2009-05

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1本でもニンジン、お皿が千枚で○○○○帝国

   
   (一部の文章を削除)   
   
   
 ところで、話かわって、蕎麦(そば)という植物、あるいは食材としての蕎麦の実、蕎麦粉はべつに日本固有のものではない。アジアその他でも盛んに生産されており、また、日本で消費される蕎麦粉の大半は輸入モノである。   
 蕎麦はヨーロッパでも知られてはいるようだ。ドイツ語では「蕎麦」は Buchweizen であるらしい。   
   
 「蕎麦」と聞いて日本人が普通に思い浮かべるあの麺、つまり「そば切り」を考えたとき、蕎麦粉のどういう部分を用いるかによって「更科(さらしな)」「田舎(いなか)」などあるけれども、どちらもそれぞれに魅力がある・・・でも、筆者は「田舎」のほうが好きだなあ、そして麺がいくぶんか、あるいはそれ以上に太めに切られているものだとかなり嬉しい。   
   
 ま、好み・感想は人それぞれなので・・・。   
   
   
 フランス語で「蕎麦」は sarrasin という。だから、日本語をまったく解さないフランス人が来日して蕎麦屋に入り、一言「サラシンっ!」と声を発すれば、厨房から横目で来客の様子をうかがっていた主人も「えっ、更科を注文かい? あのガイジンさん、詳しいんだねえ」と驚くらしい。   
 ・・・いや、これは嘘・冗談である。また、 sarrasin の発音は「サラザン」だろうねえ。昔々のこと、 サ ラ セ ン 帝 国 からフランス方面へ蕎麦が伝わったという経緯があるようだが、詳しいことは知らない。   
 フランスでは蕎麦をクレープ生地に用いたりもするようだ。日本の蕎麦屋さん・菓子屋さんでも蕎麦粉を用いたクッキーを売っているところがあるなあ。「蕎麦ぼうろ」なんていうのもあるし。   
   




「ウエスト見んすたー」と「これ捨てロール値」

   
 ・・・(↑)まるっきり無意味な当て字である。定期健康診断の結果を見ていて思い浮かんだだけのもの。今年の健康診断結果も幸いにして問題なく、特別の指導・注意事項も無かった。   
 今年ならではの驚きの発見は、健康診断前に禁酒しなくてもどうやら不健康を示す検査数値は出ないということだ。    
   
 健康診断のためだけに必要となった移動時間もあったから「どうせこういう結果になるならば、ああ、ああいう時間は無駄ではないか、おかげで他の用事のために回す時間が圧迫された」と思ってもいるのだが、受診しなければしないで何度でもせっつかれるし・・・。   
   
 健康ということはつまり、「その調子で、うまずたゆまず、音(ね)をあげずに頑張れぃ」という、そういうことなのだろうなあ。そして「1年365日、酒を飲め飲め」ということでもある・・・なわけはあるまい。   
   
   
 (一部の文章を削除)   
   
   
 下の画像のCDにはセルが作曲した音楽が収録されている(演奏はセル指揮ではない)・・・思いっきりピンボケしちゃっているが勘弁を。アメリカのアラベスク・レーベルから発売されたが現在は廃盤のようだ。しかし、「どうしても聴きたい」という場合は、 iTunes のストアにて手っ取り早くは「 szell original 」の2語をキーワードとして検索し、そしてそれを収録しているアルバム(下の画像と同じもの)をアルバムごとダウンロード購入してしまうのがよいと思う。本当ならライナーノートを読みながら鑑賞していただきたいと思うのだけど・・・ライナーノートの記述をここに転載するのは問題があるのでそれはやはり控えたい。   
 このセルの作品はなかなかに素敵な音楽だと思う。   
 また、最終変奏(第11変奏)の後半などにはセルの金管好きなところが現われているように思えるのだが、エンディングのティンパニもなかなか格好よく、ここでは打楽器好きな面が覗いているか・・・この「金管好き」「打楽器好き」というのは筆者の想像に過ぎないけれども・・・ただ、セル自身が指揮をとっていたならば、金管の表情も、打楽器のパンチや締まりのあんばいも、もうちょっとだけ違うものになっていたかと想像せぬではない。   
   
 画像の下のほうに写っているのは某高級スピーカーのカタログの一部・・・ウエストミンスター・ロイヤルという名が付いている。(こーんな高価なものは筆者は使っていないし、手も出ない。)   
   


雑記

   
 過密スケジュールが続く・・・飲む用事も含めて。   
 飲むほうは、これはすっかり暗くなった頃に店に向かい、そして、深夜に至らぬうちに切り上げるよう努めているけれども・・・「努めている」というのはつまりその、あれだ、必ずしもそのとおりには締めくくれないということだ(笑)   
   
 研修中の新入社員に或るテーマの講義をするという用事があって・・・(中略)・・・   
   
   

   
 ほかにもあれやこれやと。   
   
 本格的シーズンにはまだ早いとは思うのだけど、岩ガキ(牡蠣)がもう美味しかった。   
 「岩ガキも食中毒の可能性があるか?」と他の客が言い出したが、そういう話題は店主に対して失礼だろうし、食べているこちらも心地悪いというものだ。   
 店主は、こういう景気であるがために営業日を絞るつもりだと言う。他店にて「ひとりの料理人」として働く準備がすでに進んでいるとも言う。そのようにして働けることは「非常にラッキーなこと」であり、また、「自分でメニューや価格設定を考えなくてよいし、来客数の如何にかかわらず決まった収入を手にすることが出来るから楽といえば楽そうだ」と言って笑ったが、やはりそこに寂しげな表情も垣間見える。景気回復までの雌伏の期間と言えるだろうか。   
 さあ、そうして飲み始めて、誰が早々に切り上げられようか・・・深酒してしまったなあ。   
   
   
 世の中そろって再び好景気にわく日がやって来ますように・・・。   
   

雑記

   
 ご存知、上から読んでも下から読んでも山本山・・・いや、ここでは横書きなので“前から読んでも後ろから読んでも”などと言い換えるべきなのだろうか。   
   
 少し苦しいところがあるが、これもやはり前から読んでも後ろから読んでも:   
   
  「ナヴァラならばな!」   
   
 ・・・というわけでアンドレ・ナヴァラのチェロの素晴らしさについて書くのかというと、そうではない。   
   
   
 HMVのサイトの評論家エッセイのコーナーはときどき読んでいて、しばらく前、この記事を紹介しようと思ったが、つい忘れてしまった(イダ・ヘンデルについて):   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/904170198/   
   
   
 (HMVのページ・デザインが変更になっているが、ちょっとばかりページが重くなったのだろうか。今も活躍中のWin98マシン(しかもメモリがセコい)でたまたまアクセスしたときにはフリーズしてしまった。XPマシンではもちろん全然平気だったが。)   
   
 レコーディングにおける「つぎはぎ」は是か非か? この問題は意見が分かれようが、たとえばセルもインタビューにおいて「つぎはぎ」「切り貼り」を良いと思っていないっぽい発言をしている。   
 演奏上の失敗があっても、または演奏途中で余計な音(咳・くしゃみ・椅子の音など)が入ってしまっても、或る判断を以って「これで良し」というレコーディングが出来ていればそれでOKと考えていたのではあるまいか。(もちろん、ソロ、室内楽、オーケストラ、オペラそれぞれでミスの発生頻度や「やり直し」の負担が違って来るだろうけど。また、それじゃあセルには「つぎはぎ」のレコーディングが無いのかというとそんなことはない・・・「イタリア奇想曲」のような短い曲でもレコーディングは1日で済んでいなかったりもするのだし。)   
   
 今日のようなデジタル・レコーディング、いや、それ以前のアナログ&磁気テープ・レコーディングよりも前、SP盤の時代から活躍してきた音楽家には「一発録り」に賭ける集中力・気構え、あるいは、演奏し損ねたら「もう一度はじめからやり直し」の覚悟というものが強くある/あったかも知れない・・・SP盤のひとつの盤面に収録する時間は短いものの、しかし、ともかく「テープの切り貼りなんて無しよ!」という感覚はあったろうと思うのだが。   
   
 しかし、また、(かつて紹介したこともあったが)カメラータ・トウキョウの井阪氏の著書など読むと、「つぎはぎ」「差し替え」にもこれまた言い分・合理的理由がある・・・録音された音楽を世に送り出すことの意味、それについての確信が語られている。   
   
   
 筆者、個人的には(もちろん素人的な考え方しか出来ないわけだが)、どちらかと言えば上記エッセイにあるイダ・ヘンデルの姿勢・やり方に賛成である。で、この話を進めていくと、「コンサート」「生演奏」における演奏ミスをどう受けとめるかの話になるほか、精神主義的な話にまで及んでしまいそうなのでそれを回避すべく(笑)、今度は次のエッセイを読んでみよう:   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/905110074/   
   
   
 ナヴァラがボクシングや水泳をやっていたということを思い出してしまった。   
   
   
 話を拡大させて・・・「いろいろなことに馴染む・親しむ・首をつっこむ」ということは、広い意味で誰にとっても大切なことではあるまいか。   
 あ・・・しかし、これもまた話し始めるとキリがなくなるので、ここまで。   
   
   

とりあえず更新

   
 ラヴェルのピアノ曲について「やはりペルルミュテールの演奏したものは聴いておかなくちゃ」と言われるように、また、ベートーヴェンの「第九」について「フルトヴェングラーがバイロイトで振ったものを一度は聴いておかなくてはクラシック音楽の鑑賞キャリアに重大な欠落を生むであろう」と言われてきたように、この何年か、いやもっと長いけど、ベートーヴェンの交響曲第3番の名演について定説めいたものが築かれて来た。つまり「英雄」交響曲の演奏は、次の4人の指揮者たちが到達した境地こそ最高に素晴らしいのだと・・・。   
   
   
 1. カラヤン   
   
 2. ドラティ   
   
 3. ドゥダメル   
   
 4. インバル   
   
   
   
 賛否はいろいろあるかも知れないね。   
 レコーディングされておらず、実演に接する機会がないと「なるほど」と頷くわけにもいくまいというのもあるかな。   
   
 上の説はクラヲタには大いに気になるところであるが、しかし・・・。   
   
 以上4人のイニシャルをとって、次のように言われる:   
   
   
   
 「英雄」 by KDDI   
   
   
 ・・・以上、もちろん単なるダジャレ話である。   
   
   

モーツァルトの・・・



   
 上の写真は過去の使いまわしであるが、左側のジャケットのCDはモーツァルトのフルート協奏曲( Kv. 314 )をセルがチェロ協奏曲に編曲したものを収録している。チェロ独奏はチョウ・チン。   
   
 これはセルが編曲し、そして運弓や運指についてはフォイアマンによっているとのことであるが、そのスコアは見たことがない。ま、それほど熱心なセル・ファンではないから(笑)。   
   
 が、つい先日のこと、「協奏曲」すなわち「独奏チェロおよび管弦楽」という形ではないが、やはりセル編曲で運弓と運指はフォイアマンによる「独奏チェロとピアノ伴奏」のヴァージョンの譜面が海外のネット・オークションに出品された。   
    
 (追記: 当ブログ記事アップ時には出品された譜面の一部を見ることが出来たが、現在はオークション終了してしまい、見ることは出来ない。)   
   
 編曲は1941年以前ということになり、また、ニューヨークの業者から楽譜出版されたので、第2次大戦勃発とともにセルがアメリカ生活を始めることになってそれほど経っていない時期に編曲されたのではあるまいか・・・たとえばセルがマネス(マンネス)音楽学校などで教えていた時期に。   
   
 とりあえず譜面を第1楽章途中まで見てみると・・・独奏チェロの音は、もとになったフルート協奏曲の独奏フルートの音を1オクターヴ下げることを基本にしているが、そうでない個所もある。たとえば第44小節(次の第45小節も第44小節と同内容が繰り返されるが)・・・モーツァルトは独奏フルートの音符を「一点嬰ヘ・一点イ・三点ニ・一点イ、一点ト・一点イ・三点嬰ハ・一点イ、一点嬰ヘ・一点イ・三点ニ・一点イ、一点ト・一点イ・三点ホ・一点イ」と書いているが、セルは独奏チェロの音符を「嬰ヘ・イ・一点ニ・イ、ト・イ・一点嬰ハ・イ、嬰ヘ・イ・一点ニ・イ、ト・イ・一点ホ・イ」としている。ほかにも小さな違いはあるようだ。   
 上のように、セルがチェロに二点嬰ハ、二点ニ、二点ホなどの音を演奏させようとはせずにその1オクターヴ下の音を選んだのは何故だろう。筆者はチェロの演奏方法を知らないが、上のような音符の並びの中でこういう高音を演奏することの難しさを考慮したためなのかも知れないと一応は素人的な勝手な想像をめぐらしてしまうものの、しかし、同時に思うのは、どうもセルが選んだ音の運びのほうがチェロという楽器が持つ優雅さ・落ち着き感にうまくフィットし、そして滑らかに収まるということである。対して、フルートの場合にはモーツァルトが作曲したように音程の大きな跳躍・飛び出しが見られたほうがやはり聴き手の耳を刺激して面白い・・・このあたり、人によって感想は違うかも知れないが。   
 ただ、しかし、実はモーツァルトはこのフルート協奏曲を、それ以前に作曲したオーボエ協奏曲を流用して書き上げているため、(セルは当然そのオーボエ協奏曲の譜面を参照したであろうが)ひょっとするとそのオーボエ協奏曲に即した音符移動なのかも知れない・・・比較チェックしている時間がいまは無い。   
   
   
   
 ああ、しかし、ちょっと思い出すことがあった、いや、話は脱線してしまうのだけど(笑)・・・。   
   
 下のは写真にて引用させていただくものだが、かつて音楽之友社から発行された「続・素顔の巨匠たち」という本の中の一部・・・中瀬古 和 女史がヒンデミットに教わっていた頃の思い出を語った個所から。   
 こういう授業がとても有意義であろうことは素人にも想像がつくが、ともかく楽しそうだなあ・・・あ、いや、作曲を専門に学ぶ学生にとってはこのようにして楽器をいじるのはその「本分」ではなくて、でも「本分」を全うするための大事な修行で、そしてなお、作曲の修練はきっちり積まなくてはならないから、やっぱり大変なことか。   
 (画像がとても見にくいが、これまた過去のものの使いまわしであって撮り直している時間がないのでご容赦を。)  
   


雑記



   
 先日のことセル/クリーヴランド管のライヴ音源でレスピーギの「ローマの噴水」を聴いたとき・・・   
   
  (中略)   
   
   
   

 ところで、この曲は、いや「ローマ3部作」は、昔々はオーマンディ/フィラデルフィア管がレコーディングしたものがNHK-FMで紹介されることしばしばであったと記憶する。それをカセットに録音したものを持っていたので、クラシック音楽ファンの少なからぬ人たちが所有していた/しているであろうオーマンディ盤を筆者は購入したことがないのである。   
   
 ふと思い出して取り出したのは、ムーティ指揮フィラデルフィア管がレコーディングした「ローマの噴水」。聴きなおしてみたのだけれども、これまた魅力的な演奏であるなあ。手持ちCDの中では、むごいことに「クラシック音楽」の「その他」の「その他」っぽいところに分類収納していた。そうなってしまった理由はオムニバス商品だからというのもあるし、カップリングの具合ゆえに「追いやってしまった」ということもあるなあ・・・カップリングがマゼールの「ツァラ」や「ボレロ」そのほかだったり・・・ま、何がどう気に入らないと言うのも何なのだけど。   
   

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