2008-09

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ブログ更新をしばらく停止

   
 再び、しばらくの間、ブログ更新を休みます。   
   
   

雑記

   
 首相や大臣、政治家のもとにだって、やっぱり間違い電話がかかってくることはある。   
   
 或る晩のことであった。手もとのケータイが鳴ったので首相はそれに出た。どこぞの酔っ払いオヤジが息子に電話しようとして、どうも番号を間違えてしまったようなのだ。電話の相手はいきなり喋りだした。   
   
   
 オヤジ:「あっ・・・聡太郎?」   
   
   
 首 相 :「麻生太郎です」   
   
   
 ・・・林家木久蔵 師匠が「笑点」の大喜利で言いそうなダジャレ・ネタであったが。「笑点」は久しく見ていないが、今も続いているのだなあ。   
   

54年は54年前・・・

   
 セルの録音は出続ける。なんてったって今年はセル生誕111周年と、変に喜ばしい(笑)   
   
   
 今から54年前の1954年にセルがメトロポリタン歌劇場で指揮した「タンホイザー」のライヴ録音がCDで登場するとのこと。   
   
   
   http://www.hmv.co.jp/product/detail/2784519   
   
   
 セルがメトで指揮した「タンホイザー」のライヴ録音としては、これまで1942年のものが出ていた(歌手はメルヒオールほか)。   
 今回新たに登場するのは1954年のものという。メトにおける1953年12月からの「タンホイザー」公演はセルが指揮をとったが、このCDの内容は、具体的には翌年1月9日の模様であろうか。ともかく、その1月9日までの歌手配役は今回CDにあるが如きだった。   
   
 その後においては配役変更があった。が、その配役変更はメトの支配人ビングがセルの承認を得ずに進めてしまったらしく、それがもとでセルとビングは大きく衝突し、さらにはセルはメトで振るのをやめてしまった。ちなみに、1月14日の配役ではアストリッド・ヴァルナイがヴェーヌス役からエリーザベト役へと変更になったようであるし、そのほか、タンホイザー役はチャールズ・クルマン、ヴォルフラムはヨゼフ・メッテルニヒ、ヴェーヌスはレジーナ・レズニックだったようだ。   
   
 それにしてもビングはどうして、たとえやむを得ぬ事情に迫られていたとしても、こういう大事なことをセルのOKを取りつけずに進めてしまったのだろう。   
   
 また、配役変更ともなれば、やはり個別レッスンや「通し」でのリハーサルは必要になると想像するが、これに伴うスケジュール確保はどの程度まで可能だったろう?   
 1954年1月4日にセルはニューヨーク・フィルハーモニックを振ってワーグナー序曲集のようなものをレコーディングした。また、1月13日にセルはシゲティとバッハの協奏曲を、また15日にはやはりシゲティとタルティーニの協奏曲をレコーディングしており、その事前練習なども考えればセルのスケジュールも詰まっていたろうと推測してしまうが、どうだったろう。承認していない配役変更もセルにはカチンと来たかも知れぬが、歌手との意思疎通不足という事態を指揮者が嫌わないわけあるまい。   
 なお、吉田秀和氏はその著書で、(その本はいまこれを書いている筆者の手近にないので記憶にもとづき大まかに書くと)アメリカでセル/ニューヨーク・フィルハーモニックのニューイヤーコンサートっぽいものにてワーグナー序曲ばかりを並べたプログラムを聞かされて云々とか、また、セルとの関係で取り込み中にあったにもかかわらずメトのビング支配人は会ってくれたみたいなことを書いているが、吉田氏のこの体験は1954年新年あたりのことではあるまいかと思える。   
   
   
 ともかく・・・このCDの歌手の顔ぶれからすると1月14日公演のものではないようだし、とすれば、舞台上の歌手についてセルの意思・意図・コントロールは一定以上にしっかり及んだ上演・演奏内容であると想像する。楽しみな商品である(今どきの商品としては、ちと値段が高い感もあるが)。   
   
   

レコ芸についての雑感から

   
 日曜の朝のとても早くに電話が鳴ったから、何事だろうと出てみると・・・それは良い内容の電話だったのだが、ゴルフをする人は休みの日でもこんなに早く起きるんだなあと改めて感心してしまった。   
 すっかり目が覚めてしまい、さて、自分のではない、親たちの「ねんきん特別便」と、不十分な資料とをにらめっこしていたのだが、彼らが「不審である、おかしい」と感じる個所には共通パターンがありうることが窺えた(全件に共通するわけではないが)。これなどは、窓口へ相談に行くのは各人別々でなく一緒とし、そして調査担当するほうも一人で両案件を扱ったほうが、能率のよい解決に向かいそうであるなあ。いや、関係省庁ではすでにその種の「よくある問題パターン」を見出しているのかも知れない。省庁の側での自助努力、いや自己解決というのかな、そういうことを通じて「もっと正確な、ねんきん特別便第2弾」を国民に送付することが出来ないのか・・・しかし、またコストが掛かってしまうが。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   
   
 レコ芸10月号は手にしておらず(というか、しばらく前にものすごーく久しぶりに1冊買ったあとはまた買わなくなってしまったのだが)、ネットで10月号の特集タイトルを見たところ筆者個人的には「え? うーん・・・どういう企画なんだ? まあ、何となく想像するところでは・・・」という感想で購入意欲は湧かなかった。ネット上ではまた10月20日発売予定の11月号の特集なども知ることが出来るが、これまた筆者を刺激しない。朝比奈ファンとイタリア・オペラ・ファンには興味を持たれるかなあ。いつだって誰をも満足させる特集内容というのはそもそもむずかしかろうから仕方あるまい。言い換えると、ひとくくりに「クラシック音楽」と呼ぶけれども、その世界は広く、また、興味対象や楽しみ方もいろいろであるし・・・。      
   
   
 世には多種多様の娯楽・趣味があって、そしてそれぞれにとっては「趣味の雑誌」が存在するのはうれしいこと、あるいは心強いもの言えよう。何かに興味を持ち始めたとき、いまやネット時代であるからとりあえずはネット上で何やかやと情報収集したり、にわか知識を仕入れるにしても、それでもなお「雑誌」という有形物のそのページをパラパラと繰り、グラビアを眺め、情報を仕入れ、その方面の権威・専門家・マニアとされる人の解説・意見など読んだりするのは、やはり意味・楽しみがあろう。多様な趣味雑誌は、出版不況にもかかわらず存続・発展していただきたいと思う。「月刊・耳かきコレクター」とか創刊されないかなあ・・・いや、集めてないけど興味はあるので。     
   
   
 で、「レコ芸」誌に話を戻して・・・。  
 タイトルに「レコード」の言葉が使われているが、若い(あるいは年配・中年でも)、ともかく最近になって音楽に目覚めた層にこれがどのような印象を与えるかについて一考の余地があろうと思う。もちろん、前提としては、この雑誌がクラシック音楽初心者(初心者という呼び方はしたくないが、クラシック音楽に夢中になりつつあるフレッシュな心持ちの層)を呼び込む役割をも担うものとして。   
   
 他方、長年のクラシック音楽ファンにとっては食いつき足りない特集・企画が少々目立つような気がする。新ウィーン楽派、北欧音楽、アメリカ音楽などなどに焦点をあてる企画を排する必要はないが、読者にとって「険しい山」「長い道のりの修練」となるものをポーンと投げかけることもあってよさそうに思う。   
 それはたとえばスコアのリーディングであるとか、音楽理論をテーマとするようなもの。音楽評論畑の人よりも、専門の音楽研究者や作曲家、編曲家たちのなかから熱意のある、そして執筆にも長(た)けた人を選ぶ。筆者が素人として思うのは、歌ったり楽器演奏したり作曲したりするのでなく音楽鑑賞を楽しくしてくれるために必要な楽典の知識というものは、実はそれほどにはむずかしくないのではないかということである。或る程度の見切りもつけながらガイドしてもらい(それを専門家は低レベルと見なすかも知れないが)、やがて、誰もが知っていてCDも所持しているような名曲から選んでスコアの解説へと進んでいただくなど。(それ以前に、鑑賞者としても持っていたほうがよいと思えるレベルの、相対音感なりソルフェージュなりの簡易なレッスンがあってよいのかも知れないが。)   
   
 しかし、上のことは「或る号の特集として」のことである。それの続編みたくして、次号からは毎号毎号のシリーズ記事として、しかし力を入れて、いろいろな曲についてのスコア解説、具体的な個所を示しながらの音楽史・作曲史における意義の解説、実際の演奏の対応個所の表示(経過時間にして何分何秒のところ、等)、聴き比べによる解説などしてもらう。演奏のほうは、その曲の定番CDとして持っている人が多そうなものと、最新あるいはわりと最近のCDにおける演奏と、それら両方を示してもらうのがよいのではないか・・・これによってCDあるいはダウンロード音楽の販売も刺激することが出来る。もちろん、レコード会社の好意によって「抜粋」を雑誌付録CDに収録可能ならばそれをありがたいと感じる読者も少なくないであろう。   
 誌面の関係で解説記事中にはスコアはわずかな部分しか載せられないだろうが・・・しかし、この雑誌の発行元はスコアの版・版下をたくさん保有しているからこれをもとに雑誌付録を用意するというテもあろう。著作権関係で改めて手続・交渉する必要も生ずるかも知れないが、そのへんの手間が容易で費用負担の軽微なものから始めてもよかろう。事業部門が相違するゆえにスコア販売部門との調整が必要になるかも知れないが、スコアに興味を持ってあれもこれもと手を出す人が増えればそれはメリットであろう。   
 この付録スコアは、しかし、表紙は「いかにもレコ芸の付録」とハッキリ分かるような、特徴的すぎるものとしておく。あるいは、本・冊子というスタイルでなく、新聞サイズの紙に段組させてスコアを印刷し、それを折りたたんだものとする。これは、やがて買いなおしてもらうことを促すという意味もあるのだけれども、もうひとつの意味としては、コンサート会場へスコアを携えてそれを開きながら音楽を聴くということへの抑止効果が欲しいかなと思うのである。いや、ページを繰る音もさせず、そのとき手の動く気配すらも感じさせずに、おなかに押し当てるようにしてスコアを読みつつコンサート鑑賞するのならば周囲はあまり気にならないかも知れないが、そうでないケースでは周りの者はやっぱり・・・筆者の個人的感想ではあるが。しかし、この新聞紙大のスコアをコンサート会場に持参して広げてしまう聴衆が出現したりするかなあ・・・でも筆者は何も責任をとらない(笑)   
   
 スコアを読む人が増えればそれに応じて、より発展した記事を載せていくことも出来よう。スコアと首っ引きでいろいろなことを気づかせてくれる記事はとても魅力的なものになろうと夢みるのである。   
   
 さらに尽きぬクラヲタの世界・・・。   
   
   

歌の本



   
 シベリウスについて作家の福永武彦はどんなことを書いていたっけとか、歌人であったかそれとも本業が作家の人であったか忘れたが誰かがフラグスタートの名を短歌に詠みこんでいたよなあとか、あるいは、音楽に魂が宿る・言葉に魂が宿るというのでなく「文字」についてのその種の神秘をめぐる短編をアナトール・フランスは書いていたなあ、などなど思った折りに、「ああ、あの本が手近にないのは残念!」と思う。実生活、日々の暮らしに差し支えないのであるが。   
   
 学生時代に読んだ本のうち手近に置いているものはそれほどない。処分してしまったものは多いし、ダンボール詰めして保管したままのものもある。   
 いま手近にあって最も古そうな本のうち、音楽に関わりあるもののひとつが上の写真。   
   
 これは、社会思想社という出版社が出していた現代教養文庫シリーズのなかの1冊。内容的には、いわゆる歌謡曲に限らず様々な曲の歌詞を紹介している。明治あたりから1960年代後半にかけての歌謡曲であるとか、軍歌、民謡そのほかからのチョイス。教養文庫とはいえ、べつに「教養」と思って買ったわけではないことは明らかであろう。   
 この種の歌詞を集めた本を欲しいと思ったのだなあ、確か。   
 (子供の頃のことで当然に酒も飲まないし、それどころか粕漬けにも閉口していたのに)この本には黒田節の歌詞の「一番」のほか「二番」から「四番」までも載っているのを感激した記憶がある(笑)    
 「 月 月 火 水 木 金 金 」のあの歌の歌詞を調べようとしたときに、それはこの本に載っていなくて残念に感じた記憶もあるなあ。   
   
 昔は今日のように歌詞検索サイトも無ければネットも無かったから、こういう本はいろいろな意味で便利・重宝だった・・・いや、楽しめた。同種の本は現在も数多くあると思うのだが、ネット時代の今でも、そういうのが手近にあるとやっぱりいいよ(笑)   
   
   

ブログの設定

   
 コメントスパムを受けると、そのコメント文章(またはその一節)、ハンドルネームなどをグーグル検索してみる・・・すると多数の検索結果が現われる。で、コメントによっては、このブログ・システムを提供していただいている FC2 さんにてブログを書いている人のところへ集中している印象のものもある。   
   
 というわけで、ブログ管理人用の設定でデフォルトになっているものを少し変更してみた。更新の ping 通知先を絞ったのがひとつ、また、更新時に FC2 さんのブログ関係トップページに表示するのを停止。また、コメント発信元の IP アドレスを広範すぎず限定しすぎずでブラックリスト登録して拒絶・・・あまり広範に拒絶するとね、たとえば天下の OCN 利用者からのコメント全拒絶なんてしてしまうのも何だかであるし、いや、筆者自身が利用することもあるプロバイダーも全拒絶すると自分でコメントを書けないし(笑。管理人としてログインしているときには書けるのかな、よく分からないが)。   
   
 コメントスパムを書く側については「新しいサイト、新しいアフィリエイト・サイトを作ってはその宣伝をする」ということの繰り返しではないかと想像できるものがある。一種のブックマークのような一覧に沿いつつソフトを使って自動的にでもコメントスパムするのだろうなあ。   
   
 上の対処方法でどのくらい効果があるかは、しばらく様子を見ないと分からない。   
   
   

ケフェレック

   
 ピアニストのケフェレックへのインタビューを目にした・・・。   
   
 http://www.mde.co.jp/doc.id?id=2008090909362734   
   
   
 ショパンについて「日本の俳句によく似た内なる世界、本質の凝縮された世界がある」と言う。   
   
 うーん、こういうふうに感じたことはないが。しかし、ショパンには、音楽表現する前段階において、対象を引き寄せて囲い込んでそれだけを見つめておいて感傷にひたるみたいな感じの、その傾向の強さは感じぬではない。   
 夜想曲であったか何であったか、聴きながら、俳句ではいのだが「城ヶ島の雨」(「利休鼠」のあの歌)を想起してしまったこともあるなあ。   
 ショパンはあまり好きでないのだが、しかし、ケフェレックは近い将来において、モーツァルト・アルバムの第2弾とショパン・アルバムなどをレコーディングするのではないかと、筆者は密かに期待しているのであるが・・・。   
   

ブログをしばらく休止します

   
 コメントスパム/スパムコメントが多いため、ブログの更新をしばらく休止させていただきます。   
   
   

雑記

   
 前回のブログ記事のために撮った写真を自分で眺めて、「普通の人だとお払い箱にしてしまうものを、俺はセコく使っているなあ」と、あらためて思った・・・サイズの大小比較のために写真右に写し入れた記録メディアの話である。   
   
 メディアの、そのときそのときに於ける主流の種別・規格は時代ととともに変遷しうるが、それ以前に、いや、それと同時に、記憶/記録の容量は増大していく。   
   
   
 で、「いま」の時代にしては「小さい容量」になってしまったものを、人はみな、どう扱っているのだろう。たとえば下の写真の16MBのものなど。筆者は、フロッピーに記録したままの古いデータを移すのに活用した。しかし、フロッピーも保存状況に配慮すれば、いまもちゃんと読める。コンパクトフラッシュにせよ miniSD ほか各種メディアにせよ、「いちど記憶/記録したものは永久に安全に保持される」という信頼を筆者は置いていないので、なるべく複数メディアで記録を残すようにしているが、それにしても、大容量へのニーズは増すばかりである。   
   


ええモン、貰うた(もしくは「フーガの技法」ならぬ「フウカの技法」)



   
 過日、ペットボトル茶の「伊右衛門」を買ったら、オマケに和菓子のフィギュアが付いていた・・・上の写真がそれ。   
   
 この写真のは「麩嘉(ふうか)」という京都の生麩の専門店が扱っている麩まんじゅう。このまんじゅうの実物を目にしたことはないが、ネット上の情報・写真を参考に眺めると、フィギュアの左に配されている「まんじゅう」の再現性・リアリティはイマイチではないのかと想像する。しかし、楽しいフィギュアだ。   
   
   
 麩などを扱う店で実際に寄ったことあるのは下の写真の店で、ここは食事が出来る(ランチ)。雑誌記事より写真にて引用させていただいた(引用元は「日経おとなのOFF」 2004年10月号)。   
   
   
 話をフィギュアに戻すと、これはサークルKサンクスで買う場合の限定オマケのようで、シリーズのラインナップは全部で7種類。   
   
   
   (中略)   
    
    
 「伊右衛門」で、ええモン貰おう。   
 今日現在も入手可能かどうか筆者には分からないのは、ちょっと申し訳ないところであるが。   
   


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