2017-03

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これもまた、セルのモーツァルト



   
 セルは、モーツァルトのフルート協奏曲第2番ニ長調(K.314)をチェロ協奏曲に編曲している。   
 ただ、しかし、その第2楽章についてはディヴェルティメントK.131を引っ張って来る(活用/採用する)こととした。   
   
 ・・・というように理解している。   
   
   
 写真の左側手前のCDは以前にも紹介したことがあり、チョウ・チン(チェロ)ほかの演奏によるもの。ここで演奏されているカデンツァもまたセルの手によるもののようだ。   
   
 同じく左側の、その上に写し入れたものはソル・ガベッタ(チェロ)ほかの演奏によるもの・・・ここでは、第2楽章も、そしてカデンツァも、 Sergio Ciomei 氏が用意したものが使われているという・・・第2楽章についてはモーツァルトのオーボエ協奏曲に基づいているとのことである。   
   
   
 というわけで、セル・ファンとしてはどちらかといえばチョウ・チン盤をひいきしたくもなるわけだが、ともかく、ひとりの鑑賞者として「演奏を聴いて、その演奏をどれくらい楽しめるか/それで豊かな気持ちに浸れるか」という点で評価しても、やはりチョウ・チン盤に軍配が上がるように思える。   
   
   
 さて・・・。   
 ガベッタ盤(輸入盤、 88697547812)のライナーノート(封入冊子)でモーツァルトの協奏曲についての注記のうち "1. Satz & Kadenzen" とあるのは、正しくは "2. Satz & kadentzen" であろう・・・併記の英語・フランス語からしても、また、解説文からもそのように考えられる。ハイドンの協奏曲についての注記にも同様の、校正ミスかと思われるところがある。     
 ほか、このライナーノートには妙なところがある。ドイツ人と思われる人物が書いたドイツ語の解説文において、モーツァルトのこの「チェロ協奏曲」の第2楽章についてセルやアルフレート・アインシュタインがディヴェルティメントを活用(採用)するに至ったと説明しているにもかかわらず、その英語訳およびフランス語訳にあっては、ディヴェルティメントについて何も言及していないばかりか、「K.470のヴァイオリン協奏曲のアンダンテ」を活用することとした旨が書かれているのである。ガベッタ盤の第2楽章の演奏内容は先ほど述べたとおりであるからして、この盤に限ってこの説明個所は鑑賞者としては「どうでもよい」と感じる向きも少なくなさそうではある・・・だけれども、上の英語訳やフランス語訳を読んだだけの人にとって、「それならば、チョウ・チン盤の第2楽章で演奏されているあのディヴェルティメントは何なのよ? それはセルらのアイデアと無関係なわけ?」という疑問も湧かぬではない? ちょっと気持ち悪い・収まりの悪い思いをさせられるか。   
   


雑記



   
 アサリの酒蒸し。   
   

セル関係の新譜

   
 パイネマン/セル/ケルン放送響の演奏によるベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲を含むCD2枚組商品が登場する:   
   
   
  http://www.hmv.co.jp/news/article/1703150021/   
   
   

 なお、パイネマンとセルとの関係について、Michael Charry 氏によるセルの伝記本では、たとえば210ページあたりにも興味深いことが書かれている(セルは、パイネマンのために楽器を買ってくれる人物を見つけ、また楽器選びにも関わったこと等・・・そして彼女は1964年12月、 "Guarnieri" を手にすることとなったのである・・・この綴りは本に印刷されたとおりのまま・・・はて、 "Guarneri" (ガルネリ)のことなのかどうか)。    
   

雑記



   
 「ワインの味のことは、自分はあまり分からないなあ、やっぱり」と言うと、「正直にそう言い切る勇気がよくありますね」などと応じられることがある。   
   
 ま、大抵のワインについて「うむ、これはこれで美味しい」と感じるが、その風味の内容・要素を細かく追ってみよう(頭の中で味の成分をひとつひとつ追ってみよう)という気にはあまりならない。そういうことは、ウィスキーの場合にはするし、そしてそれは好きなことなのであるが。   
   
 「ワインに詳しい人・うるさい人からはバカにされようけど、赤ワインよりも ロゼ や 白のほうが好みである。特にロゼが」と言うこともある。が、これに対して「そうそう、自分も同じ」と言ってくれる人はいない。周囲の人たちはどうやら赤ワインが好みのようで、すると筆者の好みの傾向は他人と違うのであろうか。(茶渋と同様に、赤ワインを口にすると幾分か歯に着色するのも気に入らない。)   
 ・・・などと思い続けてきたのであるが、先日の日経新聞の土曜版の記事を読んで多少とも安心した。   
   
 (なお、冒頭の写真は過去のものの使いまわし)   
   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 本屋さんには「 騎 士 団 長 殺 し 」の本が山積みに・・・。   
   
 この著者については世間の評価が非常に高いが、あまり小説・ストーリーものを読まなくなっている自分はやはりこの人の作品を昔に1冊か2冊読んだだけである。   
 「 騎 士 団 長 殺 し 」・・・この本もたぶん読まないことではあろうけど、しかし、どんな内容なのだろう、モーツァルトの「ジョン・ドヴァンニ」が思い浮かんだけど・・・。   
   
 ジョン・ドヴァンニ・・・。   
 ぱりー・きゃみゅきゃみゅ。   
 ランメルモールのルクレツィア。   
  Die Meistersinger von Nibelungen    
  Der Lied von dem Erde    
  La Nozze di Figaro    
   
 ・・・ん? 何か間違って覚えているか?   
   

業界勢力図は変わりうるのか・・・いや、その前に・・・



   
 社員食堂があろうと、コンビニ・お気に入りの食堂などがすぐ近所にあろうと、昼食を「配達」してもらいたいケースもある。今やコンビニのセブンに注文すれば弁当・そう菜・飲みものなどを配達してもらえる時代になった(日本全国津々浦々ではないだろうけど)。   
   
 これまでだって、配達・出前をしてくれる(主として個人経営の)飲食店・弁当店・パン屋さんなどはあったけど、そういうものを利用する頻度は今後ますます減っていくのではないか。かくてコンビニはさらに商売を拡大していく・・・これをもってコンビニを批判する人たちもいようけど、消費者からすると例えばこんな気持ちのこともあろう:   
   
「選択肢が増えて便利になったねえ。コンビニの食べ物のほうがイメージが良いし、味も気に入っている。調理も衛生的にされていそうで安心感がある。これまで出前してもらった食堂のはハッキリ言って不味いし、あんなのであの値段をとってさあ・・・しかも、出前のオヤジは無愛想で威張ってるしなあ。腕組みしながら偉そうに“おいしいでしょ?”なんて声を掛けてくるけど、味が濃いし油っぽいし、ちょっと分かってないんだよね。来客時の昼食には使えないぜ。あそこのオヤジ、あぐらをかいた商売してるよな。うちの会社も一応は義理で町内会に入っているけど、その関係で町会長が“あの店をなるべく使ってやってくれ”なんて言うから付き合って来たけど、もう用は無いなあ」・・・みたいな気持ち。(この設定は架空であります。)   
   
   
   
 さて・・・。   
   
 クロネコヤマトが宅配料金を見直して料金上げを果たすようになると、他社との競争環境にも変化が出て来ることであろう・・・他社としては料金維持または料金上げをしやすくなると同時にクロネコヤマトと張り合いやすくもなる。どの程度までクロネコヤマトのシェアを奪っていけるか。シェアを伸ばすのはシロネコムサシか、或いはトラネコナガトか、それとも・・・。   
   
 今後、宅配料金はどうあるべきなのか、いや、自分なりの考えとして「こんな感じが適切・適当・妥当というものではあるまいか」というものを考えると、例えば下のようになる・・・なお、これはヤマトのみでなく宅配業者全体に対しての希望であり、また、再配達については「受取人からの連絡が無くても、配送スタッフが自分の時間のゆとりが生じたときや、すぐ近隣宅への配達のついでに、先ほど不在であった受取人宅を自主的に再訪する場合がある」ことも想定している:   
   
 時間帯指定ナシでの配達料金をとりあえず「基本料金」と呼ぶこととして・・・。   
   
 時間帯指定を付ける場合は基本料金に50円がプラスされる。   
   
 配達時に不在で再配達となる場合は再配達料金100円の支払いを荷物の受取人に求める(再々配達などでも追加加算などはナシで、200円、300円などとはならない)。   
   
 但し、時間帯指定が付いていながらも配達時に不在であったために再配達となる場合は再配達料金として200円の支払いを荷物の受取人に求める(時間帯指定があったことで当初の配達では業務上でそれなりの負荷・負担があったのであるから、たとえ時間帯指定料金として50円をとってはいても、一種のペナルティの意味も込めて再配達料金は100円よりも高い額とする・・・200円では高すぎると言うなら150円とかでもよろしいが)。   
   
 宅配業者側の責任ゆえに、或いはまた、不可抗力(交通大渋滞・通行規制・大災害など)ゆえに等、ともかくも受取人の落ち度などを問えない状況によって指定時間帯に配達できず、その結果として再配達となった場合については、再配達料金はかからない。   
   
 再配達について、荷物の受取人からその日時指定連絡(電話など)がされていながらもそのときに不在であった場合、その後の再々配達について200円を加算。   
   
 うっ・・・考えているうちに頭が混乱して来るな(笑)。そして、もっと細かく考えるべきなのか、それとも単純化すべきなのか。   
   
 上のようなアイデアとなったのは、自分の考え方・行動が次のようになっているからである:   
   
 専業主婦、また、子供やその祖父母などなどのうちの誰かがいつも家に居て留守にはなりにくい家庭の場合、時間帯指定を必要と考えないことも多かろう。また、宅配ボックスを備えている場合も同様であろう。通販を利用する際の送料、または送料込みで設定された通販価格について、彼らが他の消費者とともに時間帯指定のコストを料金として共同負担するのは合理的・公平とは言えまい(だから、通販会社も時間帯指定の有無によって送料を違えるのが望ましい)。   
   
 筆者自身の場合、ネット通販を利用するとき、その配達日(到着日)を考慮したうえでオーダーをしている。土曜と日曜が休日であるから、例えば木曜の夜にオーダーすると金曜に出荷、そして土曜に配達となって都合がよろしい(その土曜に急用が発生する可能性も無くはないが、ま、とりあえずそういう可能性は低い)。   
 上のようにしない場合でも、家族どうしで話をして配達日にはなるべく留守しないようにすればよいだけのことである(偶然なのか配送ルートの関係なのか、時間帯指定の無い場合の配達時間は幸いにも大抵いつも同じで、外出の用事の妨げにはなっていない)。   
   
 筆者のところでは、ひと月にのべ4、5回程度の通販利用をしているが、そのうち再配達の扱いとなるのは1年に1、2回くらいである。   
   
 中元・歳暮その他の贈答品、結婚祝い等の返礼、香典返し、ふるさと納税の返礼品などはあらかじめ配達日が分からないので、それらについての再配達は生じる・・・最近1年では3、4回ほどあったのではないか。比較的重たい荷物もあって配達スタッフの人たちには申し訳ないと思えるが、こればかりは仕方あるまい。   
   
   
 だが、しかし、先ほどのような料金体系が新たな問題を生まないとも限らない。   
   
 「あっ、もしもし・・・。留守だったから再配達するってことだけどさあ・・・俺、さっき居たんだよ。着替え中だったから対応が遅れたけど、配達の人にはもう少し待っていて欲しかったな。それでもやっぱり再配達料金を取るの? あのさあ、再配達料金を目当てに、わざとすぐに立ち去ったんじゃねーの? やり方が汚くねえか?」などというクレームもありえなくはない。しかし、それでも荷物の受取人には理解を求めて再配達料金を取るようにしないと、嘘でも上の如くに主張して再配達料金の支払いを免れようとする者が続出するのではないか。   
   
 が、実は、前提として根本的問題が無いわけではない。   
 通販サイトでは、再配達料金についての説明/注意書きが掲示され、それへの同意を求めるスタイルがとられることであろう。しかし、通販商品であれ、その他のデパートの売り場での扱い商品であれ、荷物が注文者自身のもとへ送られるのでなくギフトのように他の人のもとへ送られるケースにあっては、その受取人は「もしも再配達となった場合」に100円とか200円を支払う必要性をあらかじめ覚悟することが出来ない(それが世間の常識/共通認識になるには時間もかかろう)。ここが問題である。言い換えると、そういう100円/200円の支払いについて、支払う人と宅配業者との間での事前の合意形成/契約成立/約款承諾のステップがどこかに必要な筈ではないか・・・「お留守でしたので荷物を持ち帰ります。再配達のご希望日時をご連絡ください。なお、再配達については100円/200円の料金を申し受けます」という伝票の文言を目にしたうえで宅配業者に電話連絡をするところでこの件の合意は成立するという形になるのであろうか。宅配業者の自主的な計らいで再配達に回った場合に再配達料金を請求する根拠の「合意」はまた別途に求めることとなる・・・「お支払いいただけますか」:「はい、払いましょう」で合意形成の完了かな。   
   
 さあ・・・では、怖いオニイサンたちのいるところに配達しようとしたところが留守らしくて・・・。再配達の希望日時の連絡が無いため業者の判断でもう一度その品を届けに向かい、その際に再配達料金の支払いを求めると・・・「テメエ、これは贈り物の配達だろ? かわいい弟分からの気の利いた贈り物なのに、これに再配達料金がかかるのか? ホントか? オメエさんたちゃあ随分と粋(いき)な真似をするんだな、興醒めするほどに粋ってもんだな。いい根性してるじゃないか。・・・をしっ、テメエの言い分は分かった・・・つまり、あれだな、この100円はきっと、送ってくれた○○が払ってくれる、そっちへ請求してくれ。今から向こうへ電話しておくからさ、オメエさんもこれからそっちへ向かってくれ、○○県○○市の・・・おっと、その控え伝票に書かれているとおりだ」と睨みつけられたとする・・・この場合には再配達料金を取らずに穏便に済ませることになるのか? しかし、そういうことが世間に知れ渡れば、これはこれで問題になるかも知れない。現場でのちょっとした臨機応変というか「一貫性を欠く対応」や「臆病な対応」が批判の種になりうるのが世の中というものである。   
   
 ギフトの送り主が「あのお宅は夫婦共働きだし、夜に時間帯指定をしておいたほうがよさそうね」などと考えて時間帯指定をしたとする。それを敢えて相手先に連絡することをしなかったために運悪く配達日の夜に留守であった場合、再配達料金は100円でなく200円になってしまう。こういうギフトの例では、時間帯指定の手続は荷物の受取人でなく送り主がするものである・・・それでも再配達料金200円でよいのだろうか・・・少しばかり疑問を覚える。   
   
 通販を、コンビニ後払いとか代金引換の条件で申し込んだあとに気が変わり、「受け取らずに済ませちゃおうか」などと不埒な考えを起こす者も世の中にはいるであろう。そこまでは考えていなかった者でも、配達時に留守をしていて再配達の扱いとなった場合に「ちぇっ、余計な料金がかかるんだな。ええい、受け取らずにおこうか」という気持ちを生んでしまうことがあるやも知れない、どうだろう。   
   
   
 理想形を考えることは、むずかしいなあ。   
   

雑記




   
 ひな祭り  爺(じじ)は ゆるりと  暇な釣り   
   
   
 ひな祭り  鯛(たい)を肴に  手酌酒   
   
   
 ・・・特に意味は無い。   
   
   
 大昔の江戸時代、鰹(かつお)が高値であったことはよく知られているが、鯛もまた高価な品であった。下の写真で手前側の新書には、そのような物価のことも含め、面白い話題がいろいろ収められている(魚の値段については同書の93ページ・・・ここで言う鯛はマダイであってチダイやレンコダイなどではないものと思うが)・・・魚好きの筆者としては今の時代に生きていてよかったかな、しかし、アサリはむしろ今日のほうが高いよなあ。   
   


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