2009-02

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雑記



   
 上の写真は・・・バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番の聴き比べをしようと思っていたが、メンゲルベルク(下段に写しいれたディスク)のほうのが音質的に聞きづらく感じられてしまい、仕方なくとりあえず今日のところはパイネマン/セルのものから聴き始めた。   
   
 下の写真のはCD-R盤商品で、セルの古い古い録音が収録されているから得たものだったが、先日あらためて収録内容を確認したらパネンカ/スメターチェク/プラハ響による「ラプソディ・イン・ブルー」も入っていることに気づいたので聴いてみることにした。      
 この曲の演奏者としては意外な顔ぶれである。会社の備品のラジカセにヘッドフォンを差し込んで聴いたので普通にオーディオで聴けばまた違う感想になるかも知れないが、しかし・・・その演奏ぶりは「ノリ」の方向性・スタイルや、「らしさ」などの点に難があると見ることも出来ようが、しかし、筆者にはむしろとても魅力的な演奏に感じられた。「きれいなものを見せられているような」と言ってしまうのも適当ではないけれども、アンニュイな風情に疲れさせられることなく、実に新鮮な気持ちで聴き終えてしまった。   
 現在はこの商品は流通していないようだが、3月に "Supraphon Archiv" レーベルから発売予定のスメターチェクのドヴォルザーク第3番にカップリング収録される「ラプソディ・イン・ブルー」は同じ音源なのだろうか。   
   


今日は21日、21番、21年

   
 あのロベール・カザドゥジュがモーツァルトのピアノ協奏曲のために考えたカデンツァを、一部ではあるがネット上で見ることが出来る。   
   
 たとえばこれ・・・。(以下の3つのURLは、それぞれに混在させてある大文字の“Z”3つを取り除いたものが正しいURLである。)   
   
 htZtp://wwZw.shZeetmusicplus.com/store/smp_inside.html?item=1820291&cart=34440817491264636&page=cover&cm_re=detail-_-lookInside-_-cover+text+link   
   
   
 左のほうに譜面ページ2枚の縮小画像が表示されるが、そのリンク先2つを開くと、協奏曲第21番の第1楽章のためにカザドゥジュが考えたカデンツァを見ることが出来る・・・。   
   
   
 ほかに第20番の第1楽章のためのカデンツァも見ることが出来る:   
   
 htZtp://wwZw.shZeetmusicplus.com/store/smp_inside.html?item=1820272&cart=34440806931226953&type=image&page=01&cm_re=detail-_-lookInside-_-thumbnail:inside   
   
   
   
 1945年以前に作られたもののようだが、さて、これらカデンツァはセルとの正規レコーディング(第20番のほうはモノラル)において採用されているのか否か?   
 答えは簡単、CD(またはレコード)を聴いてみればよいだけの話である。   
   
   
   
 モーツァルト関係のカデンツァに興味ある人はこのページも(ただし、すべてに内容紹介画像が用意されているというわけではない):   
   
 htZtp://wwZw.frZee-scores.com/boutique/boutique-uk-frame-eur.php?clef=124981   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
 音楽と全然関係ないが、下のは「21年もの」というウィスキー・・・酒に興味ない人は驚くかも知れないが、こういうものもある。   
   


モントルーのセル

   
 おとといブログ記事投稿したつもりの大事な記事が、どうも投稿手続を失敗したようなので下記に・・・。   
   
   
  iTunes のストアが扱うセル関係の音源をしばらくぶりにチェックしたところ、ミルシテイン/セル/プラハ・フィルの演奏とされるベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトが登録・販売されている。1964年、モントルーにおけるライヴのようである。   
  iTunes で "szell prague" の2語で検索すると手っ取り早く見つけることが出来る。   
   
   
 このオーケストラはチェコ・フィルと考えてよいのだろうか。或る方がまとめているセル関係のデータによれば、セルは1964年9月5日、モントルーのパビリオンにてチェコ・フィルを指揮しており、このときソリストにミルシテインを迎えてベートーヴェンのコンチェルトを演奏した模様。   
   
   
 しっかりと聴く時間が無いため「つまみ食い」っぽく部分的に聴いたのみだが、これがなかなかというか、いや、たぶん「なかなか」では済まなそうな、ミルシテインのファンもセルのファンも必聴と言ってしまってよさそうな、そんな予感。しかも、このような良好な音質で残されていたこともうれしい。スイス・ロマンド放送あたりが収録したものがもとになっているのだろうか。   
   
  

 なお、 iTunes 以外では下記も参照・・・こちらは AAC でなく mp3 のようだ。   
   
  http://www.rhapsody.com/nathan-milstein/nathan-milstein-beethoven   
   
   

インゲ・ボルク



   
 写真の左下のはインゲ・ボルクの歌唱を集めたCDのひとつ。   
   
 2枚組であるが、その2枚目にはヴェルディのオペラ「マクベス」のドイツ語上演からの抜粋が収録されている。なにぶんにもオペラ・ファンではないから同作に関わるCD・レコードはこれしか持っていない。  
 この抜粋だけ聴くと、音楽が帯びる明暗トーンのほどあいは「マクベス」のストーリーとピタリ合っているとは言いがたいのではないかと感じるけれども、しかし、ヴェルディであるから音楽は親しみやすく、いい調子のものだ。   
 が、このCDの趣旨はインゲ・ボルクの歌唱を紹介することにある。   
   
 魅力的な声である。   
 ライナーノートにおいて、この「マクベス」に関して次のような記述がある。   
   
 インゲ・ボルクはマクベス夫人の邪悪さを完璧に演じることが出来ているばかりか、この役についてヴェルディが求めていたと考えられる声質をも備えていた。すなわち、マクベス夫人役はしばしば "high mezzo" で歌われるけれども(メゾ・ソプラノ歌手が持つ声質を重視するゆえにそういうケースが多いということなのか筆者には分からない)、この役の声域は、理想としてはドラマティック・ソプラノ(ドラマティコということか)の鋭い声質を要求しているのだ。   
   
   
 なお、CDのプレスにおける問題なのか筆者のCDの保管の仕方が悪かったのか原因は分からないが、CD外周に位置する最終トラックが最後まで再生出来ずにその途中でストップしてしまう・・・ま、そのトラックにはボルクの歌声は含まれないようなので大したことでもないように思えてしまうが。2枚組CDの1枚目のほうでもまた最終トラックはきちんと再生出来ない、うーん。   
   
 1枚目のほうには、第1トラックにウェーバー「オベロン」から「海よ、巨大な怪物よ」ほか、ワーグナー作品や、またドヴォルザークの「わが母の教え給いし歌」など収録されている。   
   
   
 写真の真ん中のはフラグスタートの歌唱を収録しているドキュメント・レーベルのボックス商品中の1枚であるが、ここでの「オベロン」の歌唱あるいは「わが母の教え給いし歌」(歌詞は英語)は、レコーディングの古さということがあって堪能しきるうえでの不利がある。筆者にはボルクによる歌唱のほうが自然に楽しめる。   
   
   
 写真右上は、ボルクが主役を演じセルが指揮をとった、エック作曲のオペラ「アイルランド伝説」。ザルツブルク音楽祭でのライヴ。このCDを初めて聴いたときはその音楽に抵抗感も覚えたが、何度か聴いているうちに慣れた(笑)。ボルクの歌唱の魅力はここでも楽しめる・・・ただ、この歌手の真骨頂を味わえるとか、そこまでのものではないような気がする。   
   
   
 ボルクが歌ったものでは他に「エレクトラ」のCDも持っているが、この作品は少々気合が入っていないと聴けないので、今回は紹介を省略。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
 筆者、スケジュール的にハードになっているため、次回更新は今月下旬くらいとなります・・・大したブログでもないので残念がる人もいないだろうけど(笑)。   
   
   
   

そんなクルマが・・・

 ここに改めて書くまでもなく自動車産業は厳しい局面を迎えている。   
   
 これを打破できないか?   
   
 日本だけに目を向けてみると、若い人が「自分のクルマを欲しい!」とか「手に入れるならあの車種!」とか思わなくなってしまったことも大きく影響しているだろう。大都市への人口集中が進んでいるなかで、とりわけ若年層におけるそういう人口移動は顕著かと思うのだが、鉄道網が充足している大都市、さらに地下鉄もある中心部や沿線部では、クルマは生活必需品として位置づけられにくくなってもいる。   
   
 ・・・という指摘が当たっているかどうかは分からないが、自動車メーカーは画期的なアイデアを以って現在の苦境を脱しなくてはなるまい。   
   
 さあ、ここで外野から好き勝手なことを言うことにすると、自動車という「商品」のネーミング改革などは検討されねばならない一つのテーマではないのか。   
   
 「スバル」、「アスカ」などの例を除けば、自動車の商品名・ブランドは外国語/それのカタカナ表記というのが基本であったと思う。カローラ、クラウン、サニー、マーチ、ローレル、セフィーロ、ティアナ、アコード・・・。   
   
 このような商品名を、もう、思い切って日本語にしてしまうのは強力な有効手段ではないか?   
 このように書くと、「それじゃあ何かい? “薫風”だの“山紫水明”だの、そういうネーミングにするわけ?」と怪訝な顔をされるだろうが、それは甘い・・・そんなんじゃ、インパクトが足りない。そんなことでは消費者・潜在ユーザーはメーカーの苦境を肌で感じ取り、その足もとを見るだけであろう。遊び心などすら感じさせるものが良い。   
   
   
 たとえばの話、次のような名前にするのだ:   
   
 「泣く子と地頭には勝てぬ」   
   
 (↑)キャッチコピーではない。これを、ちょうど「カローラ」とか「マーチ」とかと同等の、クルマの名前とするのだ。   
   
 当然、ボディーに付けるエンブレムも日本語で「泣く子と地頭には勝てぬ Grand Saloon 」などという具合。   
   
 このインパクトは凄いと思うんだがなあ。   
 英語そのほかの外国語ではない、しかも名詞でなく「文章」というのが素敵だろう。   
 新車を購入したばかりのA子と、その友人B子の間での会話も弾もうというものだ・・・。   
   
 A子:「クルマ、買い換えたの」   
 B子:「え? 何にしたの?」   
 A子:「えーとね、“泣く子と地頭には勝てぬ”にした。カーナビはオマケしてもらっちゃった」   
 B子:「わー、あのクルマ、セレブっぽいよねー」   
   
 ・・・一体どこがセレブっぽいのか分からんと思うのは、それはクルマのデザイン、スタイリングの問題だからここではおいておく問題だが。   
   
   
 ネーミングはどうしても「名詞」か、さもなくば落ち着きのよい熟語、故事成語みたいなものがスッキリしていて好ましいというのであれば、こんなのはどうだろう:   
   
   
 「ザ・プレミアム臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」   
   
 乗り心地に一抹の不安を感じさせるが、斬新なネーミングと言えよう。   
   
   
    
 クラシック音楽の作品タイトルやオペラの登場人物などもネーミングに利用可能なものはあろう。   
 でも、たとえば「マイスタージンガー」だの「ジークフリート」「イル・トロヴァトーレ」などは調子良い響きを持ちながら、インパクトには欠けると思う。   
   
 ここはひとつ、「○○の○○」とか「○○と○○」などの形をとったネーミングが良いと思うのだ。たとえば・・・   
   
 「シャモニーのリンダ」   
   
 「魔弾の射手」   
   
 
 ・・・「最高級セダン、ムツェンスク郡のマクベス夫人」なんていうのも格好よさそうだが、オペラのストーリーを考えたらネーミングする勇気は湧かないわな。   
   
   
 ・・・というような世の中になって、いろんな名前のクルマが街を往来するようになったら楽しかろうなあ。   
   
 A男:「おっ、あのクルマ、かっこいい。あれ何だろう」   
 B男:「知らなねえのかよ。 “幽霊の浜風”。予約しても3か月待ちだってよ」   
   
   
 ・・・ま、妄言である。このようなことにはなるまいし、また、仮にそのようなネーミングのクルマを発売してちっとも売れなくても筆者は責任をとりきれない(当たり前だ)。   
   
   

雑記

   
 「気合だー。気合だー。気合を入れろぉー」
   
 ・・・ オ リ ン ピ ッ ク 出場も果たしている 女 子 レ ス リ ン グ選手の、そのお父さんがしきりに口にしていた言葉。   
   
 このお父さんのこの様子については、筆者の周囲ではいまいちウケがよろしくなかったのだが、しかし・・・。   
   
 ここぞという大事な場面で「気合」を入れることの大切さは誰もが承知しているものの、しかし、「をしっ、気合を入れるぞ」と思っても、その人が本来持てるはずの「気合」「気迫」「集中力」の頂点にはなかなか達しない・・・ように思う。   
   
 野球の 松 井 選手や イ チ ロ ー 選手ほかトップクラスの選手は、生まれついての才能あるいは練習・努力などが人並みはずれているところがあるかも知れないが、しかし、大事なときに集中力を高めて「気合」をこめる能力にも長けたものがあるのではなかろうか。   
 それにひきかえ、たとえば筆者のような凡人ともなれば、「気合を入れて取り掛かるぞ」と、そのように一度だけ自分に言い聞かせても集中力は「グ、グ、グーン」というほどには上がりきらない感がある。ところが、上のお父さんではないが、「気合だー。気合だー。気合をー」と、しつこくしつこく頭の中で唸ってみると・・・相当程度まで意気が上がる。だから、あのお父さんのやり方(娘さんへの呼びかけ)は正しいと思うのだけど。(これは、その娘さんたるレスリング選手もまた凡人に過ぎないのだとか、そういうことを言いたいわけではない。)   
   
 何だかまた仕事の話みたくなってしまったけれども、上のことは音楽鑑賞上でも役立つことがある。   
 たとえばの一例。「今宵はどのCDを聴こうかな」と考えつつCD棚に目をやる・・・目にとまったのがベートーヴェンの第九だとかマーラーの第3番だったりすると「うーん、もっと短い作品や軽い作品にしたいなあ、でも、ここ最近聴いていなかったから聴こうかどうしようか」などと迷う・・・このとき「気合で聴くことにしようか。気合だー。気合だー。気合を入れろぉー」と念じるなりしてみると、いさぎよく聴く決意が固まってしまうものだ(笑。そうまでして聴くのが良いかどうかについては一考の余地はあろうけど)。    
   

雑記

   
 (記事削除)   
   

江戸詩歌と和音7個の選択問題

   
 俳句、川柳、都都逸(どどいつ)などなどに音楽(西洋音楽による今日的な音楽)を付けようとする場合、和音の選択において何かしら特別の配慮や工夫をすることは有益であるか? ・・・つまり、「軽み(かろみ)」であるとか、諸々の風情、滑稽、皮肉、あるいは意図的に「日本的レトロの表情」を付加しようとすることと音楽表情との関係で。   
   
 だが、しかし、大切なことがある・・・まず第一に、そのような論を筆者が書けるわけがないじゃないかということと(笑)、そしてまた、今回のブログ記事タイトル(↑)は、実はキーの打ち間違いと誤変換というアクシデントが重なってしまった結果だということだ。   
   
   
 正しくは、電子マネーに関わる話題で、「Edy、Suica と WAON、nanaco の選択問題 」なのであった。   
   
 電子マネーを用いなくてもよいではないか、現金(キャッシュ)やクレジットカードで十分ではないかと思い続けていた自分も、いつの間にか電子マネーを利用するようになってしまった。しかし、ワオンやナナコについてはまだ使っていないけど。   
 ワオンはファミリーマートでも使えるようになるとか(しかし、このコンビニは既に他の決済方法も備えているが)、それぞれの電子マネーが勢力拡大を進めていくと、うむ、電子マネーはやはり便利になるかなあ。   
   
 しかし、世の中すっかり電子マネーばかりになってしまうと、正月に初詣に行ったところが「あっ、現金を持って来なかった。お賽銭をどうしよう」とか「○○募金? うっ、せっかくだけど、いま現金を持ってないや」などと慌てる時代がやって来るかも知れない。   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 定額給付金についての賛否を述べることは控えるとして、これに不賛成で「俺は貰わない」と考える人にとってはさらなる選択肢がある・・・「受け取らずにそのまま国の金としておいても、どのように使われるかを指定できるわけでもないし、その点がちと面白くない」という場合に、いったん受け取ることにしてそれを福祉団体であるとか学術研究、疾病の予防・治療を研究する団体、母校などなどに寄付するという選択。   
 最近、定額給付金やワークシェアリング問題について、珍しくも街頭アンケートなど受けることがあったから上のように思った。   
   

感想を詳細にるる述べることはしないが・・・



   
 同じ題材・テーマを用いて、オペラもあるけど映画もあるという例・・・上の写真は、その、映画のほうのDVDから。   
   
 「ルル」のものは以前このブログで触れたことがあったが現在は記事削除してしまったので、ここに改めて紹介。新品を購入するとなれば安くないので、もしもレンタルで鑑賞できるならばそれが良いかも知れない(ちなみに、筆者は中古で得たのだが)。   
 映画のテーマ音楽はベルクとは無関係(似ても似つかぬような、酒場シャンソンっぽいもの等である・・・いい味わいを持った音楽かと思う)。   
 新聞社主シェーンがルルに拳銃で撃たれ息絶えたあと、映画の場面はイギリスにおけるルルの暮らしへと切り替わる形を採用している。   
 ほんの一部ながらショッキングで「うぇっ」となる映像シーンもあるので、そういうのが苦手な人は要注意。   
 ルルという女がどういう姿でどういう魔性を備えていたかを的確に描いているかどうかの評価は、これは観る人によって分かれるかと思う・・・当然と言えば当然だろうか。   
   
   
 「サムソンとデリラ」(映画の中では「デリラ」は「デライラ」と発音される)は、1949年制作らしいが、カラー映像のレベルはなかなかのものと思う。脚色の度合いは大きい。   
 これは500円パッケージだった商品だが、現在は映画3作品で1000円だか980円だかのシリーズ商品でも買えるようなので、後者におけるカップリング作品が気に入るものであるなら、そちらを選んだほうが得かも知れない。   
   
   

雑記



   
 作家のM春樹氏が或る著書においてセルに言及しているらしきことは某掲示板で知った。それが格別のものではあるまいということも投稿内容から推測できた。   
 が、しかし、気になるものは気になるというものだ・・・自分が日本にいるときであれば本屋さんで立ち読みして済ますだろうが、日本から荷物を送ってもらえるタイミングとちょうどうまくすり合っていたから、その本を一緒に送ってもらうことにした・・・文庫本になっていたから安いものだが、本屋さんを3軒くらい探してようやく買うことが出来たらしい。   
 ああ、しかし・・・その本では確かにセルに触れられていたが、「わざわざ手配要請までした俺は何だったのか」という程度のものに過ぎなかった。   
   
   
 シャンソンを何曲も聴いたせいなのかクラシックのほうでも「歌唱つき」のものが聴きたくなった・・・いま持ち歩いているCDの中から上の写真のものを今夜は聴こう・・・写真そのものは過去の使いまわしである。   
 きょう昼食後に聴いたのは下の写真中のメンデルスゾーン「スコットランド」。日差しがまだ弱い季節にはうまくマッチしてくれる音楽であると、個人的にはそのように思うのだけど、「ちっともおいしくない昼食をとった」という条件が重なるとさらによいようだ・・・。   
   



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