   
   
  http://soba.b.station50.biglobe.ne.jp/200803/article_2.html   
   
   

J.シュトラウスでなく、R.シュトラウスでなく・・・ L.ストラウス

   
 「新蕎麦(そば)」と書かれた張り紙・のぼりが出ているうちに、なるたけ多くの店を訪れたいとは思うものの、実際にはそう何軒もの蕎麦屋めぐりが出来るわけではない。   
 飲むときなどは最初から蕎麦屋さんで飲むことにすればよいのだろうけど、そういうパターンばかりというのもちょっと。どこかで飲んだその帰りに蕎麦屋さんに寄れるとよいのだが、現実問題としてはそんなに遅くまで営業してくれている店は多くないように思う・・・お店の側からすれば、「打ってからどのくらい時間が経ったものを出すのが適当か/不適当か」に線引き・こだわりもあろうし、翌日のことを考えれば早めに片付けも済ませてゆっくり休みたいだろうし、夜遅くの時間帯の営業効率・採算性の問題を考えてしまうこともあろう・・・さらには、酔い過ぎの客がやって来たりするのは迷惑で相手をしたくないなどの気持ちもあるのかなあ。   
   
 それでも、ここ最近は昼に蕎麦を食す頻度は多かった。先だっての或る休日もそのようにして、さてその帰り、ぶらぶらしているときに目に入ったのは・・・。   
 あまりに安いので買い物してしまった(下の写真)。   
   
 歳をとっても、幾つになってもジーンズを履こうなどとは思っていない。いずれは外出時には控えることになるかも知れないが、それでも自転車にまたがるときなどは(かなりスピードを出すし、乱暴な乗り方もするので)普通のズボンでなくジーンズのほうが気楽というものだ。そして、室内着として都合よいこと間違いない。   
   
 自分の体にうまくフィットするジーンズ(「見ばえ」も多少は考えつつも、近年では一番大事なのは履き心地だと思うようになった筆者は、やはりオッサンだろうな・笑)の型番とサイズは、複数メーカーのものを合計して4つくらい把握して記憶している。もっとも、自分にフィットするものは過去に何度か「製造打ち切り」などの憂き目に会ったり、「その型番でも黒または黒っぽいものは品切れ中です」などという目にも会っているから、結構な本数をストックしている(ウール製品とかではないし、ストックしておいてもべつに傷まないように感じる)。   
   
 写真のものは、以前に試着したことがあって、わずかに、本当にわずかに履き心地に落ち着かないところがあるのと裾の形状の点から買うのをためらった型番。だけれども、在庫処分なのか何なのか知らないが、この値段は。少なくとも室内用には十分だろうし。べつに「どのメーカー、どのブランドでなくてはいけない」などと思っていないし、ショップではハンパな在庫らしきものをバーゲンで売っていたりするのも時々は目にしたことあるが、それでもここまで安いのは・・・。(「ユニク○に行けばいいのに」と言われても、過去に一度行っただけの経験では、買い物したものに満足できなかった。)   
   
   
 よく思うことなのだけど・・・。   
 ジーンズの後ろ、腰のところにある皮製や紙製のもの・・・ラベルと呼ぶのか何と呼ぶのか(まさか銘板とか呼ぶことはあるまいと思うが)、これの右端が、ミシン縫いの縦ラインを超えてまでペロンと出ているものがあるのだよなあ。   
 あれが右手首などに当たることもあるし、ジャケットやセーターが妙な具合に摺れることもある。だから適当なところでハサミで切ってしまうのだけど、これは正しいことなのだろうか。ひょっとして、ほかの人から見たら笑止なことなのだろうか。分からない。   
   


イ オ ン の ワ オ ン は便利そうだが・・・。異音で「わおっ」となった話

   
 ストレスや疲れの種類はさまざまであるし、何をストレスなどと感じるかも人それぞれ。   
   
 一日のうちに社外の人たち何人もと会って話し合いを持つというのは、筆者の場合にはぐっと疲れるものがある。かと思えば、そういうことの無い日でも、いまの筆者はA事業所においてB事業所に関わる仕事をしているということも多いため、今度はこんなことを感じたり・・・「以前は直接会って話すことが多かった相手なのに、そして、これぞ“あうんの呼吸”と思えたことも多かったのに、こうして電話でやりとりすると物事がポンポンと進まず、じれったいなあ」と。ちょっと前までは「えーい、電話ではラチがあかない。明日にでも向こうへ出向くか」などと行動に移せたのが、スケジュール詰まりもあるし、歳のせいもあってか、フットワークが悪くなってしまったのは困ったものだ。   
   
 音楽を聴く時間を持てない、先々のスケジュールを考えるとコンサートもちょっとなあ、などという状況は、しばらく前までは確かに欲求不満の要素であったのだけれども、今はむしろ、「一日のしめくくりとして酒を愛でる」ということに以前よりも大きな満足・安らぎを見出している。これがさらに進んで「そういう日々を送れるなら、それでいいじゃあないか」と思えるようになれば、これは「達観」と言えるだろうか? いやいや、ふと気がついてみたら、音楽を聴こうと思えば聴ける時間がありながら飲んだくれていて・・・。深まる秋は「芸術の秋」でもあるのに、このごろの秋の夜長の過ごし方はどうもあまり文化的でないような気がしている。しかし、飲めるクチでよかったとは、やはり思う。   
   
   
 「さあ、今度の週末はたっぷり聴くぞ」と、そう思った。   
 が、その思い・気合いの腰を折るかのように・・・こういうときに限って自宅パソコンのHDDが異音を発するようになった。   
 急いで諸データのコピーをとったのは勿論だが、「やはり早いうちにHDDを交換(換装)したい」と思った・・・現状のシステムや設定をそのまま引き継ぐ形で。   
 自分でHDD交換するのは何度も経験しているし、今は昔と違ってアクロニスをはじめ色々あるし・・・。「今度はパーティションの切り方をこんなふうにしてみようか」など考えつつ、手順を頭のなかでシミュレートして「こういう流れでOKだろうな」との確信を持って作業に取り掛かるわけだが、それでも一抹の不安は拭えず、事の成り行きを見守り・・・この気分はいつだってイヤなものだ。   
 今回の交換作業は酒を飲みながらであった。たやすかった・・・しかし、音楽を聴こうという計画は潰れてしまった。  
   


「どーじゃろ? ・ ヌーヴォー」もしくは「どれどれ? ・ ヌーヴォー」



   
 「桜島」という焼酎はポピュラーだが、写真のは「桜島年号焼酎」。これは本年、すなわち2010年収穫のさつま芋にて蒸留、そして瓶詰めした商品。いまの時期に手にすると、何というかボジョレ・ヌーヴォーの「芋焼酎版」みたいな感じで楽しめると思う・・・「焼酎ではオシャレじゃないじゃん、ダサイじゃん」と思う人がいてもそれは勝手だが(笑)   
   
 お湯割りにしたとき特に、安らぐような懐かしいような、柔らかみのある良い香りを楽しめる(茶碗でもよいし耐熱ガラスのグラスでもよいが、先にお湯を入れ、そのあとに焼酎を注ぐ)。   
   
 ウィスキーだって、最近はそういうことをする人はめっきり少なくなったかに見えるが、お湯割りで楽しむことが出来る。もう随分昔のこと、確か昭和50年代後半か、遅くとも昭和60年くらいだと思うけれども、サントリーはホット・ウィスキーの楽しみ方を提案するキャンペーンをしていて冊子なども配布していた・・・タキシードを着た男性と黒いドレスをまとった女性という、美男美女の西洋人カップルを登場させていた。   
 でも、ウィスキーが好きな筆者も、「ウィスキーのお湯割り」は「焼酎のお湯割り」に敵わないと思っている。ただ、しかし、グラスではなく陶磁器・瀬戸物の類のカップ・碗にウィスキーを注ぎ、そしてストレートのまま、器ごと灯油ストーブの天板の上やオイルヒーターなどでほどほどに熱くしてから啜るときのその美味さといったら・・・。(なお、アルコール度数が高いので、万一の引火などには注意が必要であるし、手や、あるいは唇・舌などのヤケドにも注意が必要だ。)  
   
   


薔薇・・・



   
 有名なバーボン・ウィスキーの銘柄に "Four Roses" というのがある。カタカナ表記されるときは「フォアローゼズ」。   
 これの缶入りハイボールがキリンから登場した。コンビニ限定商品。   
   
 筆者がそもそもハイボールをそれほど好まないためだろう、「こうあって欲しい」という濃度でないことのほか、気に入らないところがあって残念に感じたが、これはもちろん個人的な好みの問題。「ひとつの飲み物」としては世間ではウケやすいか・・・ま、どうかは分からないが。   
 原材料表示を見ると筆頭にウィスキーとあるのは当然として、それに続いてスピリッツ、糖類、香料、酸味料と書かれている。そこに気になる点を見出す人がいるかも知れないが、ウィスキーをベースにしたカクテルなど思い浮かべれば、堅苦しく考えてこの商品に臨むのは損なことかも知れない。花、フルーツ、それからジャスミンではないが何か或る種の茶もしくはハーブのようなものがミックスされたような、そういう風味のアルコール飲料として親しめる人は少なくないと想像する。   
   
   
 「フォアローゼズ」という名前の由来は・・・。   
 創業者の男性は或るとき、女性にプロポーズをした。彼女は、そのプロポーズを受け入れるならば舞踏会に薔薇のコサージュをつけて行きますとの返事をした。そして、彼女は実際、4つの薔薇を胸につけてやって来た・・・こういうことらしい。   
   
   
 ウィスキーの、つまりボトルで売られている「フォアローゼズ」には、幾つかのランク/種類がある。目にしやすいのは黄色ラベルのものと黒ラベルのものだろう。その黒ラベルのものの、そして今回の缶入りハイボールの、紅い薔薇と背景色との組合せをを見ると、つい、あのシュヴァルツコップフ/セルによるR.シュトラウス歌曲集のレコード・ジャケットを思い出してしまう・・・シュヴァルツコップフの衣服にあしらわれているのは薔薇。ついでに言えば、収録曲にはコサージュならぬ「薔薇のリボン」という曲も・・・。   
   

雑記



   
 左のは麦焼酎。   
   
   
 右のはサントリーの「余韻の贅沢」。先日の「琥珀の贅沢」が気に入った人ならこれもまた好きになれるのではないかという気もするのだが、しかし、そう単純でもないか。   
 その風味をしかと確かめようとするならば、本来は何かを食べたりする前に飲んでみるべきだったのだが、夕食どき、まっ先に口をつけたのが里芋の味噌汁であった。もちろん里芋をしっかり味わったのである。それからこの「余韻の贅沢」を楽しんだのだが、これが適当でなかったのかも知れない。渋味と呼んでよいのかな、それが少しばかり目立ちすぎのような気もした。里芋が美味いなとか、おかずの何やかやも美味いなとか思いながら飲み進んだが、この「余韻の贅沢」、渋味なのか雑味なのか、ともかく個人的には気になってしまうものがあった。しかし、いろいろな発泡酒・第三のビールのうちの幾つかに筆者が感じる「好きでない風味・後味」に比べると、それとは種類も異なるし、「これはイヤだな」というものではなかった。何かしらベストマッチな肴・つまみがあるかも知れないが、今は思い浮かばない。   
   

雑記



   
 大手ゼネコンの某社が使ったキャッチコピーに「地図に残る仕事」というのがあった。   
   
 それとは全く違う意味で(由々しきほどに悪い意味合いで)今の内閣は「地図に残りそうな仕事」をしているなあ・・・国レベルとなるともう、企業が手がける仕事とはスケールが違う、何しろ「日本の領土」に関わる仕事だ。国民がどんな目で見ているか、考えて欲しい。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 聴いたCD・・・。   
 下の写真はセルの、モーツァルト作品オリジナル・ジャケット・コレクションのCDから。   
   


雑記

   
 ビジネスの世界でも政治の世界でも、リーダーとかトップの座にある人たち、また、首脳陣、幹部として手腕を発揮する人たちにはカリスマ性が宿っていることが少なくない。   
 カリスマ性が必須と言い切れるものではない。けれども、そのかわりとして、並外れた才能や個性、「女たらし」ならぬ「人たらし」とでも言いたくなるような魅力や求心力、逆境をものともしない不屈の精神、目標達成への強靭な意志などなどのいずれかを備えていたりする例は多いだろうか。中には、「運」だけでのし上がったようなものだなとか、「親の七光り」でとか、そんな具合に思えてしまうケースも無くはないが。   
   
   
 明日を、未来を、時々刻々の変化を見て取るうえで、勘が鋭いなどというのも才能だろうなあ。   
 戦国武将の誰それを彷彿とさせるような才覚やビジョンを持つ人たちもいる。   
 とても実直・地味に見えても、たとえばの話、営業その他のいわば最前線において培った知識・経験・感性を活かして、現場重視路線を貫くことで諸々の改革や士気アップとともに目覚ましい成果につなげていく人たちもいる。   
   
 某国の政治の中枢に位置する人たちの顔ぶれは、これがまた凄い・・・その国では勘総理大臣、戦国官房長官、現場国家戦略担当大臣などがいて、名前を聞いただけでも手強い布陣であることが分かろうというものだ。   
 今後には強力な経済政策が目白押しで、つまりは抜きん出た経済成長が、そして豊かで幸福な国民生活が予感されると、国民が胸を躍らせ、また世界各国が羨望のまなざしを送っても不思議は無い。そういう勢いがある国はまた、自ずと強国としての存在感も高まるものだ・・・近隣諸国などはもう、この国と領土問題・国境問題などでこじれるのを警戒して弱腰外交に出るしかあるまい、きっとそうに違いない。   
 ・・・と思いきや、政治とはむずかしいもので、どうやら実態は逆なのだという説もある。それを裏づけるように、その亡国では・・・あ、いや、誤変換であった、その「某国」では内閣支持率も低下していると聞く。現在の与党が選挙に勝利したとき、どうやら過半の国民には「変化への期待」があったらしい。事実、変化もありはした。その後、党への人気は低下するようになったが、それでも「過去に与党の地位にあった某政党よりはマシだ」と言い切る人たちも少なからずいたようだ・・・だが、今では、そのように思っている人もずいぶん少なくなったのではないか。   
   
   
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 「蕎麦がき」が好きで、自分でも作るという話をしたら、或る人から「こんなものがあるよ」と教えられたのが下の写真の商品。カップ・蕎麦粉・蕎麦つゆがセットになっている。カップの中で蕎麦粉を水で練り、カップごと電子レンジで加熱すれば蕎麦がきが出来上がるというもの。うーん、半信半疑・・・。   
 ラップをかけて電子レンジに入れろという指示書きに従った・・・ただ、こういう場合、調理対象も、また容器も、ともに温度上昇して空気は膨張するわけだから、ラップのほんの一部を浮かせて空気の逃げ道を確保するのが良かろうと考えた・・・実際そういうことは普段よくやっている。このやり方がマズかったのかなあ、出来上がりは、筆者が自分で作ったり蕎麦屋さんで食べたりするものとは違う、パンのようなものになってしまった。   
 水の量は指示書きのとおりであったし・・・やはりラップの仕方がいけなかったのかな。ともかく失敗したようだ。   
 この商品については、いずれまた試してみようと思う。   
   


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