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2018-11

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雑記


   
 しばらく前、新聞連載の或るエッセイを読んでいて「おお、やっぱり!」と思わされたことがある・・・幼い子供(1歳とか2歳とか、場合によっては4歳・5歳とかでも)には、自分自身がまだ母親の胎内にいた頃の記憶が残っているケースがあるのだなということ。    
 だから、いま、少しは会話・コミュニケーションが出来るくらいの幼児を育てている人はその子に「お母さんの体の中にいたときのことを覚えているか?」と尋ねてみるのは面白いかも知れない。また、もうすぐ子供がそうなるくらいの人、これから出産する人は、いずれは上のように尋ねてみるのも・・・。   
 但し、もしもひょっとしてその子自身にとっては不愉快だったり怖かったりした記憶であった場合、上のように尋ねることによってそれをあらためて思い出す・その記憶がしっかりと定着することが子供の心に悪影響を与えたりせぬかと、ちょっとだけ気にはなる・・・筆者は心理学者ではないからその種のことを懸念すべきか否か何とも言えないけど。   
   
 大人でも、ごくごくごくごく稀には「母親の胎内にいた頃の記憶を持ち続けている人」がいたりするようなのだが。   
   
 筆者の場合、そのような記憶はまるっきり残っていないなあ。   
 自分がこの世に生まれて以降での、もっとも古い記憶は何であろうか。自分がベビーカー(昔は「乳母車(うばぐるま)」と呼ばれていたが)に乗せられて、近所の道路や公園内を進んでいたときのことは覚えている。そのときの自分が具体的に何歳だったのかは分からない。そして、母親と同年代くらいのおばさんがこちらの顔を覗き込んで何か微笑んでくれたことも覚えている。で、そのとき自分は「このおばさん、何が面白くてそんなふうににこやかな顔をしているんだろう?」と疑問を覚えた・・・「そんな疑問を抱くなんて、一種、かわいくないガキだったんだな」などと思わないでくれ(笑)・・・だって「幼い子に向き合ったならば微笑むものだ」という暗黙のルールというか習慣を、当の「幼い子」である自分の側は承知していないのだから上のような疑問を抱くことは当たり前のことではないのか・・・、むしろ、幼い子でも上のような思考というか頭脳活動をするのだという点に意味があろうというものだ・・・このおばさんの顔の記憶はずっと残り続け、随分あとになってこのおばさんの顔を再び目にしたときに「あのときの人だ」と分かったし(筆者が小学校1年の頃)、また、このおばさんはすぐ近所に暮らしていて筆者より1歳上の子がいることを知った。   
   
 やはりベビーカーに乗せられていたとき、黒人女性にもこちらの顔を覗き込まれたことがある。彼女もにこやかな顔を浮かべてくれた。この経験については、小学校3年くらいの頃に母親に「こんなことがあったよね」と尋ねたことがある・・・母は一度は「そんなこと、無かったよ」と答えたが、翌日くらいになって、「昔、近所に短期間だけ、アメリカからやって来た黒人が暮らしていたことがあり、ときどき町中で顔を合わせる・ごく簡単な言葉を交わすことがあった(日本語で)」と教えてくれた。うむ、つまり、筆者が人生で最初に接した外国人はこの黒人女性だったということになるかな。   
   
 「抱っこ紐」的なものを使いつつ母親の背中に乗せられ、雨の降る日に出かけたときのことも記憶に残る。母は近所の精肉店へと出向き、その店の前方にある黄色っぽい「ひさし/フード」の下に入ると傘を閉じた。今日のようなスーパーマーケットとは違うから、客は自分が買いたいものを口頭で店主に伝えるわけだが、このとき筆者はこの店が食材・食べ物を扱う店なのだと知った・・・「ブタニク(豚肉)」という音のものが食材であることは理解していたからである。しかし、その量についての「○○グラム」という言葉の意味が分からなかった。ショーケースの中には普通の肉のほかにスライスされる前のハムや鶏モツ(「キンカン」と呼ばれたりするものも交じっているタイプの鶏モツ)も並んでいたが、それらが何であるのか自分には分からず、しかし凝視した・・・そして鶏モツについては「気味が悪く怖い」と感じた(いまの自分は鶏モツを気味悪がらないし、それを調理したものは好物と言えるけど)。   
   

雑記



   
 ある日の事でございます・・・というのは或る有名な小説の冒頭の言葉だが。   
 3月頃だったと思うけど、或る日のこと、昼食のため、筆者としては珍しくラーメン店に寄ることがあった。   
   
 そのラーメン店のメニューに目をやっていて「ほほー」と思ったのは、150円だかでチーズの追加トッピングが出来るというもの。   
   
 それにしても、どうしてこうもチーズがブームなのだろうか。   
 ラーメン、カレーライス、ハンバーグ、ギョーザ、揚げ物などなどを週に何度も食べる人で、顔面が油でテカテカ、ペンの貸し借りなどしたときにもその人の手のひらが油っぽいのだということに気づかされるケースってあるけど、ラーメンにさらにチーズまでトッピングしたりするといよいよ油の過剰な摂取になってしまうのでは?   
   
   
   
 高齢の親の介護・食事の世話に関わっている人ならば気に掛けることもあるテーマのひとつが、「鉄分、カルシウムなどのミネラルをどう十分に摂ってもらうか」ということであろう・・・高齢女性に関しては「骨粗しょう症」の問題も気になる。   
 たとえ高齢者であっても若年層と同様に、おそらく、鉄分についてはヘム鉄ということを意識して摂取させることでよいのだろうし、また、骨の関係ではカルシウム、マグネシウム、ビタミンD/鮭/日光浴、ビタミンKなどを意識しながら食生活その他に目配りすればよろしいのかなと好き勝手に、アバウトに解釈している。   
 鉄分摂取の話題となるとヒジキを取り上げる人が少なくないが、上のような観点からすればヒジキを特に有難がる必要は無いものと感じる。これを好きでない人に無理に食べさせなくてもよろしかろうし、また、ヒジキ入りのおかずを毎日のように食卓にのせる・弁当に入れるなどの努力もあまり意味が無いのではないかと思っている(ヒジキの他の栄養素に着目するということであれば話は別だが)。なお、筆者などはヒジキは30年くらい食べていない・・・食べなくなった理由はヘム鉄うんぬんにあるのでなく、単に美味しいとは思えないからなのだけど・・・あれは調味料で味付けするから食べることが出来るに過ぎないと個人的には感じているし、また、既製品の弁当や惣菜に使われているものは中国の海で中国人が採取して加工処理して出荷しているものも多そうだから食べないことに決めている。   
 カルシウムを摂取させるためには、魚(ししゃも、小ぶりのハタハタのように骨ごと食べてしまえるものも含めて)、小魚、豆類とその加工品などよろしいのかなと思いつつ、「おやつ」のときなどに牛乳も摂ってもらおうと期すると「牛乳は好きではない、昔から嫌いだった」と言われることがあって、筆者としてはショックであった・・・なぜならば、筆者は学校給食で牛乳を毎日のように飲まされたけど(苦手ではないものの、でも美味しいとは感じなかったがゆえに「飲んだ」というよりも「飲まされた」的な感覚であった)、そのうえさらに家庭でも親たちから「牛乳を飲め」と言われてその言葉に従うことがよくあったのだ・・・それなのに、年を経て、親の口から上のような言葉が発せられようとは!   
   
 それでも医師に食生活のことを相談すると「乳製品はいいんですよ」との答え。   
 少し作戦を変えてチーズ、ヨーグルトを親に勧めると、いずれも気に入って食するのであった。   
   
 めでたし! ・・・なのか?   
   
 しかし、筆者は、どうしても乳脂肪というものが気になる。人間にとって脂肪も大切な栄養であるとはいえ・・・。   
 以前、このブログでは、次のような架空の物語シーンを書いたことがある:   
   
   
   
   
   
 昭一は朝食のテーブルについた。そのとき「おやっ?」と思った。   
   
 いつもは置かれている筈の、牛乳の注がれたグラスが今朝は見当たらない。妻の淑子が忙しくて忘れたのだなと思い、「では自分で」と思って冷蔵庫のドアを開けた。   
   
 「あら、気が付いた? ミルク、切らしちゃったのよ」   
   
 昭一は「そうか」と返事をし、そして冷蔵庫を閉じた。   
   
 朝食を終えようとする頃に、妻は昭一にフライパンを見せた。油のようなものがたっぷりとのっている。   
   
 「いま、バターを温めて溶かしたの。これ、あなたがカクテルをつくるときに使うシェーカーで水と一緒に攪拌するわ。そうすれば牛乳とそんなに違いはないと思うの。飲んでいってね」   
   
   
   
   
   
 ま、バターはともかく・・・でも、チーズも、牛乳も、ほんとうに体に「よろしいもの」なのだろうか。   
   
 すこし前に出版された幻冬舎新書「老いない体をつくる中国医学入門」(整理番号「さー21・1」、著者は阪口珠未さん)は面白い本なのだが、その27ページには或る中国人医師の言葉として「牛乳は中国人が昔から飲んでいたものではない。カルシウムのために飲むという人が多いが、実は、動物性脂肪を摂取しているに過ぎない」というものを紹介している・・・ちょっと極端な言いきりとは思うけど。そのうえで、砂糖、乳製品、果物の摂取を減らすべきとのアドヴァイスも紹介している。ほか、アトピー・生活習慣病と牛乳との関連で28ページ終わりから29ページはじめの個所の記述も興味をひく。   
   
 筆者としては「人間、各自が、自分の体質に合う食べ物を選んで摂取すればよろしい・・・自分に合うというのはつまり、医師の世話になったりクスリを飲んだりすることなく過ごせて、健康診断数値などからも大きな問題が見受けられず、体調も機嫌もよろしく活力みなぎって日々を送れることにつながるような、そんな食生活だ」という考えを持っているのだが、しかし、乳製品に対してはずっと疑念を持ち続けていたので、その意味でも上の本は興味を覚えた。   
 なお、この本では72歳・67歳の医師についてその元気さ等に感心する言葉が発せられているが、えっと、普通の日本人でもそのくらいの年齢だと同じ程度に元気な人は珍しくないのでは? あと、この本では例えばクコの実などを勧めていたりするが、摂取量に気をつけるべき点はないのか、医薬品を服用している人が食べても大丈夫なのか等は、各人が色々と調べたり医師に相談するなりしたほうがよろしいのではないかと筆者は感じる。   
   
 で、食生活と健康の問題が気になる人に有益かも知れない情報:   
   
  https://www.lifehacker.jp/2018/11/179187100age.html   
   
   
 (↑)記事タイトルに惑わされてはいけない、本文の話題の範囲はもっと広い。   
 文中には「無脂肪乳」という言葉も出て来る・・・うーむ、やはり乳製品は気になるテーマだ。   
   
 場合によっては学校給食での牛乳利用頻度を少なくする・量が少なめの牛乳瓶・牛乳製品の企画を求める・牛乳の種類を改めさせる等の施策を考えたり、ほか、一般的に、乳製品の生産・出荷・販売に関連して「乳製品特別税」のような新税を課してその税収を医療費・社会保障費関連の予算に繰り入れることも検討されてよいか?   
   

雑記


   
 HMVのサイトで、ピアニストのロベール・カザドゥジュ(カザドシュ、カサドシュ)の演奏を収めたボックス商品が紹介されているのだが・・・この人の経歴などについて詳しく書かれているのでここにURLを紹介しておこう:   
   
   
  https://www.hmv.co.jp/product/detail/9347129   
   
   
 上ではまた、当時のヨーロッパの指揮者たちがどのように戦争参加・兵役を果たしたか、或るいは兵役免除を受けたかについても触れられており、その辺りに関心ある人にも見ていただきたく思う。   
   

雑記



   
 雑誌「サライ」の12月号が発売になっていた。   
   
 魚の話題、伊能忠敬と隠居に関する話など、面白そうなので購入。付録はカレンダー・・・もう少し大判だと嬉しいのだけど、でも、ま、ちょっとよろしい感じのカレンダーである。   
   
 31ページではタコの選び方について、ごく簡単なアドヴァイスが書かれているが、写真紹介されているタコの足はメスのものであろう・・・吸盤がきれいに揃っている・・・(産卵期とその後には例外もあるらしいが)メスのもののほうが身が柔らかくて美味しいと評されることが多い。   
   
 魚を使った料理が色々と紹介されているので(アクアパッツァなども)、多くの人に楽しめるのではないか。   
   
   
 それにしても、今どき次々と目にする料理や食材の名前を、人は皆「それがどんなものであるか」と、すぐに思い浮かべることが出来るのだろうか?   
 次のようなもの、筆者はそれらが何であるか説明できるようにはなったけど、そうなるまでに小さくはない努力も一応した・・・好きでない食べ物も多いが。   
   
  バーニャ・カウダ、アクアパッツァ、ジェノヴェーゼ、ペパロニ、パンチェッタ、パルミジャーノ・レッジャーノ。   
   
 いちばん最後の「パルミジャーノ・レッジャーノ」というチーズの名を口ごもることもなくサラッと言ったときに人から感心されたが、この語を記憶するに際してはフランス語の "parmi" (英語の "among" に相当)と英語の "ledger" (「帳簿」の類の意味)とを組み合わせて、「何冊もの帳簿が置かれている棚から1冊の帳簿を選んで抜き取る光景」を思い描きつつ、この名前を覚えることにしたのであった・・・無茶苦茶な記憶法であるなあ。しかし、基本的にチーズは好きでないので、こうして記憶にとどめても殆ど意味が無いのだよな。   
   
 音楽家・アーティストなどの名前はわりと簡単に覚えられるのに、俳優の名前、食べ物の名前などなどは容易に覚えられない。   

「襲来」とな!



   
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 上のはJR東日本の新聞広告・・・右上方の文字が見えにくいので、その個所は拡大して下段に紹介した・・・「降伏したまえ」でなく「幸福したまえ」。   
 もし仮に筆者が広告制作者であったならば、「幸福したまえ」にしようか、それとも「口福したまえ」にしようかと迷うところではあるけど、しかし、「眼福」とは違って「口福」という語は一般的にはあまり使われていないビミョーなものかとも思え、したがってやはりこのJRの広告が正解というものだろう。   
   
 ところで、東日本旅客鉄道株式会社・・・気づいていない人も多いようだが、この会社名、ロゴでの表記は「鉄」という字を使っていない。この漢字を左右に分解すると「金」と「失う」との組み合わせになっており、縁起かつぎの観点からちょっとアレだからということらしく・・・で、ロゴでは漢字の右側を「矢」としている。他のJR各社も同様・・・JR四国だったかは「鉄」のままとしているとも聞いたけど、ま、正確なことを確認したい方は自身で調べていただきたい。   
   

雑記


   
 トランプ大統領は、米国への移住を目指して南方からやって来る集団/キャラバンの入国阻止のため兵士派遣を決断した。   
   
 大統領のこうした対応について顔をしかめ、そして批判する日本人は少なくない。そのように反応することが「常識人なのだ」と言わんばかりの人もいる。さらにまた、彼らのうちの一部は、みずからについて「世界市民の一人でありたいと考えている」、「博愛主義の心を持ちたい」との理想を抱き、そしてまた「人類みな兄弟じゃないか」のような意見も持っていそうだ。   
   
 しかし、米国大統領を批判する以前に、我々が先ず想像・空想・懸念すべきことは・・・日本が米国と似たような状況・危機を迎えた場合のことであろう・・・つまり、日本側の、(労働力などとして受け入れるなどの)都合・準備態勢とは無関係に、日本への移住・上陸を目的として多くの外国人・異民族が好き勝手に・思い思いに日本へと押し寄せる事態である。   
 日本の人口が減っていく今後、人が暮らしていない土地・海岸地域が増えるし、また、自衛隊・海上保安庁・警察などの力が手薄になりはせぬかという問題もあるけれども、それらの問題をおいておくとしても、基本的態度として「日本は、好き勝手に上陸しようとする外国人・異民族を阻止すべきかどうか」・・・阻止すべきと考えるのが常識的というものだろう。   
   
 米国大統領への批判は、それが米国ならではの社会・国の成り立ち・あり方等と照らし合わせて「おかしい・よろしくない」というものであるならばともかく、ただ単に「米国移住を願う人を拒絶するのは可愛そう・人倫にもとる」と批判するのはどうかなと筆者は思う。   
   
 で、日本と日本社会は、米国とは大きく異なる。あちらの国は、言うなれば社会全体がヨーロッパその他からの流れ者・移住者の集まりであり、人種のるつぼでもある。日本よりも歴史がずっと短いのに、今日までにああまで多民族が集まり、そして異民族どうしの婚姻も盛んな国・・・。日本は、そういう国とは異なる存在なのだ。   
   
   
 なお、「米国は、昔と違って今では人種差別は無いんだ」との意見は間違っているだろう。「ヒスパニックへの差別はあっても黒人への差別は無くなった」というのも間違っているだろう・・・警察官が黒人を逮捕するに際しての暴力をめぐる事件だってやまぬではないか。「まともな白人は、黒人への差別意識など持っていない」との意見についても、筆者はそれを100パーセントは信じていないし、日本人ほかアジア系の人間に対する差別意識が無いかどうかだって怪しいものがあるとすら疑っている(日本の経済力・技術力のおかげで日本人を見る目が変わったのだろうとは思うが)。   
 そんな米国社会であるのにそれを誤解・過大評価して「日本も米国のように、多様な人種が自由に生きられる社会にならないといけない」と考えることは勇み足ではないのか。事は上手に進めないと禍根を残し、悔やんでも悔やみきれないことになりはせぬか。   
   
   
 「純粋日本人と言ったってさ、古い古い時代まで遡れば人種間の混じりがあるんだぜ」、「アフリカ黒人を除くと、それ以外の人類は交雑して誕生したんだぜ」との主張もあろうけど、しかし、日本が長い期間にわたって一種の閉鎖的な人種維持を遂げて来たことは間違いなかろうし、それを無意識に誇りとしている日本人は多いものと考える。その点を、やはり大切にすべきと考える・・・だから、外国人の受け入れに積極的になろうとしている今の日本、日本政府の動きには色々な懸念を覚えてしまう。   
   
   
 次のような、あくまで架空設定による「父と息子の会話」、「父と娘の会話」を、どう感じるか?   
   
 息子:「紹介したい女性がいるんだ・・・結婚しようと思っている。日本人女性ではないんだけど。え? 欧米人ではないよ・・・○○人だ」   
   
 父親:「許さん、考えなおせ。肌も浅黒かったりするんじゃないのか? どんな子どもが生まれることやら。なぜ普通に日本人女性の相手を探さぬのか?」   
   
   
   
 息子:「紹介したい女性がいるんだ・・・結婚しようと思っている。日本人女性ではなく○○人なんだ。賛成してもらえるかな?」   
   
 父親:「うーむ。外国人は家柄の確認が難しそうだからな・・・で、あの国はちゃんと戸籍制度があるのか? 被差別民だったりすることはないよな? お前、そんな基本的なことすら調べていないのか? 結婚というものは、当事者だけで愛情だ何だということに浮き足立って決めるものではないんだぞ、ひとつ間違えばこちらの戸籍も汚れる、家柄にもキズがつく。それから、あの国は失業率が高いじゃないか・・・相手方の親族の経済状況や仕事の安定性はどうなっているんだ? ちゃんと調べないとお前がタカられたり親族呼び寄せを求められたりするぞ。要するに、結婚というものは、二人の意思だけで決めてはいかんということだ。何? 日本国憲法の結婚に関する規定? そんなものはどうでもいい、あれは目安であり参考資料のようなものだ、“この地球上には、どっこい、こんなアヴァンギャルドな考え方もあったりするんだよ”というヒント集のようなものだ、日本国民ならあれにマトモに向き合ってはいかん。お前が好き勝手に結婚相手を選んだとして、では、お前に続く弟や妹はどうなる? お前が外国人と結婚したということは隠し通せるものではない。な、お前のかわいい妹も、いま、実は○○家との縁談が進んでいる・・・あのうちだって“わたしたちも外国人の嫁に介護されたくなんかありません、お宅からお嫁さんを”と言って来ている。いいか、やたらな外国人と結婚してこの家から連なる、お前の戸籍も汚すな、お前の子供たちも差別を受けかねない、そこをよく考えろ」   
   
   
   
 娘:「紹介したい男性がいるの・・・結婚しようと思っています。日本人男性ではないんだけど。え? 欧米人でなく○○人なんだけど・・・わたしのことを大事にしてくれて、すごく優しい人なの」   
   
 父親:「許さん、考えなおせ。優しいと言ったって、それは騙されているぞ。あの国の男は結婚すると妻に暴力をふるうDV夫になるぞ。お前が泣くことになるのは目に見えている。それに、うちの家からあの国の者のもとへ嫁を出すなど、そんな恥ずかしいことが出来るか。普通に日本人男性の相手を見つけなさい」   
   
   
 ・・・上のそれぞれのやりとりには、人種差別・偏見に由来する発言が含まれているるけれども、しかし、このようなやりとりを、世のお父さん達は絶対にしないと言い切れるであろうか? 十分にありうることでは?・・・それはつまり、「人類みな兄弟」みたいな「きれいごと」で人は、少なくとも、多くの日本人は生きていないということであり、これは日本人に引き継がれ備わっている閉鎖的な特質であり、それはまた誇り・自尊なのではないか。これを美質と呼べば反論されようが、それでもなお、そういう感覚を、はて、我々は捨てなくてはいけないのだろうか・・・大いに疑問だ。   
   
   
 入って来る外国人が、独身者(離婚状態にある場合を含む)であった場合に、日本人と恋に落ちて結婚し子供を生み育てる可能性はどの程度か。既婚者であった場合に、配偶者を伴って入国していようとそうでなかろうと、離婚して日本人と結婚しなおす可能性はどの程度か。一夫多妻制の社会の出身男性が日本人妻を得ようとする可能性はどの程度か。婚姻関係になることを避けつつ日本人女性に子供を産ませてしまう可能性(そして「ヤリ逃げ失踪」みたいなことをする可能性)はどの程度か。   
 「外国人は日本人と恋愛関係になってはいけない」とか「日本人を配偶者とする国際結婚パターンの婚姻届受理については年間の件数に上限を設けよ」などの主張は批判されてしまうだろうけど、純粋日本人の数が減り、他方で、外国人と日本人との血・遺伝子が混じる人間の数はさらに増加していく事態を日本国民すべては平静さを持って受け入れられるだろうか。人によっては、息子・娘が外国人と結婚し、そこから生まれた子もまた外国人(日本人の血は流れていない純粋外国人)と結婚し、ひ孫は言うなれば「4分の3の血が外国人、4分の1だけが日本人」ということになる・・・このとき「ひ孫の顔を見ても、そこには日本人の面影がほとんど感じられないね」的な思いを抱くであろうが、それはどのような感慨に結びつくであろうか(人生100年時代になると、ひ孫の顔を見る・その成長に接する機会も珍しくなくなるであろうし)。   
 ひとつひとつの、個別の国際結婚パターンにケチをつけるつもりは無いのだ。しかし、国際結婚パターンが大きなトレンドになっていくこと、その後における「日本に暮らす人々」の人種的な変容について、どうにも表現しにくい漠然とした不安を禁じえない。   
   
 国際結婚パターンが多くなり、そこから誕生する子供も多くなるとする・・・その子たちは自分の血・遺伝子として外国人のものを引き継いでおり、かつまた、家庭内にて外国語や外国文化に触れている機会も多かろう・・・すると彼らは、日本に暮らす外国人や、日本に移住しようと考える外国人に対する共感度も高くなるのではないか。   
 で、その後どうなるか・・・日本に暮らしていながら長期の滞在が認められていない外国人、永住権を得たくてもそれが難しい外国人、選挙権・被選挙権・年金・医療・介護・失業給付・生活保護などの点で「権利・保護・恩恵・うまみ」を手にしきれていない外国人、不法滞在状態にある外国人、日本を目指す外国人らに共感し、彼らの側に立った主張をし始める者が多く出て来るのではないか。もともと外国人の中には気に食わないこと・アピールしたいことがあれば政府や大使館その他に詰めかけて騒ぐ・デモ行進をする等の行動に出やすい者たちが多いと思われるのだが、ただでさえそういう性質を備えた外国人に加えて、さらにその味方をしようとする日本人(外国人と日本人との間に生まれた子ら)が支援役を担う・加勢するようになると、社会はうるさくなり、流れる血を異にする日本人どうしの間で対立・争いが生まれ、そしてまた政治も混乱することになるのではないか。何とも、色々な面で落ち着かないことになりそうだなあ。   
   
   
   
 なお、上に書いたようなことは、たとえ議論をしても平行線を辿ることが予想されるため、コメント欄などを利用して意見を寄せることはご遠慮ください、お互いに心地よくない思いをすることにもなりえます。賛成意見の方もまた、意見を寄せることを控えてくださるようお願い致します。   
   

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