2009-07

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「誰も寝てはならぬ」ほか



   
 EMIからリリース予定の商品:   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/907270127/   
   
   
 リヒャルト・タウバーの声質・歌いっぷりには格別の魅力がある・・・曲目によっては「果たしてマッチしていると言えるか?」という問題もあるかも知れないが、しかし・・・。   
   
 セルはその若き日にベルリン国立歌劇場で指揮をとっていたことがあるが、タウバーのレコーディングにも伴奏で加わっている。作品としては「リゴレット」、「マイスタージンガー」、「トゥーランドット」、「死の都」からのアリアなど。上記のEMI商品には残念ながらそれらすべてが収録されているわけではないが、仕方あるまい。しかし、ともかく、タウバーの歌声を存分に楽しめる商品であろう。   
   
 マニアックなセル・ファンで「タウバー&セルが残したレコーディングをすべて聴きたい」という場合は、うーん、幾つかの商品を組み合わせて買わないと難しい、たとえば上の写真のものなどからも選んで・・・ただ、この写真のものはいずれも「セル指揮」というクレジット表記が入っておらずレコーディング年が記載されているだけだったりするから、セルのレコーディング実績資料に当たりつつ「おそらくセル指揮なのだろう」との一種の「割り切り」の気持ちとともに聴くことになってしまう。で、肝心の伴奏内容(オケ演奏)であるが、特段、「セル指揮ゆえの有難み・感激」を覚えるようなものでもないので、やはり「物好き」が集めるようなものかなあ(笑)    
 なお、ナクソスのCDの第2集の第14・15・20・21トラックはセル指揮による伴奏であると想像するのだが・・・ライナーにはその第20・21トラックについて1927年5月11日録音と書かれているが、ネット上ではタウバーとセルはそれらの曲を1926年11月5日に録音したとの情報もあり、この相違はたとえば "5.11.1926" のような日付表記の読み違いによるのかも知れない・・・でも、年号の相違については解せないなあ。   
   
   
 さて、声質・歌いっぷりということになると、エーリッヒ・クンツやユリウス・パツァークについても触れてみたくなってしまうが、それはまた別の機会にでも。   
 下の写真についてもまたの機会に・・・なお、この写真から筆者の思想傾向などを想像されては困る・・・あくまで歌の資料として得たものである。   
   


「誰も練ってはならぬ」・・・いや、練って、こねて・・・。



   
 報じている内容はほぼ同じであるが、「見出し」はずいぶん違うなあ:   
   
   
  http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090727STXKB000727072009.html   
   
   
  http://mainichi.jp/select/today/news/20090727k0000e040004000c.html   
   
   
 もしも自分が 若 田 さん本人だったら、新聞記事などなどを記念に切り抜いて(家族に切り抜いておいてもらって)保管することになろうけど、上の2番目の「見出し」だと自分が食いしん坊であるかのように思えてしまい、ちとなあ・・・。ま、べつに名誉がどうのこうのとか、そういう問題は無いわけだが。   
   
 若 田 さんが言っている「冷やしたぬきそば」なるものはおそらく、関東の人間が普通に思い浮かべるあれだろう。しかし、関西や京都の人は違うものを空想するかも知れないなあ・・・というのも、何をもって「たぬきそば」と呼ぶかは関東とあちら方面とでは相違するから。   
   
   
 さて、冒頭の写真は「蕎麦がき」づくり挑戦の模様(蕎麦粉をこねて作る)・・・休暇を得ておきながら、せっせと音楽鑑賞することもなく、こんなことをやっている。だけど楽しい。   
   
 うむ、当然ながら蕎麦粉によって風味が違う。筆者のケースでは蕎麦屋さんから特別に頂戴したもので作ったのが一番おいしいと感じられた・・・たとえ筆者が初心者で下手であってもそう思えた。ただ、しかし、人によって好みはそれぞれだろうけど。   
 (なお、写真に写っている食器は蕎麦打ちに使われる鉢などでなく、どこの家庭にもある大きな椀である。)   
   
   

若杉弘氏の御冥福をお祈りします



   
 (写真は過去の使いまわし)   
   

雑記

   
 某地へ出向いたとき時間があれば必ず寄って酒や蕎麦(そば)をいただくことにしている蕎麦屋さんがあるのだが、店主と話を交わしつつ「自分で蕎麦打ちはとても出来そうにないが、酒のつまみに自分で蕎麦がきを作ってみたい」と漏らしたら特別に蕎麦粉を分けて持たせてくれた。貴重なもののようなので、「蕎麦がき」とはいえいきなり失敗したら惜しいし、普通に市販されているものも手に入れ(下の写真のようなもの)、これで少し練習してから、と思っている。   
 酒のつまみとしての蕎麦がきは、好みに合う濃さの蕎麦つゆ(極端に薄くしない程度に薄口として、温かいものの場合が筆者は一番うれしいが、ま、いろいろな流儀・嗜好があるようだ)にワサビ、刻みネギ、刻みユズ皮、大根おろしなどちょっと添えて楽しむと最高なのである。   
   


ブルーマンデーより ブルー○○○


   
 出張先で夕食をとって、しかし、「いまいち食べ足りない」の感があったからコンビニで「おにぎり」そのほかを購入。   
 コンビニの弁当・惣菜類は好きになれないものが結構あって、またどうも「こういう食事は侘しい」との気持ちも出てきて20パーセントくらいホームシック傾向になってしまうから、コンビニの本部にあっては「クオリティと商品ラインナップの研究」をさらにさらに進めていただきたいなあ。   
   
 下の写真は、ホテルの冷蔵庫で見つけた、お手軽な缶入りカクテル。これと、ほかにソルティードッグを賞味。   
 こういうものは「つまみ無し」で楽しめばよいものを、さきほどの「ハラミ」をつつきながらブルーハワイを飲んだら、とんでもないミスマッチであった。ちょっと間をおいて単独で飲みなおしたら、うむ、美味いなあ・・・ただ、しかし、このブルーハワイの味・レシピは標準的・模範的なものなのだろうか。カクテルはあまり親しんでいないけれども、どうも筆者の記憶にあるものとは味に違いがあるかなあ。   
   
 缶入り飲料のソルティドッグではグラスの縁(ふち)の塩を舐めつつなんてことは出来なくて、より一層「単なるグレープフルーツジュース」に近い感じになってしまうなあ(もちろんアルコール分などあるわけだが)。   
   


ミソシの和音・・・じゃなかった、味噌汁のあれ

   
 これ、面白そうだなあ:   
   
   
  http://www.excite.co.jp/News/bit/E1247449800131.html   
   
   
 世に、「理系離れ」が懸念されている。   
 で、それを何とかするべく子供たちに電気そのほかについての興味を持たせようとしていろいろな取り組みがされているけれども、筆者が勝手に懸念するに、それらはどちらかというと物理畑に重きが置かれていないか?   
   
 生物学・化学の領域も大事な筈である(もちろん、地学・宇宙の分野などもだが)。   
   
 ミソというくらいだから実験もイージー(EG)だろう・・・などとは思えぬが、こういう観察・体験を経た子供たちのうちの何人かが、やがて食品バイオや医薬品バイオなどに好奇心を持つことになるかも知れない。あるいはもちろん味噌に興味を持つ可能性は非常に高かろう・・・しかし、筆者としては「美味い酒づくり」にも興味がおよんでそれに賭けてみようとする若者が一人でも多く育ってくれたら、などとも期待してしまうかなあ。   
 それならばいっそ、味噌会社でなくどこかの酒造メーカーが「杜氏体験キット」とか出してくれぬか(しかし夏場では温度管理が大変だろうなあ。酒税がらみの問題もありや?)・・・あ、いや、子供たちに酒関係は不適切だなあ。  
   
   
 少子化ゆえ、企業は将来、人材獲得に苦労する場面・分野が出て来ることもあるだろう。将来を考えて種をまいておく意味も考えたい・・・つまり「うちとこの商品やビジネスはこれほど面白く、可能性・応用分野も広く、人々に役立ったり親しまれたりしているんだよ」的なアピール。   
   

セルに関わりある新譜CD


   
 モーツァルト作曲のフルート協奏曲をセルが「チェロ協奏曲」に編曲したものについて以前にも触れたことがあったが、新譜CDのこちらにも収録されているようだ:   
   
   
   http://www.hmv.co.jp/product/detail/3629017   
   
   

ブルーマンデーよりオーマンディ



   
 写真は某有名ウィスキーの「ブルー・ラベル、青ラベル」と呼ばれるものと、そしてオーマンディ指揮によるベートーヴェン第5番・第6番のCD(ソニー)。   
 このウィスキーを飲むとブルーな気分になるとか、そういう意味はまったくない。評価の高いウィスキーである。今回のタイトルのダジャレで思い浮かんだから一緒に写し入れたまで。   
   
 オーマンディが正規レコーディングしたベートーヴェンとブラームスの全交響曲やシベリウスの一部作品などなどは、はるか昔にLPレコードで聴いたことがある。CBSソニーが出していた廉価盤シリーズ(金色っぽい枠デザインのジャケットのもの)をたくさん持っていた友人がおり、彼から借りて拝聴したのである・・・あのジャケット写真では、指揮者の頭頂と、レコーディングのために配置されたマイク・スタンドやケーブルなど、ずいぶんしげしげと見入ったことを覚えている。   
 それら演奏についての記憶はもはやハッキリしないものになってしまったが、しかし、オーマンディ再評価のためには、またオーマンディに目を向け始めた人にとっては、とりわけブラームスは必聴モノと言えるかなあ。   
   
 上の写真のベートーヴェンのCDはしばらく前に買ったままになっていたもの。   
   
 ちょっと第5番を聴く気分にはなかったが、しかし第4楽章だけは途中まで聴いてみた。この楽章では、聴く者をして「血圧上昇」と「渇き」とを覚えさせるような演奏を望むのであるが、オーマンディのこの演奏はそういう状態に導いてくれない。そして、何かこう、この楽章においてすら「フィラデルフィア管のサウンドの魅力が保たれ、それをゆとりを持って発揮できてしまう」ところに、かえって「もどかしさ」を感じてしまうのが現在の自分である(オーディオ的な意味において音質が良いかどうかはともかくとして、同オケの美質とされるオーケストラ・サウンドは伝わってくる)。また、テンポの扱い方にも抵抗を覚えるところがあるなあ。   
   
 これに対して第6番は、この音楽に心をゆだねることの喜びをよく教えてくれる。第2楽章のクラリネットの音などはこれを嫌う人がいるかも知れないなあ、しかし、このオーケストラの持ち味ともマッチするこの音楽・演奏は、聴く者に大きな充足をもたらしてくれる。   
   

イゾルデと「リング」・・・



   
 しばらくぶりの更新。   
   
 職掌の変更があって、心積もりしていた以上に多忙となってしまった。   
   
 貸してもらっていた映画DVDが何本かあって、すぐにはとても鑑賞しきれないながらも、しかし「トリスタンとイゾルデ」なるタイトルの作品だけは観た・・・ケビン・レイノルズ監督、2006年。   
   
 ワーグナーの楽劇とプロット・展開を異にする部分があまりに多い。「ワーグナー作品の映画ヴァージョンとも言える同一性・共通性」を求めるとその期待は裏切られる。DVDに収録されたメイキング映像にて説明されているとおり、トリスタンとイゾルデについて大胆かつ自由な発想のもとでストーリー再構築された悲恋物語ととらえて鑑賞するのが正解だろう。映画上のプロットの関係から闘争などのシーンも多い。   
 夫たるマルケ王に隠れてイゾルデがトリスタンと情交を結ぶとか、それがやがてバレてしまうとか、そういう点は同じである。   
   
 トリスタン、イゾルデふたりの情交シーンは、その気になればいくらでも濃厚に仕立てあげられるだろうが、これはかなり控え気味になっている。そういうものを強調したり、あるいは主題におく指向にはない。この映画のために作られたオリジナルの映画音楽にしたって、そこに官能性のようなものはいささかも無い・・・ただ、しかし、単独で聴いても楽しめそうな、素敵にしんみり・しっとりした風情の音楽である(作曲は Anne Dudley 女史)。   
   
 さて、この映画作品において、幼き日のトリスタンは父に連れられて狩猟を経験する。そこから帰ると、トリスタンは花輪を編んでそれを母に差し出す。母はそれを手にしてうれしそうな表情を浮かべる。何ということないシーンのようであるが、「花輪を編んでそれを愛する者に贈る行為」は、将来のトリスタンにとって大きな失態と悲劇の始まりにもなる・・・それはつまり・・・。   
   
 大いなる悲劇やドラマを経て、そしてすでに成長したトリスタンはイゾルデと出会って両者の間には愛が芽生えるが、しかしイゾルデはマルケ王のもとに嫁ぐことになる・・・そして、トリスタンとイゾルデのふたりは隠れて愛し合う。   
   
 或る日の逢引において、イゾルデはトリスタンに向かっておおむね次のようなことを言う:   
   
  「わたしたち、おおっぴらに手をつないで歩くとか、そういうことは出来っこないわよね。ふたりの愛の証となるような指輪(リング)だって無いし。有るといえば、またたく間に過ぎ去ってしまうような、密やかな逢引の時間だけなのね」   
   
 この言葉がトリスタンの頭に残ったからであろう、或る日のことトリスタンは、指輪ではないが、しかし即席で編んだ花輪(腕輪)をイゾルデにこっそりと渡した(市場を散策するマルケ王・イゾルデのカップルに声を掛けながら近づき、しかしマルケ王には気づかれぬようこっそりとイゾルデに渡した)。   
   
 が、しかし、その様子を目撃した者がいた・・・そして、やがてはふたりの密会もバレてしまい、そして・・・。   
   
 映画についてブログで取り上げる場合の、「これを書くとネタバレと言えるライン」の線引き・感覚が筆者には分からないので、ともかくあまり書くまい。   
 なお、上に書いたように2つの「花輪を渡すシーン」の映画中の対比効果について、監督そのほかがどこまで意図的に仕組んだかは分からない。しかし、筆者には、面白い皮肉であるように思えた。   
   
   
   
 男の目からすると、マルケ王役は十分に格好よく性格的にも難は無いと見え、これだったらイゾルデはさっさとトリスタンをフッて円満な家庭を築くことだけ考えればいいのになあ・・・などと思ったが、それでは「物語」にならんなあ。   
   
 イゾルデ役の女優も魅力的である。声もいい。が、トリスタンとの密会の折りに「わたしの前に何人の女を愛したの?」とか尋ねるのは、ちとイヤなものがあるというか不似合いなものがあると思えたが、セリフなのだから仕方ないか・・・どうせ後ろ指さされるような間柄なら、いっそのことさらに「わたしたちがこうして会うことの意味って何なの? ねえ、トリスタン! 夫(マルケ王)が愛してくれている以上にもっと愛して」とか何とか言って若く真っ直ぐなトリスタンの情をさらにかき立てたら面白かろうになあ・・・とも思ったが、これは余計なお世話か。   
   
   

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