2018-04

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セル関係の大型CD商品が登場する


   
 簡単クイズ: 「2020年夏」といえば、誰もが思い浮かべるのは?   
   
   
   
   
   
   
 答えは勿論、そう、「セル没後50年」・・・である。   
   
 あ、筆者自身の場合はこのほか、「五輪開催に伴う混雑への懸念」ということも連想する(筆者自身は、五輪そのものの内容には殆ど関心がないもので・・・)。   
   
   
 さあ、セル没後50年にちなんでソニーあたりからはどんな企画が登場するだろうかと楽しみにしていた。   
 だが、それを待たずに、今年の8月にはCD106枚組セット商品が登場するではないか!   
  "George Szell - The Complete Columbia Album Collection" ・・・日本のHMVやタワレコなどでは「ジョージ・セル/ザ・コンプリート・アルバム・コレクション」等の表記にて商品紹介されている。   
   
  http://www.hmv.co.jp/product/detail/8780845   
   
   
  http://tower.jp/article/feature_item/2018/04/20/1120   
   
   
   
 熱心なセル・ファンにとっては、これを入手してもその大半が、いや、ほぼ全てが手持ちのCD・アナログ盤などとダブリになってしまう点が悩ましかったりするのではないか。   
 しかし、ま、セルの名が忘れ去られることなく今後も輝き続ける・セルに注目する人が新たに生まれることにつながる筈の商品であり、その点は間違いなく喜ばしい。   
   
   
 下のは、ブログ画像庫の中から思いつくままに再掲・・・ブラームス/交響曲第1番の旧録音のアナログ盤とか、 "United Archives" レーベルによって板起し/CD化されたドヴォルザーク/ピアノ協奏曲その他・・・。   
   



   
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雑記



   
 (↑)セルの演奏を収めたCDで、手前のは「子供の不思議な角笛」。背景のはシベリウス/交響曲第2番を収録しているもので、これはコンセルトヘボウ管とのものや、あるいは来日公演ライヴ盤とはまた別のもの・・・クリーヴランド管との地元ライヴ(かつて "VIRTUOSO" レーベルから登場したもの)・・・こちらの演奏ならではの雄渾さにはまた惹かれるものがある。   
   
   
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 「事業年度の替わり目でキリもよく、引退させていただくことにしたんだよ・・・これまでいろいろありがとう」との挨拶を、子会社で活躍してきたAさんから頂いた。   
   
 Aさんは、筆者が勤務する会社の子会社に最初から(新卒で)入社し、そこで一筋に勤め上げた。市場/マーケット、顧客を奪取する手腕や、取引継続を維持できる能力・人柄などを評価され、定年を過ぎて高齢になってからも継続雇用でずっと活躍を続けた。   
   
 過去を振り返ると・・・この方とお会いしたり話を交わしたりするたび、必ずと言ってよいほど、記憶にとどまるような一言を掛けられた。今回は「君は、これからもやっぱり君が思うとおりの生き方をするんだろうね。それでいいと思うよ」と言われた。どうも、筆者のことを、よく言えばユニークなところの多い、悪く言えば変てこな人間と思っているフシもある(笑)。   
    
 昔々の初対面のときは、Aさんからはこう言われた: 「君は、こうして会って話してみると至って普通の人間なんだね、安心した。君が(関係部署や子会社に向けて)発する文書は、どれも、まるで役人が書くように冷めて、血が通わない書きっぷりの見本みたいだから、一度はその顔を見てみたいと思ってたんだよ。いやいや、会えてよかった」。   
   
 こちらが20代半ばの頃のことで、ま、学生時代にゼミの先生から「ひとつひとつの文章は短く。ハードボイルド調がよろしい。事実かどうか不確かなことについては、不確かであることをきちんと示す言葉遣いとせよ、何なら敢えて書くな。要らない修飾語は省け」等々の指導を受けたこともあって、会社勤めになってからもそれを意識していたから筆者の書くものは事務処理フローとか税務処理対応、質疑応答などで各所に発する連絡文書においてバサバサとした調子の文章になっていたであろう。べつに悪いことではないと思うし、そして今でも、筆者が仕事上で書く文書や指示メモ、稟議書その他へのコメントなどなどは、このブログで書いている文章の調子とは大きく異なるのだ。   
   
 さて・・・昔、このAさんの会社において難しい、厄介な案件が連続して生じることがあって、一緒に対応することがあった・・・取引先が倒産しそうとかのケースをはじめとして、ま、何やかやと。   
 こちらの会社に電話をもらうのが夜の10時や11時であっても、朝の7時くらいであっても筆者が電話に出るものだから「ちゃんと家に帰っているの? いつ寝ているの?」と驚かれたことが何度かあり、「たまたま徹夜だったので」などと応じた。   
 ちょうど消費税導入が迫っていてその準備・対応、外注ソフトウェア関連の対応・検証などで多忙な時期だったりしたのだ。Aさんとしてはたぶん「自分の側は子会社という立場であり、申し訳ない」という思いを抱いたかも知れず、しばらくして「君は(こちらのために)いろいろやってくれるけど・・・自分の仕事とか出世とかを犠牲にするようなことがあってはならないよ」と心配もしていただいた。   
 が・・・だいたい出世どうこう言っても、昔、子供の頃に筆者の家に出入りしていた或る方(政治家)は「会社勤めする者の場合、何年か上の先輩に優秀なのがいてそれが社長その他の重要ポストに就いてしまってしばらく居座れば、次にそのポストを継ぐのは自分の後輩ということになる・・・ポストは素通りすることがあるし、そして自分は邪魔者となって外に追いやられることもある・・・そう心得るべし」と言っていたし、筆者思うに、それよりも大事なことは、自分なりの、出世とはまた異なる性質・次元の「自己実現」と、そして「過重な責任を負わずに、精神衛生に悪くないような頑張りにおいて自己満足できること」ではあるまいか・・・。この筆者の感覚をAさんに話したら、「(君は)若年寄みたいだね」と言った。が、同時に、これは想像なのだが、Aさんは何かを思ったかも知れない・・・実力者として活躍していながらも、しかし自分の上・上司には入れ替わりで親会社から誰かが着任して来るという状況・・・そういう環境下での自分の生き方をじっと考えることが無かったと言い切れるだろうか。   
   
 Aさんの会社でいろいろの厄介事が片付いてしばらくした頃・・・Aさんから電話をもらい、それがヒソヒソ声っぽかったからこちらは身構えた・・・実は、Aさんの会社が取引先から売掛金回収するにあたって 暴 力 団 関 係 の或る筋とモメた経緯があり、きちんと決着していた筈の問題が再燃したのではないかと懸念した。   
 Aさんはこう切り出した: 「時間をとってもらえるといいんだけど、土曜とか日曜とかに・・・」。   
   
 こちらとしては、「う・・・どうしたんだろう、不安が的中してしまったのか」と思った。   
   
 Aさんは続けてこう言った: 「(君に)決まった人がいないんだったら、紹介したい女性がいるんだけど。うちの社員だけど」。   
   
 残念ながら休日出勤の連続状態でもあったし、それを説明するとともに「そのお話は、いずれ結婚のことも考えてというご趣旨かと思うのですが・・・結婚は個人と個人との問題では決してなく、家と家とのつながりの問題で、さらに踏んでいくべきステップを考えれば今の仕事漬けの毎日の中では目を向ける余裕のないテーマですので・・・もう何年かしてからでないと考える状況にはならないでしょう」みたく答えた。Aさんはその「(結婚は)家と家とのつながりの問題」という言葉に大きく反応した(Aさんから見てこちらは年下であり、まだ若いとも言えた)・・・簡単に言うと、これはAさん自身がかつて抵抗を覚えた「日本の古い感覚」であり、自身が結婚するにあたって親とモメた核心テーマでもあったからである。そして、具体的な細部までは覚えていないのだが、筆者を、先ほどの「若年寄」という言葉の類義語みたいな言葉を以って評したのであった。   
   
   
   
 このたびAさんは、退職後の今後について「妻と一緒に、自由な時間を手にしたい」と言った。愛妻家でもあるし、うなづけるものでもある・・・。   
   
   
 筆者は筆者で、自分の仕事人生を自分の思いどおりの形にしていきたいため、「兼務状態にある子会社での仕事」のほうをこそ主体・本業にしたいと思ってあれこれ画策しているのだが、今のところまではうまく行っていない・・・もう少しの、軟着陸のための工夫など必要なのかも知れない。   
   

雑記


   
 「どうなる、米朝会談の可能性」みたいな記事見出しを目にするたび、どうしても「桂 米朝」、「怪談ばなし」というものが思い浮かんでしまう・・・これは自分だけのことなのか。   
   
   
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 しばらく前から、「耳の掃除を頻繁にするのはよくないのです、掃除する必要もないのです。もし掃除するならばこんな程度に・・・」みたいな話題をネット上そのほかで目にするようになった。また、「耳鼻科医である私自身も、耳掃除をしません」などという記述も目にしたことがある。   
   
 耳掃除は、耳穴の壁(外耳道と呼ぶのかな)を傷つけてしまうリスクばかりでなく、頻繁にすることで幾つかのデメリットももたらされるらしい。   
   
 しかし、基本、耳掃除は(耳かきで、あるいは、綿棒も併用して)毎日しないと気が済まない自分としては、どうしたって上の意見には従えない。毎日していても、成果が上がるのは、つまり「耳あか」がとれるのは週に1回か2回くらいのものなのだが、耳穴の壁を刺激することで得られる快感に意味があるのだ。   
 かゆくなって耳掃除をするわけではない。歯磨き・髭剃りと同じような、定例的に為さねば気が済まない行為なのだ。   
   
 毎日のように耳掃除をするようになったのは、いつの頃からだろう。中学校の修学旅行のとき、土産物として買い物したもののひとつに「自分用の耳かき」もあったことを記憶しているから、そのときには耳掃除が「趣味化」していたものと思える。   
 いや、待てよ・・・。   
 小学校のとき、夏になって体育の授業内容が水泳に切り替わる頃、先生は「耳掃除をちゃんとしていないと、水泳中に耳に水が入ったあと耳あかがその水を吸い、ばい菌がウジャウジャ繁殖して大変なことになります」みたいなことを言ったのであったが、「自分は耳掃除を頻繁にしているから大丈夫だな」と思ったものだ。   
   
 というわけで、もう何十年も、毎日のように耳掃除をしている。耳穴の中の壁を傷つけてしまった経験は4、5回くらいあったろうか・・・でも、そのいずれも二十歳くらいよりも前のことの筈であり、また、大したトラブルにも至らなかった。   
   
 耳掃除をすると、そのあと「聞こえ」がよくなる?・・・シュヴァルツコップフの歌声など、違って聞こえるように思えたりもするのだ(笑)。人体は摩訶不思議なメカニズムを備えており、耳もまた同様に、耳掃除によって耳穴の壁が刺激されてその個所の血流が増えると意外にも鼓膜の敏感さも増したりするとか、そんなことがあったりはせぬのか?   
   
   
   
 毎年の健康診断で聴覚のテストもされるが、筆者、一応、すべてOKの状況が続いている。   
 以前、夜に民放のテレビ番組を観ていたら、芸能人らの出演者に対して高めの周波数の信号音を聞かせ、それが「聞こえるか否か」を試すテストをしていた・・・テレビのこちらにいる自分には聞こえる「ピーン」という高い音が、まだ40代あたりの出演者のなかには「聞こえない」と答える人たちもいたのでちょっと驚いた。スタジオで使われているスピーカーのせいなのか、それとも彼ら、仕事上、あるいは私生活上、大きな音ばかり聞いているとかヘッドフォンを使いすぎるとか、そんな、聴覚を悪化させそうな背景事情でもあるのか。   
   
   
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 睡眠中にみる夢の中でひらめく・思いつくことが、実際に役立つケースはほぼ無い・・・ものと思う。目が覚めてから「ああ、くだらない思いつきをグッド・アイデアだなどと喜んだが・・・馬鹿げたアイデアであったなあ」との感想が生まれる。   
   
 しかし・・・。   
   
 職場に届いた年賀状のうち幾つかのものは引き出しの中に保管しているのだが、先日は或る人の所属部署・肩書を再確認する必要があってそれら年賀状を見返すことがあった。目当ての人とは別の、某社のAさんからの年賀状も一緒に目に入った。   
 このAさんはエンジニアなのだが、ずいぶん前に、或る商談を通じて接する機会があった。当方としては、ちょっと変わった取引スキームになるその商談に事務方として同席していたのである。で、商談の資料の中にはビジネス・取引自体のこと以外に技術仕様書も添えられていた・・・そこには「製品の性能を数字で評価するとこうなります。従来に比べるとその改良度・改善度はこうなります」といった計算資料も含まれていたのだが、筆者、それを見て「どうしてこういう計算を以ってこのような評価が下せるのだろうか?」と疑問を覚えた・・・この点は自分の職務範囲ではないから関心など持つ必要はないのであるが、疑問を抱いたことが表情に表れたのだろう、Aさんから「どうかなさいましたか?」と尋ねられた。そこで自分の疑問を口にするとAさんは「疑問はおっしゃるとおりです・・・その計算は、簡略に近似値を求めるためのものです」と言って、数学の定理っぽいものをメモ書きしてくれたが、こちらはよく分からず、いや、サッパリ分からず、ま、それで終わったのである。   
 その数日後、Aさんから郵便が届き、「?」と思って中身を改めると、数式の説明がていねいに綴られていたのであった・・・というか矢野健太郎先生の数学の参考書を久しぶりに読むような感じであった・・・Aさんの、理科系の人っぽい律儀さをそこに感じもした・・・しかし、悲しきかな、こちら文系人間の限界を超える説明内容であった。   
 あれから年を経ているのに・・・昼間にAさんからの年賀状を目にしたせいなのか、夢の中で、Aさんからされた説明の或る一部分が頭の中に思い浮かび、これが会社の或る事業評価項目を追加するうえで役立てられるかも知れないと思いついたのである。夢の中では心臓が高鳴るほどの思いをしたのであるが、目覚めてみると、そう大したことではないとも思え、しかし、決して「意味なし」なものでもない・・・「夢の効用」と言うことは出来る程度のものではあった。   
   
 このように理系人間が文系人間を刺激する機会というものがあったりする。   
 逆に、文系人間から理系人間に対して刺激なりヒントなりを及ぼす可能性はあるだろうか・・・自分の経験からすると、文系である自分が口にした「素朴な疑問・疑念」が相手側の役に立つということもあったりはする。   
 「この辺りのネジはステンレスとかですか? 結露が生じる可能性が考えられるので気になりますが」と口にしたことで、ネジその他の素材も、一部の仕様も変更になった事例があった。   
 「(工場の)勤務シフトをそのようにしなくても、そもそも作業プロセスを例えばこう改めれば、プロセスについても納期にしても有利ではないですか? え? そうじゃなくて、わたしが言いたいのはもっと単純なことで、こういうことです。根本的なところで勘違いしていたら申し訳ないですが」と言ったときには相手は「あ・・・考えたこともなかった・・・うちの業界でそんな考え方する人、いませんよ」と反応したのだが、その後すぐ、相手方では作業プロセス変更が実施されたのである。   
 気楽な、発言に躊躇しないブレーン・ストーミングというものは有意義であると思っている。   
   
   
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 或る日に口にした弁当・・・。   
   


セル関係の「新譜」なのか、それとも・・・


   
  "Georg Szell in Europe" (ヨーロッパでのゲオルク・セル(=ジョージ・セル))というタイトルのSACDハイブリッド盤が "Praga Digitals" レーベルから登場する。日本国内で出回るのは4月下旬から5月上旬くらいになりそうだ。もちろん筆者も未入手。   
   
 タワレコ、アマゾンなどのサイトで見つけることが出来る。   
   
 ただ、この商品には疑問点も・・・。   
 パッケージ裏面の記載その他によると、収録内容は、コンセルトヘボウ管との演奏でモーツァルト/「後宮からの・・・」序曲・交響曲第34番、また、「ロザムンデ」抜粋、それにウィーン・フィルとの「エグモント」抜粋(ソプラノはピラール・ローレンガー)のようだ。1954年から1969年にかけてのライヴ録音(←複数形の表現)をリマスタリング」との記載もあるが、過去のコンサート記録に照らすと「ん?」と思えたり。   
 ここに収録された「後宮」序曲は“1954年”の8月7日の演奏であるとの情報も見受けるが、しかし、筆者が現時点で想像するのは・・・“1956年”8月7日、ザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルその他とのオペラ公演から序曲の部分だけをこのCDに収録しているのではあるまいか。アメリカ人ばかりでなく欧米人が手書きする「4」と「6」の文字は見分けに混乱する場合もありえようから、録音メモや原稿の読み・やりとり等の段階でミスが生じた可能性も否定できないかな、どうだろう。もし1956年8月7日のものならば、この公演は過去すでにCD化されているもの・・・既にこの音源を手にしている人にとっては、新たに入手してもダブりとなる。そしてまた、これは確かにライヴ録音なのであるが、しかし、オケをコンセルトヘボウ管と表記することは誤りということになる。   
 これ以外の収録曲については、ライヴ録音でなく、正規セッション・レコーディングのものを音源としているのではないかと想像しているが、だとすれば、それらもまた既発売のものということになる。   
 SACDハイブリッド盤である点にメリットを見出す人にとってはまた別の価値があるかも知れないけど。   
   
 よく分からない点のある商品である。   
 筆者の側に「思い違い・勘違い・調査漏れ」などがあるやも知れぬが、その場合はお詫び申し上げたい。   
   

バッハは作曲しなかった「マダイ受難曲」?




   
 (↑)某日のこと、某スーパーマーケットの鮮魚売り場で見つけた品。トレーに乗せられラップされたその上のラベルには・・・これは「マダイ(真鯛)」を意味するのであろう、千葉県産の天然の。   
 しかし、この魚は「チダイ」と思え・・・ま、「美味ならばよろしいのだし」と思って買い求めた(値段もリーズナブルであったし)・・・実際、チダイはそれなりに価値ある魚なのだ。(また、調理済み弁当その他においては、焼いてしまってあると判別しづらいので「鯛」として用いられているケースも少なくないとの話も聞く。)   
   
 さて、これが本当に「チダイ」であるとして・・・いや、調理して口に運んでみたところ「マダイ」でなく「チダイ」と思えたが、味は普通に大丈夫、おいしかった・・・問題はスーパー側/鮮魚担当者が「これはマダイなのだ」と信じて仕入れた・販売したか否かであろうかなあ。つまり、「チダイなんだけど、お客さんに対してそう表示してもイマイチ売れ行きがよろしくないのでマダイと銘打とう!」みたいな、もしもそんな動機があったとしたならばそれはよろしくないことだ・・・そして、その点にこそ筆者の関心がある。スーパーの担当者がトーシローであるとも思えぬし、この業界の人たちの感覚や良心、行動を知るうえでも興味深い事例である。   
   
   
   
 鯛という名前を持った魚のあれこれ、また白身魚の塩焼き等を、もしも「風味が物足りない」・「バサバサしている」みたいに感じるときでも、ケース・バイ・ケースでさらに「ポン酢しょうゆ」もしくはオリーブ油、各種ドレッシングを垂らして賞味する工夫をすれば、大抵どの場合でもそれなりに満足いく味わいになるものだろう・・・尤も、筆者はオリーブ油などを好まないけど。   
   
   
   
 いま、消費者は物価に対して極度に敏感であるとされ、例えば食品を例にとれば食品メーカーも、またスーパーその他の販売店も値上げには慎重にならざるをえないと言われている。で、価格を据え置きつつパッケージに収めるものの数量・重量を減らして実質値上げを図る工夫が始まっている・・・とニュースなどは報じているけれども、いま始まったことではないよなあ。   
 庭にやって来る野良猫または近所の飼い猫のために、いつでも最低でもチクワやハム、焼豚くらいは用意しておこうということをしている・・・だって、「こうして寄り道するのは、何かのおやつにありつけるかも知れないからさ!」という彼ら猫たちのの期待を裏切るのは心苦しいとの感覚があるから。ほか、うどん・冷麦・そうめん等を食べるときは少し余分に茹でておき、彼らのためのものも用意しておくのが習慣・・・猫は、かつおだしを含んだ「つゆ」を伴ったそれらの麺を大抵は上手にすするのだ・・・あまり塩分を摂らせてはいけないとは聞くが、ま、大した塩分量にはなるまい。   
 で、ずいぶん前の或るとき、筆者自身がチクワを猫に与えようとした・・・手につかんだチクワがフニャッと、わりと歪むように感じた・・・「ん?」と思ってチクワを見ると、チクワの穴がどうも大きいのだよなあ・・・これは「材料(費)その他の削減のための手段だな」と思った。穴径を1ミリ広げるとどれだけ材料(費)を削減できるか、そしてまた加熱調理を完了するまでの消費エネルギーをどれだけ削減可能であるか、商品100個詰ダンボールの重量・配送コストをどれだけ削減できるか・・・少年少女よ、学校の勉強など意味がない、円周率の扱い方や熱・カロリーのことを知っても意味がないなどと思わないで、将来の仕事に役立てるためにも勉学を怠らないでくれたまえ・・・たとえば経営学や、あるいは(簿記などで)原価計算・原価管理を学ぶそれ以前に、頭の片隅に備えておいて損しない知恵でもあろう(本当か?・笑)。   
   


季節の歌(?)をば2首


   
  もろともに   
  国会審議に   
  気を揉みて   
  眺むる空の   
  春霞かな   
   
   
   
  「盛り」よりも   
  「つけとろ(T)」「パスタ(P)」   
  「ペンネ(P)」との   
  言葉を耳に   
  春雨サラダ   
   
   
   
 この期末(3月)が、やたら多忙になっており・・・もうすぐ落ち着つくであろうか。   
   
   
 ・・・・・・・・・・   
   
   
 「俺、ちょっとコンビニに寄りたいけど、いいかな?」と、一緒にいたA君に言った。しかし、そのすぐあと、店に入ることもせずに「やめとこ。いいや、いいや」と言った。   
 A君からは「どうしたんですか?」と訊かれたけれども、理由は説明しなかった。   
   
 このコンビニには、目つきがよろしくないばかりか、客に話しかけるときの声質や喋り方が気に食わない男性スタッフがいるのだけれども、この日、その男がレジを担当しているのがドア越しに見えたのだ。だから買い物するのをやめた。品揃えなどはしっかり充実していて好ましい店なのに・・・。   
   
   
   
 「コンビニはどこが気に入りですか?」と尋ねられることがたまにある。   
 ずっと以前はセブンであった。しかし、店内に流れる音楽(テレビCMでも使われている)が自分の好みには合わないため、セブンにはなるべく寄らないようになった。   
   
 かわってファミマをよく利用するようになった。Tポイントカードは持ってはいても持ち歩かないのであるが、顔なじみになった店主が「Tポイントカードを提示してもらえればポイントが貯まってお得なんですよ、是非そうして下さい」と言った。或るとき、別の店で大きな買い物をすることがあってTポイントカードを持ち歩いていた。その帰り、ファミマに寄ったので「そうだ!」と思い、そのカードを提示した。が、若いレジ係の男がカード・リーダーに読ませてこちらに返して寄越す動作が遅くて、こちらとしては「その都度このようなロスタイムを生じるようではかなわん」と思い、その後はこのカードはやはり常時携帯することをしなくなった。それにしても、毎度レジ係から「Tポイントカードをお持ちですか?」と訊かれるのを鬱陶しく感じ・・・レジ・カウンターの前にステッカーか何かで「お持ちでしたら会計時にご提示ください」などと表示するだけにしておいてくれたらなあ。   
 過日のこと、やはりファミマで買い物したときは、1つのレジにつき5人くらいが順番待ちするような状況になっていた。筆者は急いでいたためちょっとだけイライラ気分をもって列に並んだのだが、こんな状況下にあってもレジ担当者はレジ処理するときにそれぞれの客にチキンの揚げ物だか「焼きとり」だかを「如何ですか?」と勧めているのであった・・・で、実際に、買い物客のひとりはそれに反応してチキンの何だかを注文した。レジ担当者としては「をしっ、売上をちょっとアップ出来たもんね!」と思ったであろうけど、が、筆者は心の中でこう叫んだ: 「混雑しているのにさあ・・・ったく、マニュアルどおりということなのか、それとも店主からの指示なのか知らないけど、こんなときはより迅速に客をさばくことに気を遣えよ。この店の売上なんて俺には興味ないんだし、客の時間を犠牲にして稼ごうという根性を捨てろよな。順番待ちが解消されることが一番大事なんだよ!」と。で、ファミマを敬遠すべきかなとも思うようになり・・・。   
   
 あらためてセブンによく寄るようになった。どうも最近は、店内にあの好きでない曲が流れていないことも多いようで、「これはよい変化だな、セブンをまたよく利用しよう」と思った。nanacoのカードはいつも持ち歩いているから、これで支払うとレジ担当者とのカードの受け渡しをしなくても済み、速い。   
 カードの受け渡しをしないということは、少しばかり清潔感もあってよろしいし・・・と喜んでいたら・・・先日は、筆者の前の客がレジ脇のチキン唐揚げだかを注文し、レジ係は手を洗ってからそれを処理した・・・それはよいのだが、次に筆者のレジを済ませ、こちらはレジ袋を受け取ったら何か妙な感触が・・・袋の提げ手のところに揚げ物の油が付いていたのだ・・・家に帰ってから確認すると袋の中の商品にも油が。うーん、揚げ物を扱う前に手を洗うことは勿論よろしいのだけど、「手に油が付着してしまったような場合は、遅くとも次の客の相手をする前には手を拭くなり、もう一度洗うなりしろよな」と思った・・・そこまでは(常識的に過ぎるので)マニュアルに書かれていないだろうけど。   
   
 コンビニで扱う品にも、介護のための食事づくりに役立つものが色々とある。主にセブンで調達できる。そういう食事づくりをするときに酒を口にすることが珍しくないから、ちょっとした「つまみ」も一緒に買いたいが、筆者の気に入りの或る品がセブンでは扱っていない・・・ファミマやローソンにはある。したがって複数の店に寄ってしまうことがある。しかし、近くのローソンは、気のせいか店頭陳列する品の種類や数量を絞っているか、さもなければ仕入段階でも絞っている感じがある・・・これは売れ残りリスクを恐れ、堅実な店舗経営を目指しているようにも推測される・・・が、こちらは、コンビニ各店の健全経営とか利益極大化とか、いっさい関心が無いし、「客である当方にとって都合よく品揃えされているか」が大事なのだ・・・このローソンには殆ど寄らなくなってしまったなあ。   
   
 最近はドラッグストアの品揃え・価格に魅力を覚えたりもする・・・が、寄ることある店は、毎度毎度「ポイントカードをお持ちですか? (お持ちでないなら)作りましょうか?」と言われるため、これがまた鬱陶しいなあ。   
   
 店の側も商売するうえで悩ましいことが多々あろうけど、客の側だって悩ましいと感じることがあったりするのだ。   
   

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