2017-07

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雑記



   
 先日の晩はテレビの音楽番組でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番や交響曲第7番を観て/聴いていたのであるが、両曲の演奏には、しっくりとは馴染めなかった。歌い回しに「?」と感じる部分があったり、また、このような演奏スタイルとする必然性というか、その考え方・洞察について当方の理解が及ばなかったのかな・・・当方の側の「固定観念」、「すりこみ」、「受容可能な演奏パターンのあれこれ(の狭さ・少なさ)」などが邪魔してしまったのであろう。   
   
 というわけで、ピアノ協奏曲についてはレオン・フライシャー/セル/クリーヴランド管が残した演奏などを改めて聴くことになったのである。   
   
 冒頭の写真は、これはギレリス/セル/クリーヴランド管による協奏曲全集で、しばらく前に再発売になったもの。セル・ファン以外にもよく知られた録音であり、これらの曲を買い揃えるにあたっては今もなお「わりとスタンダードな選択のひとつ」として評価され続けているのではないか。が、しかし、個人的には、フライシャー/セルのものもまた忘れて欲しくないように思う。   
   
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲でセルが指揮をとっているもののライヴ音源としては、ギレリス、マガロフ、カーゾン、フィルクシュニーらのピアノによるものがCDとして出ている・・・下の写真はそれらの3商品と、また、フライシャーとのセッション・レコーディングのうちの1枚。   
 ほか、グルダとセルとの共演による「皇帝」のライヴはDVDおよびCDでリリースされたものがある。  
 さらにCD-R盤その他で接することの出来る音源としては、ゼルキン、カリヒシュタイン(カーリヒシュタイン、カリクシュタイン)らとのライヴなども存在している。   
   
   
 ここで話題は最初の写真に戻り・・・。一緒に映しいれた新書は最近のもので、アメリカ人サラリーマンの働き方に対しての、日本人が抱きがちな誤解・先入観を正してくれそうな本。   
 筆者は昔、突如として急ぎの案件で埼玉県の川越市まで出掛け、そして晩になってから自分の職場(東京)まで戻ることがあった。もう夜9時を回っていたであろうか、会社近くで モ ル モ ン 教徒とおぼしき外国人から日本語で話しかけられた・・・こちらは「話をしている時間など無い。会社に戻って片付けなくてはならない仕事が残っている」と言ったら、相手は「まだ仕事をするんですか? 日本人はそんな働き方をする人が多い。アメリカ人はそんな働き方をしません」と言った。彼もまた(アメリカ人であろう彼ですらも)、アメリカ人の働き方について、当時の日本人と同様の誤解、または画一的な見方を持っていたのだろう。その頃も、また今日でも、アメリカにある子会社のコントローラー職やインハウス・ロイヤー、取引先の何人かのマネジャー職、また、税務であるとか企業買収のことなど扱う弁護士その他の専門職の人たちとやりとりしていると、彼らがどれほどアグレッシヴに執務し、あるいはまた、長時間労働をいとわずに挑戦的な仕事をしているかがよく分かる(一部の人については、その「長時間労働ぶり」を誇示するために(=それはペイメントに跳ね返りうる)メールやファクスを送って寄越すタイミングをわざと遅くしているのではないかと疑いたくなることもありはするが)・・・ともかく、アメリカ人の誰も彼もが定時退社し、残業をせず、ファミリーと一緒にいる時間をとても尊重しているみたく考えるのは間違いだというのが筆者の感じていることである・・・しっかりと成果を残すためには、天才でもない限りはやはり一定の割り切り・切捨て・諦め等々も必要ということではあるまいか、たぶん・・・でも、どうしてクリスマスにあれほど浮かれるのかという疑問も浮かぶが。・・・ああ、しかし、そういう話は、上の写真で紹介した本の内容とはあまり関係ないな(いや、まったく関係ないわけでもないが)。   
 長時間労働の是正、働き方改革などが叫ばれるが、変な方向へ向かうと日本人の仕事の成果の出方、スキルアップのされ方、日本企業の競争力にとってマイナスの影響も出かねないのではないか。「命を犠牲にしてまで頑張らなくてはならない仕事など無い」という考え方もあるが、これは、過労などが原因で家族を亡くしてしまった遺族の悲痛な叫びとして真摯に受け止めるべきものであること勿論ではあるのだが、しかし、人によっては「俺は/わたしはどこまでも頑張ってこれを成し遂げたい、たとえ体を壊そうとも・・・そして、成し遂げられなかった場合の無念や恥を思えば、過労で死ぬことさえも厭わない」と思いつつ頑張るケースだってあろうし、過去には、そういう執念と気概があったからこそ生まれた成果というものが日本のあちこちに見られたのではあるまいか(企業人でも職人さんでも)・・・今後の日本ではそういうことが一切見受けられなくなるということがあれば、むしろ怖い、不安にさせられるかなあ・・・世に反論はありえようが、残念ながらこちらの頭・思考回路が古く、また、容易にそれを直せそうにもない。   
   


それは「遠すぎるダジャレ」だったのか、それとも・・・


   
 居酒屋で、顔なじみの男性(40歳くらい)と隣り合わせた。   
   
 相手は、「昼間、エアコンで冷えすぎちゃったみたいで・・・風邪っぽいような、喉が いがらっぽくて」と言ったので、こちらは   
   
 「エゴラッピン?」   
   
と返したのであるが、しかし、「??」という表情をされてしまった・・・たぶん音楽には興味が無いのだろう。    
   
   
 昔々、この「いがらっぽい」という言葉を、どこかの地域の方言ではないかと言った知人がいたが、そうではあるまいと思う・・・上のように、この男性も使っているのだし。「えがらっぽい」、「えがらい感じ」ということであろうし・・・「音の変化」という現象を経てはいても。   
   
   
 「たくさん」という言葉と同じ意味で使われる副詞の「たんと」という言葉についても、「そんな言葉、知らねえ。どこかの方言?」と言った人がいたけど、そうかなあ・・・テレビドラマなどでも子供に向かって「たんと、お食べ」などの言い回しが使われていたことがあると、うっすらと記憶する(テレビドラマをろくに観ないので、記憶のほうもあいまいだが)。   
 それに、ダイハツの自動車で "TanTo" というのがあるではないか・・・あれはたぶん「車内スペースが広い、積載量が大きい、つまり、たんと収容が出来る」ということから名付けられたのではないか・・・と思っていたら、似たような意味を持つイタリア語に由来しているらしい。   
   
 日産の「ムラーノ」という車は開発チームの最高責任者が村野さんだからであり、また、 "Tiida" という車にあっては最高責任者である飯田 哲次郎さん、つまり "T. Iida" さんに由来しているのであろう・・・というのは筆者の作り話で、それぞれ、ほんとうの由来は違うものであるようだ。   
   
   
 過日、自民党の有力政治家のK氏が「ゲスのかんぐり」という言葉を発したとの報道を見て、大いに愉快に感じ、声を立てて笑ってしまった。自民党の他の政治家たちがこのような言葉を発してもあまり驚かないし、「あ、また失言しちゃって。自民党への批判が高まりかねないから注意して欲しいよなあ」と思ってしまうのであるが、あの真面目顔でスリムな、「高慢おやじ」臭さの無いK氏がこういう発言をするというのは、何か気持ちよくさえある。   
 「ゲスのかんぐり」という言葉を、一部分だけ英語に直して表記するとそこに言葉のシャレが生まれる・・・ "Gesu's guess" とか。    
   
   
 安倍内閣のこれまでの方向性に一定以上の評価をしているのであるが、推し進めていただきたい事柄はまだ幾つか残っている。加計学園問題が政権に小さからぬダメージを与えているが、今後というか、遠くない将来において安倍政権以外の政権になってしまうことがあればこれは大変なことになると思っているから、是非とも穏やかに問題が収束・終結していくことを願う。   
   
 しかし、自民党を支持する人の中にも「加計学園の問題で・・・これは困ったことだ」と言う人は多い。   
   
 上のような言葉に、筆者は「加計学園の問題・・・もう飽きちゃったし・・・もう追及するのをやめて、もっと大事な政治課題に焦点を当てなおして欲しい」と返し、そのうえで次のように言ったのであった:   
   
 「いま、夏でやたら暑いしなあ・・・“かけ”が食えんということであれば、“冷 かけ”とか、“盛り”とも“ざる”とも、好きに選んで食べればよいわけで」   
   
 意味を分かってくれるまでにしばし時間を要してしまった。   
   
   
 (下の写真は、過去のものの使いまわし)   
   


雑記

   
 「レコ芸」誌を買わなくなって久しいのであるが、時折は書店で手にとってパラパラと目を通すことがある(国内レコード会社の取り扱い商品こそが、月評でも主役、ランキングでも対象範囲・・・であるように感じられるところが物足りなく思えて以降、この雑誌を読む機会はぐっと減ってしまった・・・致し方ないことだけど)。   
 過日は創刊800号に達したとのことで、その付録として創刊号復刻版が添えられていた。その復刻されたものもちょっと眺めはしたのだが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタだったかのレコード評にてゼルキンの「疲れ」を心配している記述を、ちょっとお節介なように、でも妙に愉快に感じた・・・他はあまり記憶・印象に残っていない。   
   
   
 ところで、トスカニーニが生まれたのは慶応3年、1867年のことである。   
   
 それから30年後の明治30年、1897年にセルは生まれた。   
   
 彼らそれぞれの青春時代は明治、そして大正ということになるであろう・・・「それがどうした」と言われるかも知れないが、何かこう、「音楽経験そのもの」とはまた別に、彼らの気骨や芯、バックボーン的なもの、センスなどを想像するうえでの面白さがあるではないか。   
   
   
 今年の2017年はトスカニーニ生誕150年であり、セル生誕120年。   
   
 「レコ芸」8月号(7月20日発売予定)ではトスカニーニを特集するようだ。久しぶりに買って手もとに置いておくかな。   
   
 セルが生誕150年を迎えるとき、「レコ芸」はその特集を組んでくれるのだろうか・・・尤も、その頃に自分は生きていないかも知れぬけど。   
   

雑記



   
 ちょっと時間を見つけてはヴァイオリン協奏曲の幾つかを聴くことが続いたが、シベリウスについて、ヴァイオリン協奏曲以外もまた改めてじっくり聴きたくなった・・・この季節には不似合いそうにも思えながら、案外とそうでないかも知れない。   
   
 上のは渡邉暁雄指揮での交響曲第1、2、4、5、7番のもの。また、すぐ下の写真はバルビローリやベルグルンドの交響曲全集より。   
   
   
 セル指揮でも第2番、第4番のシンフォニーその他の録音が残っている(正規セッション・レコーディングやライヴ音源)・・・いちばん下には、過去の写真から再掲・・・右端のものにはシンフォニー第4番が収録されている。   
   



   
 ・・・・・・   
   
   

十日の菊、六日の あやめ・・・「七月の花嫁」じゃダメなのか?

   
 「株主総会を乗り切る」という言い方がある。業績悪化した企業、課題山積の企業、不祥事があった企業などが、株主からの質問に苦労しつつも何とか無事に株主総会を終えるような場合に似つかわしい表現と言えようか。   
 昔々は、べつに問題なく業績好調であっても、一部の特殊な株主は、株主総会を長時間なものにさせようと、あるいは質問への回答に難儀する場面を生じさせようと、作戦を仕掛けて来ることが珍しくなかった・・・会社側としてはそれに対処して総会をきちんと運営することをも「乗り切る」と表現していた(そういう厄介事をカネを使って楽に回避し、総会を穏やかに・短時間に済ませることを選ぶ企業も存在していたが)。   
   
 しかし・・・。決算日/期末日の前から決算作業の準備を始め、そして決算の数字を確定し、決算に関して多数の書類を作成し、それと同時にまた、決算とは無関係の日常定例の業務も当然ちゃんとこなし、そしてようやく株主総会の日を迎えてそれも無事に終えて・・・という多忙な時期が終わったとき、「株主総会を乗り切ったなあ」という感想を覚える・・・この場合、「株主総会“までを”乗り切ったなあ」という言い方のほうが正確かな。   
   
 昨年暮れにはA君は憂鬱というか、「参ったなあ」という様子をしていた・・・悲痛さ、諦め、消耗感すら漂うふうで。   
 年末年始の休みがあけるとまた元気な姿に戻ったが、しかし、しばらくすると再び憂鬱そうに・・・。この3・4・5・6月の間も、精神的にしんどそうな時が見受けられた。   
 原因は、部下が思うように成長してくれない・仕事に精力的に取り組んでくれない等にあるものと想像される。彼の心には不満・苛立ちその他が生まれているのだろう。   
   
 そういう問題はいつの時代も繰り返され、そして、人それぞれに対処策を見出していく・・・歴史は繰り返されるのである、きっといつまでも。   
 しかし、A君は自身が優秀であるがゆえに、筆者なんぞの想像が及ばないほどの苛立ち・歯がゆさ等々を感じているのかも知れない・・・で、多分、次のように卑怯な、しかし筆者にしてみれば賢明と感じられるような(笑)、こんな発想は彼の頭には無い: 「いつかは自分も退くし、であるならば優れた後輩を見出して、その者に成長・出世してもらって/その者の成長・出世を助けて、彼/彼女に会社を見事に導いてもらう/会社のあり方に目を光らせてもらうことが大事。そうすることが当方の退職金/退職年金を無事に受け取るうえでも安心で、結局はお得!」と・・・この場合の“優れた後輩”とは、その意味合いを説明するのがむずかしい・・・頭の、単純な「出来うんぬん」よりは、諸々の経営センス・嗅覚や、会社を誤った方向へ進ませまいとする信念などなどが大切か(間違っても分不相応かつ準備不足な挑戦に走るとか、粉飾決算したり、危険な投機的行動に走ったりとか、そういうことをせぬこと等・・・)。   
   
   
   
 3月決算、6月株主総会というパターンである場合・・・。若い頃、こちらのテンションが上がっていた4月には健康診断を受けるのすら「時間が惜しい、煩わしい」と、やたら感じた。当日は一番乗りくらいで受診しないと、採血・レントゲン・聴力検査などのどこかで順番待ちになって余計な時間がかかる・・・これが苛立って仕方なかったのだ。   
 「今年は受診しないでおくか」ともくろんでも、人事部はちゃんとチェックしているから「健診日程最終日に割り込んで必ず受診してください」と催促して来るし。   
   
   
 若い頃は、「イラッ、ムカッ」と来て、怒りを押しとどめるのに本当に苦労することが多かったな・・・。   
   
 あの当時、全般的にオフコンもPCも性能は低かったし、また、苦労したことの一例をあげれば、連結決算作業などは今日ほどシステマティックに、スムースに、スピーディに出来なかったし・・・ま、ほかにも色々あって決算作業シーズンの4月から6月末まではそれこそ「時間のやりくりは綱渡り状態、ひとつ間違うと大変なことになる」という状況であった。   
   
 多くのメンバーが長時間残業や休日出勤をこなす中にあって、「残業は夜8時か9時までしか出来ません(=するつもりありません)、それは毎日同じことです」と言い張って帰宅してしまう者もいたし。   
   
 そしてまた、「ジューン・ブライド」にこだわって結婚するカップルもいた。こちらの部門に属する新婦の側はべつにこだわっていなかったし、かなり気兼ねをしていたが、別の職場の、夫になる側の男がこだわったのである。結婚式そのものはともかくとして、問題は「その事前打合せ等のためにも何日か休むこと」と、そして新婚旅行である・・・会社が付与する慶弔休暇にさらにプラス・連続して有給休暇を使って休まれると大変な事態に陥るのだ。それによって業務のシワ寄せをもろに受けることになったこちらは「ブチ切れ」寸前の精神状態であった・・・あの当時、「ブチ切れ」という言い回しは無かったが。   
 心の中で叫んだのは: 「そんな迷信にとらわれるなよなー。新婦がこだわってないんだからさあ、7月以降にすればいいじゃないか、それで何か問題あるのか? 誰しも幸せを追う権利はあるが、他人に迷惑を及ぼしてまで幸福追求するのは、ろくな人間ではないぞ。今は浮ついた気分でいるだろうけど、どうせ1年もすれば愛情も多少は冷めるってものだろ。こだわるなよ」・・・べつに呪ったり不幸を願ったりしたわけではないし、この怒りはまったくもって正当であったと今も考えている。厳しい仕事量・日程の中で、「作業に遅れが出てるなあ、これはダメかなあ」と目の前が暗くなりそうになったこともあったかと記憶する。   
   
   
   
   
   
 ところで・・・。どのシーズンであれ、誰でも、遅い時間まで残業になってしまうことがあろうと思う。で、そういうことが影響してであろうか、胃痛の症状を訴えるケースも見られる。   
 精神的ストレス等が理由のケースもあろうけど、空腹のままで夜遅くまで仕事している場合、むしろそれこそが原因ではないのかと筆者は疑う。   
 夜の8時か9時くらいまでには、おなかに何か固形物を入れるのが適当ではないかと思うのだ(筆者は若い頃からそう心がけて来たし、そのおかげか、胃痛や胃炎、胃潰瘍っぽいものに悩まされた経験は無い)。コンビニで何かを仕入れて来るのでも、または、飲食店で食事をして来るのでもよいのに。「残業時間の申告にあたっては、外出・食事摂取に要した時間を控除せよ」などと命じたりしていないのだし。一定時間以上の残業の場合に残業手当のほかに付く残業食手当に関して労働組合は「飲食店ではこの額で食べられるメニューはあまり無い。あと幾ら幾らくらい金額アップせよ」などと主張することもあるようだが、もともと食事は自分自身の出費・負担で摂るものであるし、家庭で摂る場合との差額をありがたく補助してくれているものと考えればそれでよい話ではないか。多忙であるにもかかわらず「食事は家に辿り着いてから」ということにこだわるから胃痛などの症状も出てしまうのではないか。   
   

雑記

   
 前回のブログ記事で紹介しきれなかったものとして講談社現代新書の「未来の年表」という新刊本がある。少子高齢化・人口減少の問題を抱えた日本について、その未来像を時系列的に見ていくことをテーマとしつつ、問題解決のためのヒントを示した本。   
   
 個人的な感想としては、少し漠然としながらもずっと懸念・不安を覚えて来たことが記述されている部分が多く、「新鮮味」・「新鮮な衝撃」を感じることはあまり無かったのである。ただ、163ページあたり以降に「気づかされる部分」が見受けられるかな・・・それらについては、読者それぞれに「自分は、これとは違った提言をしたい」との感想も生まれようが、それはそれでよいではないか、世の中の/将来の可能性・選択肢についての議論は活発になるほどよろしかろう。   
   
 興味を覚えたもののひとつとしては、社会保障制度に関して各人が公費から享受したものを死後に返還させるというアイデアである。もしかすると筆者の余計な補足・誤解が混じってしまうかも知れないが、要するに、医療でも介護でも、受けたサービス中、公費負担であったと見なされる金額については、本人の死後、(その遺産総額を限度としてという条件を付けつつ、かな)、遺産から国庫へ返納してもらうというシステムと解する。   
 著者は上のようなシステムを「相続税の発想を根本から改めて」と言いながら紹介している・・・で、それは何を意味しているのか・実際のシステム運用がどのようにされるべきか、読者としては考えを整理しにくいかなあ。上のような返納は全国民(すべての故人)について行われるのが適当と筆者は思うが、相続人らによって返納手続がきちんと正しく行われるためには、「全額を返納しきることが出来ない被相続人(故人)」に関しては「遺産全体はこれこれであり、したがって、それが返納可能な金額である」との明細・計算書の届出・申告がされねばならないし、また、関係する役所はそれについての調査権限を有する必要があろう。   
 また、返納額を差し引いたのちの残額が一定以上の場合には別途に(既存の税であるところの)相続税の申告・納付が必要ということになろうかと思うが、しかし、著者としては相続税の制度全体までも変えてしまうことを提言したいのであろうか。   
   
 国民の理解が得にくいものであるとは思わない。マイナンバー制度がしっかり機能していけば、また、税務当局との連携が或る程度まで可能になり(故人の従前の確定申告データ等や、市区町村役場の住民税関係データに関して)、そして国民の良識的な協力を得られるならば、それなりには功を奏して日本の財政状況に対して相当程度のプラス効果をもたらすのではないか。   
   
   
 ・・・・・・・・・・・・   
   
   
   
 ところで、話は脱線するが・・・筆者個人的には次のようなことも考えてしまう。   
   
 1. 「今ある、言わば標準とも言うべき健康保険料と自己負担割合の制度」とは別に、各人が選択可能な「割安な健康保険料であるが、しかし、自己負担割合が5割とか6割とかになり、高額療養費をカバーしてくれるラインも少し上がってしまう制度」を設けるのはどうか(どちらの制度を選ぶかは、毎年一定時期に各人が選べることとする)。これは、「医者にかかることが滅多に無いのに、健康保険料を払っても払っても、ちっとも自分のためになっていない」と不満を覚えている人のためである・・・健保組合から「この1年間、あなたとご家族はお医者さんにかかりませんでした、ここに感謝状を差し上げます」とか言われたってさあ、筆者としては「こんな賞状、要らねえよ」と思ってしまうのだ・・・宛名はプリンター印字でなく上手な手書きであるからして、筆耕を外注しているのであればそのコストもかかっているであろうし、賞状を収める筒まで寄越すし・・・健保組合は「乾いたぞうきんをさらに絞る」というコストカット意識をあまり持っていないのかな。他方、一緒に頂戴する記念品は、昔は豪華だったのに、そのうちに「100円ショップ商品の詰め合わせかいな?」とツッコミをいれたくなるようなシロモノになり・・・うむ、なるほど、ちゃんとコストカット意識はあるのか(笑)。あ、いや、健康で過ごせていることに感謝しなければならないのであるが、でも、正直、「健康保険料、とられ損」という感覚を追いやることが出来ない。   
   
 2. いくら時代遅れと言われようとも「親の介護は家族で」との考え方を捨てられない人たちは少なからずいる。ホームヘルパー、デイサービスを多少は利用しながらも、ケアマネジャーさんらの提案を100パーセント受け入れる気にもなれず、あるいは、ベッドや車いすを介護保険制度上のレンタルでなく購入の形で利用する人もいる。結局、要介護者が負担する・負担して来た介護保険料に見合ったサービスを受けないケースがあろう。ここに矛盾というか、少なくとも「気持ちの上で生じる矛盾感」というものが存在する。これを解消してくれるような制度があって然るべきであろう・・・が、しかし、「親・舅・姑の介護は息子・娘・嫁がやらずに他の、赤の他人のプロフェッショナルに任せよ。介護・育児を理由として家庭にしばられることに妥協し、外の社会で活躍しようとしない女性は悪女である」と主張する勢力も世にはあるしなあ。   
   
   
 様々な提言がされようと、制度設計を変えるには試算の作業も必要であり、国会の審議なども必要であり・・・きっと何も変わっていかないだろうなあ。   
   

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